2009年11月5日木曜日

大蓮寺(だいれんじ)

大蓮寺の山門京都非公開文化財を観賞に大蓮寺にいった。大蓮寺は左京区東山二条西入1筋目下ル西側にある。大蓮寺は、慶長5年(1600)深誉上人が下京区五条通に創建した。
後光明天皇安産勅願所で、通称「安産祈願の寺」で浄土宗の寺院。
山号は引接山。院号は極楽院。

本尊の阿弥陀如来像は、通称「あんさん(安産)阿弥陀」と呼ばれ慈覚大師の作といわれる。慈覚大師が晩年に比叡山にこもり阿弥陀如来像を彫ると、夢の中で阿弥陀如来に「都へ降りて女人の厄難(お産の苦しみ)を救いたい」と告げられたことに由来している。本堂
この阿弥陀如来像は比叡山を下りて真如堂に安置され、女性の信仰を集めたが、応仁の乱で行方知れずになった! のちに大蓮寺の本尊がその阿弥陀如来だと分かり、復興を始めた真如堂に返すように命じられたが、開山の深誉上人が二十一日間念仏を唱え続けると、阿弥陀如来が二体に分かれたという。二体の阿弥陀如来像を大蓮寺と真如堂で一体ずつお守りすることになったという伝がある。
薬師如来立像(重要文化財)以後、後光明天皇の時、婦人が妊娠難産であり大蓮寺に安産祈願の勅命が下り、無事、皇女一の宮孝子内親王は安産に産まれた。内親王は大蓮寺を深く信仰され、のちに髪を編んで名号として大蓮寺に納めたという。
以降、後光明天皇の意志をついで甥宮の有栖川宮家が継いで明治まで信仰されたという。寺紋は有栖川紋。
明治初年の神仏分離に伴い廃寺となった祇園社(現在の八坂神社)観慶寺から薬師如来像などの仏像がこの寺に移されている。明治~大正時代、1日60kmも走りながら安産のお札を配り続けた!
また交通機関の発達していなかった明治から大正にかけて、所属していた「大蓮寺の走り坊さん」の奇行や貧困層に対する施しは、京都名物として有名で、お坊さんが妊婦のために京都中(1日60km)を走りまわり、安産のお札を配ったという話も残されている。大正7年の新聞紙面では「今一休」と称えられている。
いまでも大連寺では安産祈願が毎日行われ、安産祈願を受けられた方には阿弥陀如来の御名号の入ったお札が授与されている。
女人救済「安産阿弥陀如来」として有名だが、ほかに十一面観音などもあり秘仏が安置し、洛陽三十三観音霊場第8番札所となっている。
<大蓮寺>
住 所:京都市左京区東山二条西入1筋目下ル457 
交 通:市バス「東山二条」下車、仁王門通西寺町通上ル西側)

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