2009年11月2日月曜日

法観寺:八坂の塔(ほうかんじ:やさかのとう)

東山、花灯路のシンボル「八坂の塔(法観寺)」洛東・法観禅寺は臨済宗建仁寺派の寺院で山号は霊応山、通称「八坂の塔」と呼ばれる。
東山、花灯路のシンボル・ライトアップとなっている「八坂の塔(法観寺)」は、産寧坂と二年坂とが繋がるところにある。
境内は狭く、拝観も不定期で塔以外に目だった建築物がないのが実情で残念だ! 初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置している
心柱の最下部、聖徳太子はこの礎石に仏舎利三粒を納め、法観寺と号したという五重塔(重要文化財)は、高さ46mで東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さをもつ純和様、本瓦葺の建築で東山一帯のシンボルとされている。他に薬師堂・太子堂(市指定文化財)も現存する。四方の柱戸には天部の像が描かれている
壁画寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより五重塔(589年)を建立したとされ、仏舎利三粒を納めたのが創始という。この創建は平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、八坂郷を拠点していた朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺とした見方が有力である。二層目に上る急な階段
塔の中心を通る心柱治承3年(1179)に火災で焼失したが源頼朝により再建された。
その後も幾度か焼失したがその都度再建されている。現在の塔は、室町幕府六代将軍・足利義教(よしのり)によって永享12年(1440)に再興されたもので、心柱の周囲には本尊五智如来像(大日、釈迦、阿しゅく、宝生、弥陀)が安置されている。
仁治元年(1240)には臨済宗建仁寺派に属する禅寺となった。
さらに暦応元年(1338)より夢窓疎石の勧めにより足利尊氏が全国に安国寺、利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した。薬師如来、夢見地蔵尊
本尊薬師如来、日光・月光菩薩などを安置する薬師堂飛鳥時代のものであり、周囲から出土した瓦類や礎石の上に円形舎利孔、石蓋孔、凹柱座のある三段式の白鳳(飛鳥時代)の様式で建てられていることから創建時の建築様式を今に伝えるものとされ、中心礎石は全国で僅か二例だという。通称、八坂の塔にはたくさんの人が係っている
少し紅葉もみえた!塔内部へ入ると、内部四方の柱戸には天部の像が描かれている。中心の礎石は創建当初(1440)のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置している。
さて、三重塔や五重塔の木造建築は、清水の舞台を建てた技術と同じに釘をほとんど使わず、柱と柱を繋いだり、組んだりする技法は「継手(つぎて)」、「仕口(しぐち)」を使っている。強い地震や強風でも中心に通る1本の「心柱(しんばしら)」でバランスを保ち、日本の木造建築技術は大昔からずいぶんと先進的だったようだ。木曽義仲のお墓
八坂の墓がある他の堂宇としては、太子堂、薬師堂、茶室がある。太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の像、薬師堂には本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、夢見地蔵、さらに十二神将像が安置されている。 茶室は五重塔の風鐸の音を聞くことができることから聴鐸庵という。(風鐸とは塔の軒先に吊された風鈴状のもののことである。)ほか境内には、木曽義仲の首塚、傍には八坂の墓がある。
運よく五重塔の中は公開されていて礎石の上の心柱や諸仏を見ることができた。本尊五智如来像さらに極彩色だったと観られる天部の像の仏画像や壁画・中心礎石など拝観できた。また、二層目まで上ることも出来た階段は急角度で怖く思ったが上り窓から京の街並みを眺望できた。舞妓姿と人力車
周囲には大勢の市民や観光客らが散策していたが「八坂の塔(法観寺)」には拝観する人は少なかった!
<法観寺(八坂の塔)>
・住所:京都市東山区八坂上町388   
・電話:075-551-2417
・拝観:不定期、10:00~16:00  大人400円 
    障害者:無料 但し車いすでの拝観は不可
・交通:市バス 祇園安井下車、徒歩約5分

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