2011年10月8日土曜日

伏見桃山 御香宮(ごこうのみや)神社

御香宮神社は、京阪電車「伏見桃山駅」と近鉄電車「桃山御陵駅」の両駅から大手筋通りを東へ徒歩数分のところにある。通称、御香宮と親しまれ伏見地区の産土神である。表門から長い参道がある
御香宮神社は大手筋通りを東へ徒歩数分のところにある神功皇后(じんぐうこうごう)を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀っていて安産守護の神として信仰を集めている。名水百選に選定されている「御香水」
本殿札所創建の由緒は不明だが始めは「御諸(みもろ)神社」と呼ばれていた。
境内に清泉が湧いてその芳しさが四方に広がって、病気平癒などの様々な奇跡が起こることから、862(貞観4)年に清和天皇より「御香宮」の名を賜り改名したという。しかし鎌倉初期に筑前国(福岡県)の“香椎宮”をこの地に勧請したので御香宮と称すという説がある。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定され桃山の伏流水として、伏水・伏見(ふしみ)の地名の起こりとされている。極彩色の手の込んだ彫刻によって埋められた華麗な建物
割り拝殿赤い大鳥居を潜るとすぐ左手側に表門がある。
1622 (元和8) 年、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を移築して寄進した。どっしりと落着いた豪壮な構えで貫禄を示している。特に正面を飾る中国二十四孝の物語の彫刻、蟇股(かえるまた)は桃山時代の建築装飾として一見に値する構築物として国の指定重要文化財である。鎧・甲冑、刀が展示している
徳川二代将軍秀忠の息女千姫の奉納した神輿参道の奥に割り拝殿(京都府指定文化財)がある。1625 (寛永2) 年、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進によるもので、割拝殿の構造となっている建物で中国の登龍門の故事に基づいた極彩色彫刻がある。
正面軒唐破風(のきからはふ)は、極彩色の手の込んだ彫刻によって埋められた華麗な建物である。極彩色がほどこされた牡丹や鷹に松、虎に竹や猿に栗、五三桐と唐草、蟇股などの彫刻は絢爛豪華な桃山文化を見ることができる。表門にあった中国二十四孝の物語を彫った蟇股
祭礼に使用するためお披露目している本殿(国指定重要文化財)は1605(慶長10)年、徳川家康の命により大亀谷から現在地へ戻したときの建物であり建立された。全て軒廻りは極彩色の絵画、彫刻を施して飾っている。また背面の板面の壁には柳と梅の絵を描いている。1990(平成2)年、約390年ぶりで極彩色の彫刻が復元された。
また御香宮神社では10月1日から9日まで秋祭りが行われている。古来伏見祭といわれている大祭は、9日武者行列や神輿巡行が行われる。背面は梅と柳
全て軒廻りは極彩色の絵画、彫刻を施して飾っている徳川二代将軍秀忠の息女千姫の奉納した神輿は日本一重く2250k、長さ5.1m、高さ3.5mもあり数度の修繕があり現在に至っている。祭礼で渡御の先駆なす雌雄の大獅々だが、重量が約60kもあるという。1821(文政4)年伏見奉行・仙石大和守久功から病気全快祝いとして大獅々一対を寄進された。だがこの獅々は大変重いため今では三町の若者に受け継がれ、獅々巡行が行われている。重さ約60kもある大獅々
拝殿の彫刻またお祭で甲冑や鎧、刀・金熨斗付太刀(きんのしつきたち)なども展示していた。
その他、本殿を取り巻くように絵馬堂・豊国社・大神宮・東照宮・松尾社・弁天社・稲荷社・末社が鎮座している。また、社務所庭園は小堀遠州が作庭した石庭で、拝観することが出来る。樹齢は明らかではないが400年を越すソテツの大木がある。大手筋は伏見銀座通り
樹齢400年のソテツ京都伏見は城下町、御香宮神社は極彩色の手の込んだ彫刻によって埋められた絢爛豪華な桃山文化の華麗な神社である。
またいつの日かゆっくりと訪ねてみたい。
<御香宮神社>
住所:京都市伏見区御香宮門前町174 電話:075-611-0559
境内:拝観自由
拝観庭園:9:00~16:00(200円)
交通:近鉄電車「桃山御陵前駅」京阪電車「伏見桃山駅」下車東へ徒歩5分
    JR奈良線「桃山駅」下車西へ徒歩5分

0 件のコメント: