岩手県平泉の中尊寺金色堂は平安時代後期の建立の仏堂である。850(嘉祥3)年、高僧・慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)により開基した天台宗の寺院である。建立当時は関山弘台寿院と号したが859 (貞観元) 年に中尊寺と改めた。
江刺郡の豊田館から平泉に移った奥州藤原氏初代藤原清衡が1124(天治元)年に建立したもので、京都宇治・平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、戦いで亡くなった人々の霊をなぐさめるため、仏国土を建設するため中尊寺一山の造営に着手した。
本堂は明治42年の再建で堂内には約1200年灯り続ける「不滅の法燈」が、総本山の比叡山延暦寺より分火され今も大切に護持している。
金色堂は、中尊寺山内のやや西寄りに東を正面として建っている。正面、側面共に柱間が3間で、平面の1辺が5.5メートルの小型の仏堂であった。堂は、昭和40年建設の鉄筋コンクリート造の覆堂(おおいどう)内にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断されていた。
遠い記憶なのだが昭和30年ごろ、小学校の遠足で来たことがあった。でも体調が悪く参加したけれどバスから一歩も出られなかった在りし日の想い出がある。
月日は流れて障害者になって古さと帰省折、その事をクラスメートの親友に告げるとお易い御用とばかり、実行に移した。なな、なっんと平成14年48年ぶりに実現しのであり感謝・感謝・感謝。
まず、お勧めは広大な敷地に平安時代の建物が再現されている“えさし藤原の郷”を見学、大河ドラマのロケ地としても使用されている。 次いで金色堂、極楽浄土とされる毛越寺の庭園。親友の計らいでえさし藤原の郷、中尊寺金色堂等々ドライブしたがまたいつの日か行って観たい。
今年3月11日岩手、宮城、福島の3県を中心とした沿岸部に未曾有の大災害をもたらした。震災で亡くなった数は1万5689人、行方不明者の数は6県で4744人、津波に巻き込まれて非業の死をとげた人々の御霊がある、多くの人々の無念の思いを和らげ、その魂を安らかに眠らん・・・そんな中、東北初の平泉・中尊寺金色堂が世界文化遺産の登録になった。
「金色堂 上下四壁は皆金色なり」の言葉を始め、収蔵する品々は文化財の宝庫で中尊寺創建当初の唯一の遺構は、復興を目指す被災地の人々の更なる励みになるだろう。
夏草や 兵どもの 夢のあと・・・・松尾芭蕉
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