5月23日、不肖ながら私、左橈骨遠位端骨折で京都市洛西のS病院に入院した折、本ブログをご愛読をいただいた方々からお見舞いの言葉や励ましのメールを賜りましたこと厚く御礼申し上げます。
友人たちから「最近、ブログの更新がないが、どうしているのでしょう・・」との問い合わせもある。退院以後、家事援助やリハビリ・デイサービス等と心身落ち着かず後回しになっていたが、やっと40日ぶりにブログ復帰再会する。
勧修寺(かんしゅうじ)と呼ばれているが、正式寺名は「かじゅうじ」である。
900年、平安中期の昌泰3年、京都市山科区に醍醐天皇が創建した門跡寺院である。本尊は千手観音で皇室と藤原氏にゆかりの深い寺である。
醍醐天皇が母(宇多天皇の妃)の菩提を弔うため、母の生家・宇治郡の大領であった宮道弥益(みやじのいやます)の邸跡と伝えられている。
境内には平安時代の姿をよくとどめる池泉庭園「氷池園」と呼ばれ、重要文化財の書院(江戸時代)、宸殿・本堂(江戸時代・京都市指定文化財)などがある。
小雨がシトシト降りしきる庭園は、拝観者もまばらである。拝観料の方にお聴きすると、「午前中の花なので午後は花は萎むが、今日は小雨が降っているから花は綺麗に咲いていますょ」といった。
早速「氷室の池」を半周し、生き生きと咲くスイレンや杜若を写真撮影した。
兼ねてから山科の勧修寺「氷室の池」に咲くスイレンや杜若を観賞したいとおもっていたがやっと実現した。
庭は勧修寺氷池園と呼ばれ池泉庭園である。氷室の池を中心に造園され周囲の山を借景した自然なままの美しさである。京都一、水鳥の多い寺と言われている氷室の池、前方30mのジャングルの中の島は夕方になると琵琶湖から帰って来る水鳥のお宿なそうだ。
氷室池を中心とする池庭は、1686(貞享3)年に後西院旧殿を賜って建てられたという。書院の南に広がる平庭の二つの部分は、南に更に広がっていたが、伏見城築城の際に秀吉に埋められ現在の大きさになった。1786(天明6)年の「拾遺都名所図会」刊によれば、15箇所の見所が描かれていが、当時の翠微滝は今枯れ滝となり中島の数も減っている。
夏のスイレン、冬の水鳥の群れなどは四季折々の美しさがある。背後には氷室池越しに南大日山の稜線が迫り、遠く醍醐の山々が望めその奥行感のある空間構成は見事の一言。また古く平安時代には、毎年1月2日にこの池に張った氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊穣を占ったと言われている。(なおこのブログは5月23日に遡ったものである)勧修寺つづく・・・
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