2011年8月19日金曜日

祇園祭 山鉾巡行2011

約一ヶ月遅れの祇園祭山鉾巡行(7月17日)を更新することを深くお詫びする。強力が「稚児下げ」をするうらの妙技 2011祇園祭マップ









日本三大祭の一つで『動く美術館』とも言われる祇園祭山鉾巡行は、京都中心地で繰り広げられた。山は一番くじで霰天神山
音頭取りの「ヨーイトセー」の掛け声
祇園祭の由来は1142年前、神泉苑で御霊会が行われたと伝られている。町衆が疫病退散を願って始まったとされる山鉾巡行は、駒形提灯やコンコンチキチン・コンチキチンの鉦・太鼓・笛の音色の祇園囃子で連なる山鉾は豪華絢爛な懸装品で飾られている。函谷鉾の曳き綱たち
油天神山、前田青邨画伯の紅白梅
晴天の下、今年は6年ぶりの日曜巡行とかさなり、大勢の観客が沿道を埋めていた。筆者はいつもの予定を変え午前8時半に新町御池西南に陣取った。
四条綾傘鉾、応仁の乱以前に遡る、踊り方は地域の小学生
予定は11時30分、巡行が来るまで3時間、いつもの事で待機、炎天下でジリジリするが、爽やかな涼風が吹いていた。ここで待ったのは鉾の「辻回し」や強力(ごうりき)の「稚児下げ」があり、アマ写真家の人々たちで場所は埋め尽くされていた。囃子方と屋根に乗った人たち、ウサギが見える
月鉾、重さ10tの鉾の車輪がギィ~と動く観衆見物客が見守る中、エンヤラヤーの掛け声とともに先頭の長刀鉾が生稚児を乗せやって来た。
先頭を支配する長刀鉾は唯一、生き稚児の白井君(11歳)と禿(かむろ)2名を従えて御池新町通へと進んだ。四条通の注連縄を一太刀で切り落とす姿は祭のハイライトでもある。
棒振り囃子で有名な綾傘鉾6人のお稚児さんがいるが2人撮影できなかった 稚児を担いでくるりと正面に振り返る見せ場の「おもて」は、地上から約5m、担がれた稚児の目線はさらに高く怖さのあまり“強力”にしがみつくそうだ!
新町御池での“稚児下げ”は「うら」と呼ばれ、強力は地味だが数倍難しいという、「鉾を向いて稚児を担ぎ、冠が上水引に注意し腰を落として反転する」のだそうだ。鶏鉾は16世紀ベルギー製の見送は重文
蟷螂山はカマキリが動くからくり仕掛けお稚児さんも最近やや太めになり5kgの冠や衣装を加えると総体重40kを超えるそうで、強力も重たく大変なようだ。神話・天の岩戸を題材した車輪付きの岩戸山
名水、菊水井があった菊水鉾毎回変わる曳山は霰天神山が一番くじ、あと孟宗山がつづく、長刀鉾の鉾頭は新たにプラチナ箔が施された、因みに大長刀は御所と神社を避け南向きだという。龍門の滝を昇り切った鯉は龍になる、鯉山
身重でありながら男装で勝利した船鉾音頭取りの『ヨーイトセー』の掛け声で車方が"割り竹”を敷き、水をかけて引き方が3,4回と引くと・・・重さ10tの鉾の車輪がギィ~と動き方向を90度回転、豪快に辻回しを披露した。橋のぎぼしに逆さに立った牛若丸、橋弁慶山
放下鉾は街角で芸をしながら仏法を説くところで、鉾と山の大きな違いは、鉾には真木(しんぎ)に支えられた鉾頭・吹散(ふきちり)がある。一方、山には山岳信仰に基づいて山を表す真松が立てられている。だが鉾と同じ形態で岩戸山や北観音山・南観音山は長さ13mほどの松を立てている。
炎天下、沿道は人垣だった動く美術館ともいわれる祇園祭、鉦や太鼓で祇園囃子を奏でながら都大路をゆっくりと進んだ。
32基の各山鉾には特徴があっておもしろい・・・今年は巡行しか行くことが出来なかった。

0 件のコメント: