2010年11月9日火曜日

かにかくに祭(祇園白川)

11月8日東山区祇園の白川沿いで祇園をこよなく愛した明治、大正、昭和の初期まで、歌人・吉井勇を偲ぶ「かにかくに祭」が催された。祇園新橋で、かにかくに祭が行われた祇園甲部の芸舞妓さんたち
“かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる”
大友さんと豆ゆりさん歌碑の由緒を記した立て札の除幕式
かにかくに碑”は吉井勇が古希(70歳)を祝って、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、1955(昭和30)年11月8日に歌碑が建立された。毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて勇をしのぶ「かにかくに祭」が行われている。 舞妓さんから献花
歌が詠まれて百年、没後50年の節目を迎えて立て札も建った歌人・吉井 勇(1886~1960)は、1886年鹿児島藩士吉井友実(伯爵)の孫として東京に生まれた。1909(明治42)年森鴎外とともに「スバル」創刊にあたり石川啄木や平野万里ら三人で交替で編集した。また北原白秋、木下杢太郎とともに「パンの会」を結成、歌集は酒や女に関した「酒ほがひ」や「午後三時」「水荘記」「蝦蟆鉄拐」等たくさんの著書がある。吉井勇は祇園をこよなく愛した芸舞妓さんが白い菊を供える
1933(昭和8)年結婚したがスキャンダル事件で高知の山里に隠棲、4年後再婚、翌年京都に移住し晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。 お茶屋の女将さんが献花
毎年、歌碑の前で祇園甲部お茶屋組合で行われている歌碑の建っている地は、祇園白川のお茶屋「大友(だいども)」があり、「大友」は当時文人・夏目漱石や谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたと言う。その大友には、女将で「お多佳さん(磯田多佳)」と言われる人がおって幅広い交流のある茶屋でもあったという。にこやかにお開きである
この芸奴は寿ゞ子さんこの日は朝から冬雨だったが11時ごろには小春日和が続き、歌碑の前で由緒を記した立て札の除幕式も行われた。続いて「かにかくに碑」の前で、芸舞妓さんが白い菊を供え、静かに手を合わせ献花した。祇園花街・舞妓が好く似合う二人の舞妓さんの記念撮影
報道関係や多くの写真愛好家や観光客らが訪れており、献花がはじまるとしきりにカメラのシャッターをきっていた。
今年はこの歌が詠まれて百年、没後50年の節目を迎え歌碑の由緒を記した立て札の除幕式も行われた。祇園花街を愛してやまなかった彼の感性を感じさせるものでもあり、風情のある石畳を歩いて文人たちの粋を感じ、白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようだ。
うしろ姿もだらりの帯白川通りは石畳と川の流れがあう歌碑のある場所は、四条通りから大和大路を北へ白川を渡って石畳の道を東へ行った白川の中間南側にある。
<かにかくに祭>
開催場所:祇園白川通り
開催期間:11月8日 午前11:00
お問合せ:075-561-1115
交   通:京阪「祇園四条駅」から徒歩5分
      市バスあり

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