“足腰お守り”で有名な護王神社は京都御苑の西側、蛤御門の向かいに鎮座する社で、祭神として和気清麻呂(わけのきよまろ)と姉の和気広虫(わけのひろむし)を祀っている。
もともとは和気清麻呂の氏寺高雄の神護寺にあったが1874(明治7) 年に遷座した。護王神社には、「狛犬」ならぬ雌雄一対の「狛イノシシ」?が建てられている。
和気清麻呂が京都より宇佐へ向かわれた際、災難にあわれたのをイノシシがお守りした故事にちなんで1880(明治23)年、護王神社の社には「狛犬でなく狛イノシシ」になり、以来シンボルとして親しまれている。
11月1日、平安時代の宮中の年中行事であった“亥子餅”の儀式を再現した神事「亥子祭」が営まれた。亥子祭は、平安時代、旧暦10月(亥の月)亥の日に行われていた宮中の御玄猪(おげんちょ)の儀式を再現した神事で、聖上(宮司)がついた餅を食べることによって、無病息災と子孫繁栄を祈る行事で午後5時より始った。
平安朝の古儀を再現した優雅な祭で、雅楽が流れるなか平安装束に身を纏った聖上(宮司)以下祭員と五人の奉仕女房が拝殿の上で亥の子餅をつく儀式を執り行なった。
亥子祭は三つに分かれ神事が本殿ノ儀となり、次に御春ノ儀で拝殿の座に着く、五人の奉仕女房は式司の前に臼杵等々の御春式を整えて、式司は臼に粉餅を入れ女房が水をそそぎ、杵で餅をつき式員は古歌「神奈月」を唱える。
式司以下、式員が袖で口を隠して「いのちつくつかさ」と唱え、女房が袖で口を隠して「いのちつくさいわい」と唱える。つき上がった亥子餅を、神前に奉り御所献上の餅を唐櫃におさめる。
出来上がった餅を献上する為に提灯行列を伴い、蛤御門をめざし御所に向うことを禁裏御玄猪調貢ノ儀という。
祭典後、亥子餅献上ノ儀の行列は同社から蛤御門・御所清所門に入り、餅を朝貢列(貢物を捧げること)によって京都御苑に献上する。その後、同社では饗宴ノ儀があり境内で餅つきが行われ亥子餅が参拝者に振舞われたが残念ながら帰路に着いた。
亥子囃
亥の月 亥の日 亥の子刻
厄除 三種の 亥子餅
舂くつく つく つく
命つく つく それ幸なあーそれ幸なあー
猪しゃ 餅食って ほーい ほい
和気さん お出まし えーい
えーい えい えーい えい
護王神社は別名いのしし神社とも呼ばれ足腰の守護神としても知られている。
亥子祭は始めての体験だったが、平安朝古儀豊かな装束に身を纏い厳かで優雅な神事に訪れた人々は見入っていた。
<亥子祭>
場所:護王神社
日時:11月1日午後5:00~
住所:京都市上京区烏丸通下長者町下る桜鶴円町
電話:075-441-5458
拝観:境内自由
交通:地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、北へ徒歩約5分
市バス「烏丸下長者町」下車すぐ
障害者:可
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