2009年4月8日水曜日

清流亭:しだれ桜

青空とさくらが美しい
清流亭としだれ桜京都南禅寺北西界隈(明治維新までは南禅寺塔頭が建っていた地)に、「庭園」が並ぶ。庭園は東から碧雲荘・清流亭・(織寶苑)があり、南西方向に(洛翠)・真々庵と続いている。また、正面には元首相、細川家別邸がある。野村別邸(碧雲荘)正面には細川家別邸
閑静な別荘地京都南禅寺北西、清流亭は野村別邸(碧雲荘)の西側にあり、しだれ桜の美しいところがある。病院リハの療法士の先生からのお薦めで知った。学生時代、南禅寺北西は通学路だったという!しだれ桜が美しい!
道路脇から花見が出きる清流亭清流亭は非公開で河内智識寺西塔心礎(しんそ)が現存すると云う。野村美術館もすぐ近く、碧雲荘の西側にある。この地は南禅寺塔頭楞巌院(りょうごんいん)の地と云う。明治時代になって南禅寺から政府に上納したもので上地になった。野村別邸(碧雲荘)の桜しだれ桜から西塔心礎がみえる
明治42年滋賀出身の実業家、塚本与三次がこの地に邸宅を構えた。庭園は小川冶兵衛(植治)作庭、数奇屋は北村捨次郎作という。このころ、塚本は小川とともに、南禅寺界隈の別荘地開発を手がけた。老木が見ごとな花しだれ桜の競演
明治 大正きっての数奇屋工匠、北村捨次郎が創意をこらした表構えや茶室に書院、植治の小川冶兵衛の手による庭園、東山を借景に静かに時を刻む…。
琵琶湖疏水から引き入れたせせらぎが奏でる風趣に大正4年、東郷平八郎が「清流亭」と命名したという。
だが大正14年この邸宅は2分割され西側は三菱財閥の岩崎小弥太邸、東側は近江長浜出身の実業家、下郷伝平邸に渡った。
現在、東側は清流亭、西側は織寶苑となった。清流亭は大松(株)京都室町の所有で“非公開”だが、特別公開があるようだ
インクラインの桜清流亭は大松(株)京都室町の所有で“非公開”だが、特別公開があるようだ!
一般人には確認の方法がないのが現状であるが、京都の街にも花があふれて百花繚乱のころである。
めぐる生命の喜びを、あらためてこの季節が教えてくれているような気がした…

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