9日、上賀茂神社で午前10時から、長寿を願う「重陽の節句(ちょうようのせっく)」が行なわれ子どもたちが相撲が奉納する「烏相撲(からすずもう)」があった。
平安時代から続く伝統行事で、起源は、祭神の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が神武天皇東征に際し、八咫烏(やたがらす)に姿を変えて先導したという故事がある。
烏相撲は、皇女・齋王が陪覧(ばいらん)したという結びつきが深く、
第62代・齋王代を務める富田紗代さんは神事へ向かった。
土舎(つちのや)に集合し、水で清めた。
神事のため本殿に、艶やかな十二単(じゅうにひとえ)に身を包んで玉橋を渡った。
斎王代とお付きの禿(かむろ)2名は緊張の面持ちで約一時間頭を垂れた。
禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)の衣装、地元の氏子の相撲童子。
午前11時、立砂(たてずな)のある細殿前に斎王代の富田さんとお付きの禿(かむろ)たちが来た。
禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分れ、地元の氏子の童児が真っ白な褌一丁姿であった。
土俵では神職が円を二つ書き、その上を8の字形に歩くという烏相撲。
無言で読まれる儀式が行われ、烏相撲は現在も昔の風習に祖っている。
白装束に烏帽子(えぼし)姿の刀祢(とね)と呼ばれる役が、小刻みに片足で2回横飛びしてカラスのようにピョンピョン跳ねながら立砂の前に弓矢や刀などを奉納し、「カーカーカー」「コーコーコー」と鳴き真似をした。
行司がそれぞれの相撲童子を引つれ、土俵中央から斎王代の正面に進み出て礼をする。
細殿前では、今年の葵祭の斎王代(富田さん)が艶やかな十二単(じゅうにひとえ)に身を包み烏相撲を見物した。
奉納の烏相撲は熱戦が繰り広げられた。 地域の氏子の小学校3年生から6年生までの男児、約20名を選抜、市無形民俗文化財の指定を受け保存会の人たちの協力で成り立っている。
古来宮中で行われた五節句の一つで、九という陽の数字が重なることから「重陽の節句」といい、この日に菊酒を飲んだり、菊花についた露で肌を拭ったりして災厄を祓い悪霊退治の信仰行事となったという。(9/9撮影)
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