つづく・・・寒い冬を乗り越え、一輪また一輪と咲くけな気な姿、不老・高山の樹齢400年を筆頭に350年・250年など盆梅はその手入れする人たちに懸かっているとおもった。
まだ10時を少し廻ったところである、本来ならメーンの長浜盆梅展をじっくりと観察・観賞するところだが、一先ず慶雲館の盆梅展に暇を付け先を急ぎ、徒歩10分余りで長浜城に着いた。長浜は古く今浜と呼ばれ、天正元年、織田信長は浅井氏の旧領湖北12万石を羽柴秀吉に与えたのが始まりと伝わる。湖畔に初めて居城を建て、今浜から長浜に改めた。
長浜城には、3層の天守が建てられ、中は資料館となっている。2・3層まではエレベーターで上がり、天守閣には階段で昇らなければならない。
天守閣に上がって東西南北、城下をぐるっと眺め一周した。東は雪をかぶった伊吹山、だが少し残念なのは高層マンションが立ちはだかっている!
西の方向は大湖の琵琶湖が眺め、その向こうに小さく竹生島が見えた。竹生島めぐりの観光船で琵琶湖に浮かんだ城の姿を見ることができるという。また城下には太閤の井戸もある、さらに琵琶湖は日本の夕陽の百選にもなっているという。1983(昭和58)年、長浜城は再興され、現在歴史博物館として歴史的な資料を数多く展示している。春、桜満開のころ、城下の桜を散策しょうとおもった。
長浜駅前通りと北国街道が交わるところに旧開知学校がある。この建物は1871(明治4)年9月、長浜に県下で最初に「滋賀県第一小学校」が建設され、その三年後、木造3階、八角塔屋付の擬洋風建築の校舎が建てられた。
当時、建築費用は地元住民による寄付金で、長浜の人々が教育に関して熱心であったことがわかる。城下町の面影をのこす長浜の街・北国街道は中山道と北陸路を結ぶ主要道で、古くから人や物資が行き交う宿場町として栄えてきた。秀吉は城下に楽市楽座を取り入れ長浜の町を商業の基礎を築いた。
江戸末期に建てられた紅殻格子の家並みや白い土蔵を持つ商家など、伝統的な文化様式を残す町家が多く軒を連ね、昔ながらの面影が色濃く残っている。
北国街道は江戸時代に高札が立ち、現在でも「札の辻」と呼ばれ、古くから長浜の中心だったこの辻1900(明治33)年、壁が黒塗りの銀行が建てられたことから、「黒壁銀行」の愛称で親しまれ、今でも黒壁という名が残っている。
近年は町家を改築、民宿や赤レンガの洋館が建設され街並みに新たなアクセントが生まれた。
長浜の街並みは古い佇まいと素朴ながらも心地よく安らぎを求めて、多くの観光客らで賑わっている。
つづく・・・
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