京都で節分といえば真っ先に思い起こされるのか左京区の吉田神社であろう!
それに新撰組でお馴染みの洛中の壬生寺である。
京都の守り神は、吉田神社・八坂神社と壬生寺・北野天満宮の四社寺「四方詣り(しほうまいり)」として参詣し無病息災、招福繁栄をねがい町衆の文化が深く根付いたものといえる。
京都北野の地は「乾の隅(いぬいのすみ)」即ち西北にあたり、古くより節分には北野の追儺(ついな)式として節分の行事が行われたという。
天神さんの「追儺狂言」もさる事ながら、上七軒の綺麗どころ観たさに10時過ぎごろ行ってみた。楼門左前には、文道の大祖・道真公の句がかかっている。参詣後、神楽殿へ向かったが一人二人位で、少し早咲きの梅やロウバイを観賞するがどちらも花の香りは強かった。
神楽殿へ半時間後いったが、正面よりやや右側が好く、長年上七軒歌舞会を写真愛好家は言っていた。左端の老人は兵庫県西宮から来ていたが、地デジになって不便なのはローカルTVが写ら無くなった事だと言う!VIDEO撮影をしていた。
また、右側は4日に東京に帰京するという女性だった。半月前から京都見物で宇治の平等院や桂離宮など隈なく廻っていた。仕事は何かと尋ねると、子ども関係のお仕事で、忙しく来ることも無かったと応えて、退職し念願の京都観光を真っ先に実行したと仰っていた。明日帰るが天龍寺と竜安寺、どちらも観たいという。話をしていると時間が早く過ぎると同時にたくさんの参詣者が神楽殿の周囲を囲んだ!! それに新撰組でお馴染みの洛中の壬生寺である。
京都の守り神は、吉田神社・八坂神社と壬生寺・北野天満宮の四社寺「四方詣り(しほうまいり)」として参詣し無病息災、招福繁栄をねがい町衆の文化が深く根付いたものといえる。
京都北野の地は「乾の隅(いぬいのすみ)」即ち西北にあたり、古くより節分には北野の追儺(ついな)式として節分の行事が行われたという。
天神さんの「追儺狂言」もさる事ながら、上七軒の綺麗どころ観たさに10時過ぎごろ行ってみた。楼門左前には、文道の大祖・道真公の句がかかっている。参詣後、神楽殿へ向かったが一人二人位で、少し早咲きの梅やロウバイを観賞するがどちらも花の香りは強かった。
神楽殿へ半時間後いったが、正面よりやや右側が好く、長年上七軒歌舞会を写真愛好家は言っていた。左端の老人は兵庫県西宮から来ていたが、地デジになって不便なのはローカルTVが写ら無くなった事だと言う!VIDEO撮影をしていた。
午後1時からは、神楽殿に於て茂山千五郎社中による福の神が鬼を払う「北野追儺狂言(ついなきょうげん)」である。昔、悪鬼は深泥が池に棲み魔所とされ常に不浄を避け、手厚くお祀りをせねばならない大切な場所とされていたという。
この日、狂言とともに行われる「追儺」“鬼やらい”の儀式は、向う一年の災厄を祓い病いを除く祈りをこめた年中行事であり災難厄除けのお札、お守り及び銀幣が特別授与されている。また上七軒歌舞会による日本舞踊が奉納され次いで「豆まき」が行われた。
千本釈迦堂のおかめ節分会とつづく・・・
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