拾翠亭は、江戸時代の後期に、当時の五摂家の一つである九條家の別邸として約200年前に建築されたと伝えられている。茶室・拾翠亭は、文化人の社交の場として貴族や公家などの茶会や歌会に使用された。
藤原鎌足(かまたり)を遠祖とする流れを汲む九條家は、摂政関白などの要職に就く人が多く、安土桃山時代には、京都御所の南側に約1万坪の敷地を有する名家であったという。現在、茶室・拾翠亭だけが現存している。
名前の由来「拾翠」とは、緑の草花を拾い集めると言う意味があり、その昔平安時代に貴族の人々が長閑な日に野辺に出て、草花を摘んで楽しんだ風習に因んで名づけられた。また「翠」という文字には、緑の美しい鳥である“カワセミ”の意味もあり、かつて勾玉池・まがたまのいけ(九條池)に数多くのカワセミが飛来したから「拾翠」と言われている。
建物は、数寄屋風書院造り二層からなる。二層の外回りには、縁高欄(えんこうらん)と言う手すりが施されており、また屋根の形も「切妻造」「入母屋造」が組み合わされて、簡素な中にも貴族的な優美な外観を呈している。
一階は主として、十畳の茶室の広間と七畳半の控えの間、さらに広間の北側の三畳中板の小間になっており、広間と小間が隣接しているのは、この二つの茶室で貴族や公家がお茶を楽しんだもので、現存する貴族の茶事の習わしを知る上で貴重なものである。
広間、控えの間は襖をはずせば17畳ほどの広さになって、部屋の機能を可能にさせ、より充実させる空間。小間、床柱に百日紅の曲げ木を使い、床框(かまち)は黒柿、特に落掛は南方の“ヘゴシダ”が使用され珍しい。
障子の張り方は、石垣貼り、丁子七宝の彫刻もされている。
拾翠亭の前に広がる池は、その池の形から勾玉池と呼ばれている。現在は九條家を偲んで九條池とも呼ばれている。当時は、池の東側の木立が繁っておらず、邸内から東山の山並みや五山の送り火を眺めることができたと伝えられている。また、勾玉池の東南隅には鴨川から水を引き滝組が設けられている。
夏、勾玉池の畔は、たくさんの百日紅(さるすべり)が植えられ一面紅色の花で覆われる。 東山を借景に、勾玉池に架かる白い橋と百日紅の紅色の花、緑の木々、池に映る色合いが見事なコントラストを見せてくれ茶室からの景観は素晴らしい。当時の面影を残す、貴重な文化遺産である。つづく・・・
<拾翠亭>
場 所 :京都市上京区京都御苑内 電話:075-211-6364
参観日:3月1日~12月27日までの毎週金曜日、土曜日
葵祭、時代祭、春・秋御所の一般公開日
時 間 :9:30~15:30
料 金 :100円(高校生以上)
交 通 :市営地下鉄南北線、丸太町下車徒歩5分
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