2010年9月7日火曜日

みちのく紀行 八幡神社

本殿
八幡神社の前景続く・・・この八幡神社の例祭日は11月1日、五穀豊穣の稔りを感謝して行っていたが、今では9月10日に改められた。八幡様は勝負事の神様だが、地元は米処で五穀豊穣を祈っている
祭神は品陀和気命、白山姫命、大己貴命祭神は品陀和気命、白山姫命、大己貴命(本宮合併)で、下小山田一円が氏神としている。
本殿は5尺四面高腰向拝附で、小さく拝殿及び神楽殿がある。無人の社務所があり境内には貴船神社があった。ここにも貴船神社があった?
天照皇大神の石碑読むこともなかった神社の“由緒”だが・・・
「人皇70代後冷泉院天皇の御代、永承6年陸奥の安部頼時及び、その子貞任宗任等謀反し同7年、源頼義・義家父子朝命を奉し任討せんとするも、賊兵日に勢強く益々猖故容易にこれを征服する・・・・・・・頼義、天喜元年この地に神の社を建て八幡大神を招請し奉う。
戦勝の祈願を執行しかつ、緒民をして治国安民のため遙拝をなさしむ、既にしてその功空賊兵日増して勢衰へ阿倍頼時先に亡びて、その子貞任等は滅亡・・・。
官軍遂に勝利を得るに至る。時にこれ、康平5年8月10日翌6年8月15日、ここの神跡地に八幡大神をさらに勧請し緒民の祈願所となったという。俗に郷里八幡と称す、その一つ也。後に白山姫神を相殿となし、二神を鎮座し小山田鎮守八満宮と奉称す」となっている。郷里の家は手前木がvの字のあたり
稲にはイナゴ、歩く度に跳ねる!!由緒ある八幡神社、澄み渡った空気・田園風景と稲穂が流れる長閑なときであった。 つづく・・・

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