十二月十四日、法住寺に於いて義士会法要が行われた。
法住寺は永祚(えいそ)元年(989)、平安時代中期に藤原為光によって創建された。十四日は赤穂浪士の討入りの日で、法住寺には大石内蔵助良雄(くらのすけよしたか)翁が仇討ち祈願をした身代わり不動がある。
広大な寺域を誇った古刹で、後白河法皇の院御所として栄えた法住寺殿の御聖跡で法皇の墓所である法華堂を祀っている。元々は大興徳院と言い、後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続した。明治になって御陵墓と境域が分かたれ、昭和30年に法住寺の名を寺名したという。
御本尊の「身代不動明王」像は平安期の作で、寺伝によればこの不動像は慈覚大師が造立したといわれ、後白河法皇の念持仏として信仰も篤かった。木曽義仲が院御所に討ち入った際、法皇が難を逃れたため、身代り不動と呼ばれている。
現在も毎年11月15日には不動会(ふどうえ)が営まれている。
赤穂義士・大石内蔵助良雄翁は、ここ法住寺を同志との連絡・会合の場とし、この身代り不動に詣でて大願成就したといわれ、坊内には赤穂義士の遺徳を偲んで四十七士の木像が安置されている。
大石内蔵助良雄翁が京都山科に隠棲していた事から、赤穂浪士装束の人々が練り歩くが江戸や赤穂だけでなく、法住寺でも法要が行われ四十七士木像や大石内蔵助直筆の手紙などが所蔵され義士の遺徳を偲んでいる。
法要に際し赤松住職が経を上げるなか、祇園宮川町の舞妓さんによる献茶式でご本尊の「身代不動明王」像と大石内蔵助良雄翁・赤穂義士四十七士木像にお茶を献じた。法要ののち献茶式、討入そばの接待もあった。
20年ぶりという島原の「嶋太夫」も来ていて素足に高下駄姿の太夫が独特の所作で「内八文字」を踏んで歩く姿が真近くで観られた。
その後坊内に上がり四十七士木像に礼拝。また昔「雲井太夫」が法住寺に縁があったという事で坊内には遺品があった。
帰り際に住職にお礼を申し述べ、すると「右手が不自由やね!」手をとり両手で包んでくださった。初めて法住寺に行ったが、縁とは不思議なものと思った。
後白河天皇法住寺陵は法住寺と隣接するところにある。なお、法住寺では後白河天皇の形見の仏像が書院の修理中、発見され書院・庫裏の落慶式に合わせて20日から28日まで一般公開される。
<法住寺>
住所:京都市東山区三十三間堂廻り町655
電話:075-561-4137
拝観:9:00~17:00
拝観料:500円
写経会:1,000円(第3日曜1,500円)
障害者:可
駐車料:30台(無料)
交通:京阪七条駅より徒歩約10分
市バス三十三間堂前下車徒歩直ぐ
交通:京阪七条駅より徒歩約10分
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