2009年12月10日木曜日

大根焚き 大報恩寺(千本釈迦堂)

通称:千本釈迦堂の名前で知られる上京区にある大報恩寺(だいほうおんじ)は、今出川通り「上七軒」バス停を北へ200mの所にある。
大報恩寺は真言宗智山派の寺院で山号は瑞応山(ずいおうざん)という。千本釈迦堂の山門 7日8日は、毎年大根だきが行われる
おかめ節分や、“大根焚き”の風物詩で知られる。穏やかで暖かい小春日和に誘われて千本釈迦堂は大勢の善男善女の人たちで賑わった。抹香のかおりを浴びながら参拝者は手を合わせていた
本堂大報恩寺は鎌倉時代初期の安貞元年(1227)本堂(国宝)は義空上人によって創建された。義空は藤原秀衡の孫、比叡山で修行の後ここを建立した。本堂は摂津の材木商の寄進をうけ完成、建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている。倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学を朝廷より許された。
本堂は応仁・文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっている。また近隣の北野天神(北野天満宮)門前にあった「北野経王堂」の遺物も保管されていて、「明徳の乱(山名氏清の乱)」を足利義満が悼んで応永8年(1401)に建立したものである。本堂内には柱に刀・槍の傷跡が見られ当時の歴史の一こまを物語っている。柱に刀・槍の傷跡が見られる
おかめの秘話があるまた、本堂造営工事には秘話がある。棟梁になった長井飛騨守高次は、誤って柱1本を短く切り、途方にくれていた。その様子を見かねた妻「おかめ」が、長さを補う方法を進言して、高次は無事竣工させたという。しかし、おかめは、一切を秘すため上棟式の前日に自刃した。妻の心情にうたれ高次は当日、御幣の先にお多福(おかめ)の面を飾り冥福を祈った。こんにちでも、上棟式の御幣に、「おかめの面」をつけて建築成就、厄難消滅、家業繁栄を祈る風習があるのはこの故事によるという。厄除け、無病息災、中風封じを祈願する人でいっぱい
暖かな小春日和に誘われて境内の外まで長い列が出来ていたなお節分会は、おかめ節分ともいって「おかめ塚」で豆まきやおかめ音頭などが行われる。釈迦の悟りを祝う12月8日の法要
直径1メートルの大鍋と給仕する方たちところで、厄除け、無病息災、中風封じを祈願する「大根だき」だが、鎌倉時代に同寺の僧が、釈迦の悟りを祝う12月8日の法要、成道会で切り口に梵字を書いた大根を参拝者にふるまったのが起源の始まり。ふうふうと味のしみた大根をほおばっていた
参拝者が1わん1000円の大根だきに長い列を作っていた8日は朝の冷え込みも無く、暖かな小春日和に誘われて境内の外まで長い列が出来ていた。
境内に並べた直径1メートルの大鍋の周りには多くの参拝者が1わん1000円の大根だきに長い列を作って湯気が立ち上る、味のしみた大根をほおばっていた。
おあげと大根が焚かれ、辺りは大根の甘い香りが漂っていた、2日間でおよそ5000本の大根が使われるという。 生大根一つ1000円であった
本堂の境内の前は長い列二十四節気の1つで、寒さが厳しく雪が降り始めるとされる「大雪(たいせつ)」の時期に毎年行われる「大根(だいこ)だき」は京都の師走の伝統行事である。
大報恩寺(千本釈迦堂)
住所:京都市上京区五辻通六件町西入ル溝前町1305
電話:075-461-5973  
拝観:境内自由・9:00~17:00(本堂、霊宝館 大人500円)
交通:市バス「上七軒」下車、北へ徒歩約2分。
障害者:可

0 件のコメント: