秋分の日、歴史のある高瀬川の魅力を伝える「高瀬川舟まつり」が催された。
高瀬川は江戸時代、豪商角倉了以(すみのくらりょうい)が二条~伏見間に開いた運河で、重要な物資輸送路となった高瀬川に高瀬舟を運航したことによる。
「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言うが、全長約11,1m川幅、平均8mで9ヶ所の船出入りが設置され総工費七万五千両を要した。「木屋町」という町名は、材木屋の問屋が多かったという。
盛時には百数十艘が往来し大阪などに物資を運びいれた。高瀬川一之船入は京都の江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として史跡に指定されている。
きれいな高瀬川を伝えようと1991年から地元の人たちが中心になり“高瀬川舟まつり”は始められて20回目という。
二条大橋に程近い高瀬川の一之船入付近では、江戸時代に使用された平底の舟が復元されていた。まつりに合わせて復元された舟に家族連れや観光客らが岸から移って川面の風景を楽しんだり記念写真を写していた。
特に高瀬川舟まつりのメインは先斗町の舞妓さんが舟に乗って華を添える!
皆、ここぞとばかり、カメラのシャッターを押していた。舟まつりでは舞妓さんのお茶の接待などもあった。また高瀬川舟まつりに限り、隣の島津創業記念資料館・がんこ高瀬川二条苑も無料だった。
その他の写真
高瀬川は江戸時代、豪商角倉了以(すみのくらりょうい)が二条~伏見間に開いた運河で、重要な物資輸送路となった高瀬川に高瀬舟を運航したことによる。
「高瀬舟」で知られる「一之船入」とは、高瀬川の水運の起点辺りを言うが、全長約11,1m川幅、平均8mで9ヶ所の船出入りが設置され総工費七万五千両を要した。「木屋町」という町名は、材木屋の問屋が多かったという。
盛時には百数十艘が往来し大阪などに物資を運びいれた。高瀬川一之船入は京都の江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として史跡に指定されている。
きれいな高瀬川を伝えようと1991年から地元の人たちが中心になり“高瀬川舟まつり”は始められて20回目という。
二条大橋に程近い高瀬川の一之船入付近では、江戸時代に使用された平底の舟が復元されていた。まつりに合わせて復元された舟に家族連れや観光客らが岸から移って川面の風景を楽しんだり記念写真を写していた。
特に高瀬川舟まつりのメインは先斗町の舞妓さんが舟に乗って華を添える!
皆、ここぞとばかり、カメラのシャッターを押していた。舟まつりでは舞妓さんのお茶の接待などもあった。また高瀬川舟まつりに限り、隣の島津創業記念資料館・がんこ高瀬川二条苑も無料だった。
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