妙法院と智積院の間の女坂と呼ばれる長い坂道を上がると豊臣秀吉の廟所、豊国廟がある。豊国神社から東方に1Kmほど離れた阿弥陀ヶ峰山頂には、豊臣秀吉を埋葬した墓所、五輪石塔がある。
豊国廟前の太閤担(だいら)といわれる広い境内には拝殿もあり神社跡地には、秀吉の側室松ノ丸殿と秀頼の子 国松の五輪塔が建っている。
拝殿横に受付があり、“豊国廟登拝券”を支払いするか、無人の場合は石段下の貯金箱のようなものにお金を入れる仕組みになっていた。石段から先は有料、長い石段が続く。
木々の緑陰のなか、まっすぐ延びた長い石段を休憩しながら一段一段とゆっくり登る!最初は足取りも軽かったがすぐヘトヘトになった!10段も登ると息が切れた!
慌てる事なない・・・石段に腰を下ろして一服した。
2,3人の参拝者がすれ違うだけの秀吉の廟所である・・・さぁ~歩こう!
しかし、また、10段も石段を登ればゼイゼイ息が苦しい。
一人の方に行き詰めれば終わりがと尋ねた!「もう少しですょ。がんばって・・・」320段の石段を登った途中、神門があった。ここから急角度の石段は170段もあり阿弥陀ヶ峰の頂上には秀吉の墓所、五輪石塔があった。慶長3年(1598)8月18日、秀吉は63歳を以って伏見城で亡くなった。遺言により阿弥陀ヶ峰中腹に葬られ、廟堂と社殿が建立、しかし、元和元年(1615)、豊臣氏の滅亡と共に廟は破壊され、墳墓に弔する人もなく荒廃した。
明治30年(1897)秀吉の300年忌に際し、廟が再建され、墳上には巨大な五輪石塔(御墳墓高さ約10m)が建てられた。
この正面石段は、489段だったがさて下山方法は・・・帰りはくれぐれも慎重に一段一段無事歩を進めた。
この地は、時代劇の映画のロケ地としても有名な所なそうである。
次回は方広寺を更新する予定
豊国廟前の太閤担(だいら)といわれる広い境内には拝殿もあり神社跡地には、秀吉の側室松ノ丸殿と秀頼の子 国松の五輪塔が建っている。
拝殿横に受付があり、“豊国廟登拝券”を支払いするか、無人の場合は石段下の貯金箱のようなものにお金を入れる仕組みになっていた。石段から先は有料、長い石段が続く。
木々の緑陰のなか、まっすぐ延びた長い石段を休憩しながら一段一段とゆっくり登る!最初は足取りも軽かったがすぐヘトヘトになった!10段も登ると息が切れた!
慌てる事なない・・・石段に腰を下ろして一服した。
2,3人の参拝者がすれ違うだけの秀吉の廟所である・・・さぁ~歩こう!
しかし、また、10段も石段を登ればゼイゼイ息が苦しい。
一人の方に行き詰めれば終わりがと尋ねた!「もう少しですょ。がんばって・・・」320段の石段を登った途中、神門があった。ここから急角度の石段は170段もあり阿弥陀ヶ峰の頂上には秀吉の墓所、五輪石塔があった。慶長3年(1598)8月18日、秀吉は63歳を以って伏見城で亡くなった。遺言により阿弥陀ヶ峰中腹に葬られ、廟堂と社殿が建立、しかし、元和元年(1615)、豊臣氏の滅亡と共に廟は破壊され、墳墓に弔する人もなく荒廃した。
明治30年(1897)秀吉の300年忌に際し、廟が再建され、墳上には巨大な五輪石塔(御墳墓高さ約10m)が建てられた。
この正面石段は、489段だったがさて下山方法は・・・帰りはくれぐれも慎重に一段一段無事歩を進めた。
この地は、時代劇の映画のロケ地としても有名な所なそうである。
次回は方広寺を更新する予定
0 件のコメント:
コメントを投稿