2009年9月19日土曜日

京都 豊国(とよくに)神社

豪華絢爛な唐門(国宝)
豪華絢爛な唐門(国宝)
豊国神社は京都東山の七条大和大路上るにある。
祭神は豊臣秀吉を祀り、一般に「ホウコクさん」の呼称で人々に親しまれている。
鳥居をくぐり参道を進むと、国宝の三唐門とも呼ばれているうちの一つ、伏見城の城門を移築したと云われる豪華絢爛な唐門(国宝)が見える。
本殿に礼拝する巫女・神主拝殿唐門の奥に拝殿、本殿があり関白太政大臣正一位豊臣秀吉公を神とし祀っている。秀吉の死去の翌年の慶長4年(1599)遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立された。古式豊かに舞う舞楽
舞楽の奉納後陽成天皇から正一位の神階と「豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)」の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。
しかし、元和元年(1615)大阪夏の陣により豊臣宗家が滅亡すると、徳川幕府により神号が廃され、社領は没収、社殿は徹底的に破壊され朽ちるままにされた。
秀吉の御霊は新日吉(いまひえ)神社に密かに移し祀られた。瓢箪の絵馬
燈籠明治元年(1868)明治天皇が大阪に行幸したとき、天下を統一しながら幕府は作らなかった豊臣秀吉の尊皇の功績を認め豊国神社の再興を布告した。また明治6年(1873)別格官幣社に列格した。
その後、明治13年(1880)方広寺大仏殿跡地の現在地に社殿が完成し、復興された。唐門は伏見城の遺構と伝え二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたものでその両脇の石灯籠は秀吉思顧の大名が奉献したものである。往年の芸能人が瓢箪の絵馬を掲げた
提灯と瓢箪の絵馬
9月18日は死後、411年豊臣秀吉の命日(旧暦8月18日)にあたり例祭が営まれた。方広寺並びに豊国廟についても阿弥陀ヶ峰の頂上に上って来たが次回更新をする。

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