洛西南春日の大原野神社で9月13日に御田刈(みたかり)祭があり奉納相撲が行なわれた。大原野神社は奈良春日大社から勧請を受けたもので、京春日(きょうかすが)の別称もある由緒正しき神社である。祭神は春日大社と同じで、武御賀豆智命(武甕槌命)・伊波比主命(経津主命)・天之子八根命(天児屋根命)・比咩大神(比売神)である。
大原野神社の特殊神事御田刈祭は、享保二年(1717)から続けられている秋の五穀豊穣を奉謝する祭儀で、神事のあと相撲の奉納が行われた。
相撲は神(かみ)相撲と呼ばれ、氏子を代表する力士二人「氏神・(藤原氏・北春日と秦氏・南春日)」が清めの塩を包んだ白紙を口にくわえて、四本柱をご神酒と塩で清めて相撲をとるもので、二回戦が行われ両者「引き分け」で争いが起こらないように助け合って神に誓いを立てるという慣わし。
神相撲に引き続き、少年横綱土俵入と洛西地区小学生四年生から六年生による「豆力士」の奉納相撲大会が行われた。
さらに御田刈祭のメインの一つ、赤ちゃんが相撲をする「泣き相撲」が行われ一歳前後の男子乳児による「赤ちゃん土俵入り」があり、大いに賑わった。
京都の泣き相撲は大人が赤ちゃんを抱えて、土俵でシコを踏み、最後に土俵に寝かせて土をつけるとスクスク元気に育つ、という縁起ものの儀式で参加人員は30名あまりと多数だった。
赤ちゃんはベビー服を着替えし、その柔肌には小さな“フンドシ”が巻かれ「祈・大原野神社・健」の文字が書れていた。母親から引き離され、行司に抱えられて土俵入りした赤ちゃんは神相撲の二人の力士に預けられる。
力士は、赤ちゃんを抱えながら左手と右手で「ヨイショ、ヨイショ」とシコを踏む儀式をする。おとなしい子・泣き叫ぶ子など・・・中には眠り続ける子や平気な顔をしている豪傑な男子もいる。しっかりと土俵の上に足を踏ん張り、ゴムのようにビヨーンと反り返りなかなか仰向けにできない赤ちゃんもおった!
二人の力士も抱っこしてシコを踏む役も儘ならない!会場は笑いが絶えない・・・
無事、縁起の儀式を終えやっと母親の手の抱かれた赤ちゃんは、鹿が描かれた「ちえ守り」の榊を授与される。“赤ちゃん土俵入り”が出来るのは生誕一歳前後の男児、南区や向日市からも来ていた。
国技でもある大相撲秋場所も始まったが相撲は神事としての意味深いものがある。つづく・・・
大原野神社の特殊神事御田刈祭は、享保二年(1717)から続けられている秋の五穀豊穣を奉謝する祭儀で、神事のあと相撲の奉納が行われた。
相撲は神(かみ)相撲と呼ばれ、氏子を代表する力士二人「氏神・(藤原氏・北春日と秦氏・南春日)」が清めの塩を包んだ白紙を口にくわえて、四本柱をご神酒と塩で清めて相撲をとるもので、二回戦が行われ両者「引き分け」で争いが起こらないように助け合って神に誓いを立てるという慣わし。
神相撲に引き続き、少年横綱土俵入と洛西地区小学生四年生から六年生による「豆力士」の奉納相撲大会が行われた。
さらに御田刈祭のメインの一つ、赤ちゃんが相撲をする「泣き相撲」が行われ一歳前後の男子乳児による「赤ちゃん土俵入り」があり、大いに賑わった。
京都の泣き相撲は大人が赤ちゃんを抱えて、土俵でシコを踏み、最後に土俵に寝かせて土をつけるとスクスク元気に育つ、という縁起ものの儀式で参加人員は30名あまりと多数だった。
赤ちゃんはベビー服を着替えし、その柔肌には小さな“フンドシ”が巻かれ「祈・大原野神社・健」の文字が書れていた。母親から引き離され、行司に抱えられて土俵入りした赤ちゃんは神相撲の二人の力士に預けられる。
力士は、赤ちゃんを抱えながら左手と右手で「ヨイショ、ヨイショ」とシコを踏む儀式をする。おとなしい子・泣き叫ぶ子など・・・中には眠り続ける子や平気な顔をしている豪傑な男子もいる。しっかりと土俵の上に足を踏ん張り、ゴムのようにビヨーンと反り返りなかなか仰向けにできない赤ちゃんもおった!
二人の力士も抱っこしてシコを踏む役も儘ならない!会場は笑いが絶えない・・・
無事、縁起の儀式を終えやっと母親の手の抱かれた赤ちゃんは、鹿が描かれた「ちえ守り」の榊を授与される。“赤ちゃん土俵入り”が出来るのは生誕一歳前後の男児、南区や向日市からも来ていた。
国技でもある大相撲秋場所も始まったが相撲は神事としての意味深いものがある。つづく・・・
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