車は紫波町に入って「銭形平次」の原作者として知られる野村胡堂(本名長一)の記念館に寄りたいと厚かましく頼んだ!
小高い丘にたたずむ銀傘の記念館は紫波町にあり、野村胡堂・あらえびすの故郷である。
ぜひ行って見たいところの一つだった。
記念館では、人間野村長一、小説家野村胡堂、音楽評論家あらえびすの数々の作品や執筆資料を展示している。また胡堂作品やあらえびすが愛したレコード音楽を楽しむことができる。
野村胡堂は盛岡中学から東京帝大に進むが、父が亡くなり学費が払えず除籍処分となった。その2年後、新聞社に入社、政治部で活動した。
野村は新聞のコラムに初めて「胡堂」のペンネームを使用したという。またもう一つのペンネーム「あらえびす」は同新聞に音楽漫談「ユモレスク」を書くのに使っていた。彼の音楽収集は有名で、7000枚のレコードコレクションは現在も岩手県紫波町の「野村胡堂あらえびす記念館」に保管されている。
1931年(昭和6)野村胡堂の原作で「銭形平次」の連載が始まった。
「文芸春秋オール読物」に載り、以後27年間、合計333編(特別編などを加えると400編近くある)もの大長期連載を果たしたという。
一人の人物を主人公にした小説としては世界最長説という。その他、数々の作品が生まれた。
銭形平次のテレビ・映画はよくご覧になったと思うが、原作者は岩手県が生んだ「野村胡堂」。投げ銭で賊の動きを止める得意技が「銭形」の異名を生み、ガラッ八役の(林家珍平)やお静役(香山美子)、何と言っても銭形平次役は大川橋蔵が適役だったとおもう!
野村胡堂がこのシリーズの執筆を停止したのは眼病のためで、1957年(昭和32)「オール読物」8月号が最後だった。1963年2月死の直前、私財のソニー株約1億円を基金に財団法人「野村学芸財団」を設立した。
その2ヶ月後の4月14日、肺炎により死去、享年80歳だった。葬儀は音楽葬で営まれ同級生の金田一京介が葬儀委員長を務めた。友と私は町内のラ・フランス温泉館へと目指した。(8月9日写真撮影)つづく・・・
<野村胡堂・あら恵比寿記念館>
住 所:岩手県紫波郡紫波町彦部字暮坪193-1 電話:019-676-6897
開館時間:午前9:00~午後4:30(入館は午後4:00まで)
休 館 日:毎週月曜日(祝日は翌日)12月28日~1月4日
入館料金:大人300円
交 通:JR東北本線日詰駅から車で8分
JR東北新幹線新花巻駅から車で25分
紫波I.Cから車で15分
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