2012年8月30日木曜日

故郷紀行 野村胡堂「銭形平次」の原作者

つづく・・・遠野・曲がり家をあと大迫の山村を見ながら車は進んだ。大迫町は寒暖の差が激しく町内産のブドウを用いてワインを生産している。友は走行しながら町のキャッチフレーズは「神楽とワインの里」だといった。
記念館の内部は胡堂の資料小高い丘の上に立つ野村胡堂・あらえびす記念館車は紫波町に入って「銭形平次」の原作者として知られる野村胡堂(本名長一)の記念館に寄りたいと厚かましく頼んだ! 小高い丘にたたずむ銀傘の記念館は紫波町にあり、野村胡堂・あらえびすの故郷である。 ぜひ行って見たいところの一つだった。
胡堂は最愛の妻・ハナと一度たりと喧嘩はしなかったという記念館では、人間野村長一、小説家野村胡堂、音楽評論家あらえびすの数々の作品や執筆資料を展示している。また胡堂作品やあらえびすが愛したレコード音楽を楽しむことができる。 野村胡堂は盛岡中学から東京帝大に進むが、父が亡くなり学費が払えず除籍処分となった。その2年後、新聞社に入社、政治部で活動した。 野村は新聞のコラムに初めて「胡堂」のペンネームを使用したという。またもう一つのペンネーム「あらえびす」は同新聞に音楽漫談「ユモレスク」を書くのに使っていた。彼の音楽収集は有名で、7000枚のレコードコレクションは現在も岩手県紫波町の「野村胡堂あらえびす記念館」に保管されている。
胡堂は音楽と何よりも書くことが好きだった連載だった最後の「オール読物」8月号1931年(昭和6)野村胡堂の原作で「銭形平次」の連載が始まった。 「文芸春秋オール読物」に載り、以後27年間、合計333編(特別編などを加えると400編近くある)もの大長期連載を果たしたという。 一人の人物を主人公にした小説としては世界最長説という。その他、数々の作品が生まれた。
何と言っても銭形平次役は大川橋蔵が適役!銭形平次のテレビ・映画はよくご覧になったと思うが、原作者は岩手県が生んだ「野村胡堂」。投げ銭で賊の動きを止める得意技が「銭形」の異名を生み、ガラッ八役の(林家珍平)やお静役(香山美子)、何と言っても銭形平次役は大川橋蔵が適役だったとおもう!
記念館は野村胡堂先生の胸像があった野村胡堂がこのシリーズの執筆を停止したのは眼病のためで、1957年(昭和32)「オール読物」8月号が最後だった。1963年2月死の直前、私財のソニー株約1億円を基金に財団法人「野村学芸財団」を設立した。 その2ヶ月後の4月14日、肺炎により死去、享年80歳だった。葬儀は音楽葬で営まれ同級生の金田一京介が葬儀委員長を務めた。友と私は町内のラ・フランス温泉館へと目指した。(8月9日写真撮影)つづく・・・
<野村胡堂・あら恵比寿記念館>
住   所:岩手県紫波郡紫波町彦部字暮坪193-1 電話:019-676-6897
開館時間:午前9:00~午後4:30(入館は午後4:00まで)
休  館  日:毎週月曜日(祝日は翌日)12月28日~1月4日
入館料金:大人300円
交   通:JR東北本線日詰駅から車で8分        
       JR東北新幹線新花巻駅から車で25分        
       紫波I.Cから車で15分

0 件のコメント: