岩手にへ帰省したらこの目で大震災の被災地を見ておきたかったが友の配慮で実現した。2011年3月11日のあの大震災は、直接的に被害にあった人はもちろんだが、全世界に大きな衝撃を与えた。テレビの前で映し出された‘津波の猛威’に唖然とし身震いを感じた。自然の恐ろしさを心の底から実感した。
大津波に耐えた「奇跡の一本松」も願いも虚しく枯死状態になり最後の自立する姿を見ようと、多くの人々が連日訪れている。一方で戸羽市長は海抜0mの陸前高田市「高田松原」を公園化に立案、国に申請しているという。一本松は来月12日切り倒され、震災2年を迎える来年3月11日までに元の場所に立て直す計画だという。
大震災の地盤沈下でサッカー場の照明設備が今は海中と化しているとボランティアの方が教えてくれた。
ガレキの山積みを見ながら車を移動したら白いビニールハウスの様なものが見えた。岩手のテレビ報道で知ったが人々がレタス栽培をしているという。岩手県の三陸海岸沿いを走る風光明媚な三陸鉄道南リアス線は、大震災の被害により全線運休となっておるが開通が望まれる。今、盛駅からバス路線検討中・・・。
三陸町や吉浜湾を経て鉄の街・釜石へ、忘れていないだろうか「釜石の奇跡」のことを?・・・津波で壊滅的な被害を受けたが、市内の小中学生約3000人はほぼ全員が避難し無事だった。巨大な防波堤を砕いた大震災の津波から、児童・生徒ほぼ全員が逃れた釜石市だった。市では、震災以前から群馬大学の片田敏孝教授らによって、防災教育が徹底されていた。
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