2010年9月13日月曜日

御田刈(みたかり)祭 大原野神社

少年横綱を従え土俵に入場
西京区の大原野神社で御田刈祭が営まれた9月12日、洛西の大原野神社で御田刈(みたかり)祭や伝統の奉納相撲が営まれた。御田刈祭は1717 (享保2) 年から続く、秋の特殊神事で五穀豊穣を願う祭儀で神事のあと神(かみ)相撲の奉納が行われた。神相撲は、氏子を代表する力士二名は、習わし通り一勝一敗
神職がお祓いをする神相撲は、氏子を代表する力士二名に「氏神・(藤原氏・北春日と秦氏・南春日)」別れ、清めの塩を包んだ白紙を口にくわえて、四本柱をご神酒と塩で清めて無事を祈る。相撲は二番取り組み、一勝一敗の両者“引き分け”で争いが起こらないように助け合って神に誓うという慣わしがある。 洛西の小学高学年の相撲対抗試合東西に別れ豆力士よる熱戦
神聖な神相撲に引き続き、少年横綱土俵入と洛西地区小学生四年生から六年生による「豆力士」が東西に分かれ奉納相撲大会が行われた。スクスクと元気で育つよう祈る土俵でシコを踏む、力士と赤ちゃん
一歳前後の男子乳児による“赤ちゃん相撲”が行われた。
赤ちゃん土俵入りは、行司にママが赤ちゃんを渡し、神相撲を取った力士の手に抱えられ、土俵でシコを踏み、最後に土俵に寝かせて土をつけるとスクスク元気に育つという縁起ものの儀式。
ママはドキドキの不安で一杯の土俵上を見る!!この赤ちゃんは余裕があるのか?後方のママは心配!泣く子もいれば、平気な顔をした子もありユニークがあり微笑にあふれた。
生後一年、初めてママから引き離されて、知らないおじさんに抱かれる!
赤ん坊は不安で仕方が無い!
赤ちゃんはゴムまりのようで思いようにならない大きな声で泣き叫ぶ赤ちゃん
行司に抱えられて土俵入りした赤ちゃんは神相撲の二人の力士に預けられる。
力士は、小さな赤ちゃんを抱えながら、左手と右手で「ヨイショ、ヨイショ」とシコを踏む、おとなしい子・泣き叫ぶ赤ん坊などに・・・観衆はやさしい笑顔をおくっていた。
土俵の上に足を踏ん張り、ゴムのようにビョーンと反り返り仰向けにできない赤ちゃんもおり、二人の行司役と力士も抱っこしてシコを踏む役も儘ならない!やっとすんだ!口に咥え、小さな握り拳が印象的
いつも抱かれているママの胸は安心会場は笑いが絶えない・・・縁起の儀式を終え、無事、ママの手に抱かれた赤ちゃんはホッとし、鹿が描かれた「ちえ守り」の榊を授与される。
その柔肌に、小さな“フンドシ”が巻かれ「祈・大原野神社・健」の文字が書かれていたが、儀式もすんで、赤ちゃんはベビー服に着替えをすると普段の笑顔になった。 行司さんに抱かれた赤ちゃん
初孫だろうか?お祖母ちゃんも嬉しそうだ“赤ちゃん土俵入り”が出来るのは生誕一歳前後の男児、左京区岩倉や滋賀県からも来ていた。参加人員は30名と多数で大いに賑わった。
御田刈祭は五穀豊穣を願い、古式による神相撲神事など赤ちゃんの泣き相撲も行われる意味深いものがある。
<御田刈祭>
大原野神社
住 所 :京都市西京区大原野南春日町1152 電話:TEL075(331)0014
拝  観:境内無料
駐車場:無料
交  通:阪急京都線東向日駅・阪急バス「南春日町」下車徒歩10分
     阪急京都線桂駅・市バス臨西2番「南春日町」下車徒歩10分
     JR向日町駅・阪急バス「南春日町」下車徒歩10分

2010年9月11日土曜日

みちのく紀行 胡四王(こしおう)神社

つづく・・・胡四王神社は、花巻市の東郊外、宮沢賢治記念館の近くにあり東参道・鳥居がある。胡四王神社の本殿記念館から直ぐ鳥居があった
小高い胡四王山中に807(大同2)年、坂上田村麻呂東征の折、この地に宿営し、将兵の武運長久と無病息災祈願のため、自ら兜の中心に納めてあった薬師如来を祀り創建したと伝わる。祭神は大己貴命・少彦名命これが正面か?急な石段があった!
繊細な彫刻がある一帯を支配した稗貫氏時代には、医王山胡四王寺(天台宗)として末寺18ヶ寺を数える全盛時代を成した。
1590(天正18)年、豊臣秀吉による東北地方に対する奥州仕置により改易されると火災などが重なり一時衰退したが、南部藩に引継がれてからは、社領を受け、祭礼には代参を遣わすなど、南部藩の祈願所として地域の信仰を集め栄えた。蘇民袋争奪が正月二日にある
鳥居をくぐれば300mの標識現在は、入母屋造の拝殿1867(慶応3)年、一間社流れ造の本殿、1912(大正元)年に建立、細かで繊細な彫刻は岩手の著名な大工「高橋勘二郎」の手によって造られた。市指定有形文化財に指定されている。胡四王山の珍木、愛染杉
また、1865(慶応元)年に、流行病を鎮めるため始められたという、胡四王蘇民(そみん)祭は、年男の「はだか参り」や「蘇民袋争奪」などで有名である。毎年正月二日、胡四王神社で蘇民祭が行われ、唯一の奇祭として市指定無形文化財となっている。
胡四王神社から観た景色は、東北新幹線新花巻駅やいわて花巻空港、さらに緑深き田園地帯が望める!霞がなければ北東には早池峰山、北には岩手山もみえるという。
「みちのく紀行・完」

2010年9月7日火曜日

みちのく紀行 八幡神社

本殿
八幡神社の前景続く・・・この八幡神社の例祭日は11月1日、五穀豊穣の稔りを感謝して行っていたが、今では9月10日に改められた。八幡様は勝負事の神様だが、地元は米処で五穀豊穣を祈っている
祭神は品陀和気命、白山姫命、大己貴命祭神は品陀和気命、白山姫命、大己貴命(本宮合併)で、下小山田一円が氏神としている。
本殿は5尺四面高腰向拝附で、小さく拝殿及び神楽殿がある。無人の社務所があり境内には貴船神社があった。ここにも貴船神社があった?
天照皇大神の石碑読むこともなかった神社の“由緒”だが・・・
「人皇70代後冷泉院天皇の御代、永承6年陸奥の安部頼時及び、その子貞任宗任等謀反し同7年、源頼義・義家父子朝命を奉し任討せんとするも、賊兵日に勢強く益々猖故容易にこれを征服する・・・・・・・頼義、天喜元年この地に神の社を建て八幡大神を招請し奉う。
戦勝の祈願を執行しかつ、緒民をして治国安民のため遙拝をなさしむ、既にしてその功空賊兵日増して勢衰へ阿倍頼時先に亡びて、その子貞任等は滅亡・・・。
官軍遂に勝利を得るに至る。時にこれ、康平5年8月10日翌6年8月15日、ここの神跡地に八幡大神をさらに勧請し緒民の祈願所となったという。俗に郷里八幡と称す、その一つ也。後に白山姫神を相殿となし、二神を鎮座し小山田鎮守八満宮と奉称す」となっている。郷里の家は手前木がvの字のあたり
稲にはイナゴ、歩く度に跳ねる!!由緒ある八幡神社、澄み渡った空気・田園風景と稲穂が流れる長閑なときであった。 つづく・・・

2010年9月4日土曜日

みちのく紀行 白鳥が飛来!!

北の国から遥々、白鳥が越冬地として花巻市東和町前田の軽井沢堤にやって来る。白鳥が飛来して八シーズン目を迎える軽井沢堤では、この冬もたくさんの白鳥の群れが越冬するという。羽を休める白鳥たち
白鳥が越冬地とした前田の軽井沢堤久し振りで“軽井沢堤”に出かけた。
田舎の田圃を曲がりながら30分余りで着いた。堤は、大きさが約4000㎡、深さが最大で1,5mほど、子どもの頃、広いと感じていた堤はそれ程の大きさではなかった。水深が浅いため白鳥にとっては餌を取りやすく、越冬地としては好条件という。軽井沢堤の道順があった
旧小山田中学校の高台同堤で白鳥が羽を休めたのは14年の冬からのことで、初めて白鳥が降り立ち、そのまま越冬した。大空から白鳥の眼に映った光景は・・・
その後、翌年にオオハクチョウ七羽が飛来して以来、日を追ってその数が増え、多い時には百羽を超える白鳥が堤を埋め尽くしているという。アングルを変えた堤
白鳥白鳥の飛来地として、定着を図ろうという地元の有志たちの念願が叶って今年もまた餌付けなどの世話を続けている。
岩手県の補助を受けて、岸辺に観察用のやぐら台を設置、堤での釣りを全面禁止するなど、魚や生態系の保全にも力を入れている。
白鳥観察に堤を訪れる町民、親子連れも多く、白鳥飛来の週末には、餌さとなるくず米を与えたりしている。 白鳥の写真集が飾られていた
草むらに案内の看板残暑厳しい折、秋を通り越し、冬の使者、白鳥の話題だが、地元町民は今年も白鳥の飛来が来るよう願っている。
白鳥と地域との良好な関係が保たれている。
つづく・・・
<軽井沢堤・白鳥>
場所:岩手県花巻市東和町前田
時季:11月中旬~3月初旬

2010年8月31日火曜日

みちのく紀行 同級会

つづく・・・東北は高温多雨、何年かぶりで台風もやって来た。甲子園の高校野球を観れば若人が玉のような汗粒で頑張っている。しかし岩手花巻は14日、15日バケツをひっくり返したような俄雨が降ったが午後は止んだ! 幹事は26人集まると言った東和町の新館で同級会が開催された
今から50年前の1960(昭和35)年、所得倍増の流行語や“誰よりも君を愛す”や南国土佐を後にしてなどの流行歌は空前の大ヒット作だった。そんな旧小山田中学校第13回生卒業生、66歳の同級会が花巻市東和町土沢の会場で午後4:30から「パレスまほろば(Aコープとうわ2階)」で開催される。卒業記念は上から三列、右から2人目である
旧小山田中学校の校舎と校庭この同級会開催の往復葉書の報せを頂いたのは、祇園祭山鉾巡行後、数日たった真夏の厳暑のころだった。
早速、返信に参加の〇をし、これが級友との最後の思い出になる~と思い、祇園祭長刀鉾・注連縄切りを印刷して投函した。みちのく故郷は三年半前、兄が死去した冬だったが今回、夏避暑がてら帰るのも好都合とおもった。
焼かれるほどア・ツ・イことしの夏・・・・・・東北に行って少し涼もうと秘かに心で思った。ところが、ことしの夏の暑さは東北もかわらない!!
全員で懐かしい校歌を斉唱した司会者と幹事代表が挨拶同級会と言えば、2004(平成16)年2月、花巻南温泉峡で還暦記念の同級会41人と恩師2名、あれから6年の歳月が経った。
田舎の学校でクラスは小さく80人足らずの人数で学級は2つしかない!
会場に行くと、出席者は集まり懐かしい話が始まった。
出席者は26人で還暦のときほどではなかったが、男性17人女性9人だった。
昔話に花が咲きこの三人は大阪市吹田、盛岡、仙台から同級会に来ていた!
テーブルが3卓あり着席はどこでも良い訳じゃなく、クジだった!
私は真ん中の席で両端には女の子(お婆ちゃん)で、料理が並ぶ丸テーブルも椅子席だった。幹事が開会宣言を、故人に黙祷を捧げた。故人は9人を数える!
そして、みんなで校歌斉唱を行った。この校歌も既に唄われなくなり、学び舎も中学校から小学校、そして廃校・・・東和小学校になると言う。万歳三唱する前の光景
残った物は二次会に・・・乾杯の音頭、祝宴を重ね、子どもの時を想い出し和気藹々に過ごしたが、あっと言う間に時が過ぎ去った。幹事が4年後70歳、古希を祝って再会しょうと言ったが、誰かが毎年同級会をしようと反対意義を述べた!
確かに同級会は減る事はあっても増える事は無く、年々歳々他人様々、病老死の分別は定かではない。
4年後、古希はともかく、毎年行う事と決定して幕を閉じた。
幹事は二次会も用意していた。
午後7時、田舎の夜道は暗かった!
でも大多数の方が二次会に参加である。
別れを惜しむかのように・・・
つづく・・・