23日、西京区の松尾大社では鮮やかな黄金色のヤマブキ満開と重なって春祭りの神幸(おいで)祭が営まれた。大社は平安遷都以前から秦一族の氏神として祀られたのが始まりと伝わる。
大宝元年(701年)、勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地社殿を造営し、山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させたという。
祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の2座で、大山咋神は上賀茂社、賀茂別雷神の父神である。
平安期は賀茂社と並び王城守護の社として大切にされ、東の「賀茂の厳神」、西の「松尾の猛霊」と称され弟の秦伊呂具(はたのいろぐ)は711(和銅4)年、伏見稲荷大社を建立している。
法被を着た威勢の良い與丁(よちょう)たちは総門の石段を登り、神輿の鳴鐶(なりかん)を手に本殿に着いた。
本殿前で拝殿三周してから総門から外に出た。
與丁たちは担ぎ上げをし、観衆の拍手喝采を浴びていた。
満開のヤマブキをバックに神輿が三回拝殿廻しをして、楼門の外に出た。
残念ながら楼門は工事中であった。
あ威勢の良い與丁たちは二の鳥居に無事担ぎ終え、台車に乗せられた。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三回周回)後、月読社の唐櫃一基と六基の神輿が出発、神輿はヤマブキ色の輝いていた。
平安時代の貞観年間から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。桂大橋,、船渡御につづく・・・(4/23撮影)
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