京都市下京区の大丸京都店6階催し場で、視覚障害の啓発イベント・第36回「あい・らぶ・ふぇあ」1月20日(木)から23日(日)が始まった。
視覚障害者福祉の取り組みを紹介する催し「あい・らぶ・ふぇあ」は、見えない・見えにくいことへの理解を深めてもらおうと1975(昭和50)年から開始されたという。
ことしは「ユニバーサルデザインのある暮らし」をテーマにしている。
来場者の方々は音声案内機能や電子機器を使ったり、目が見えないなかでの作業を体験するコーナーがあり、アイマスクを付けた人たちは、視野の狭まる特殊な眼鏡などでアクセサリーやパソコンでの作業の難しさを体験していた。
京都から始まった日本の盲教育の歴史は、「盲人の父」と呼ばれた鳥居篤治郎をパネルで紹介している。1894(明治27)年、京都府与謝郡野田川町(現・与謝野町)に生れた。6歳ごろには完全に失明したが、その後市立盲唖院入学、20歳のときに東京盲学校師範科に進み学んだ。
私財を投げ出して設立した京都ライトハウスは、昭和45年9月76歳で逝去するまで、京都、日本のみならず世界の視覚障害者福祉のためにも貢献されたのである。また1955(昭和30)年に来日したヘレン・ケラーが府立盲学校を訪ねたときの音声記録も公開している。
洛西ニュータウンに住居している知人の視覚障害者「松永信也さん」が啓発の講演があった。故郷は鹿児島県阿久根市出身で、中学の頃より「網膜色素変性症」は知っていたという。京都の大学を出て、子どもが好きなこともあり福祉学校の教師になったという。松永さんは若い時代からもバスや電車で老人や妊婦などみると進んで席を交代していたというが、盲人の方にはなかったと反省する!
39歳のとき、目は完全に見えなくなると眼科医に診断されたという、そのショックは計り知れないものだったと回顧する。
いま松永さんは咳が出て町の医者に行ってるが、そこは何年も前から行っていたので手に取る様に判っていて不自由さは無く看護師が気を使ってくれるという。医師は、イスの音を叩いて報せてくれるという。「網膜色素変性症」になって視力を奪われながらも毎日明るくバス・電車を乗り継いで日本全国講演のお仕事に勤しんでいる。
松永さんの講演は23日10:30から1時間の講演がある。また著書に「風になってください(法蔵館1400円)」と「見えない世界で生きること(角川学芸出版1500円)」の2冊の本がある。
2月6日(日)に第21回「京都視覚障害者文化祭典」が10:00~16:00行われる。
会場は京都ライトハウス4階ホールで主催、京都府視覚障害者協会、入場料は無料。
<視覚障害の啓発イベント「あい・らぶ・ふぇあ」>
日時:2011年1月20日(木)~23日(日)10:00~18:00(最終日は17:00まで)
場所:大丸京都店 6階 多目的ホール
お問合せ:京都ライトハウス内「あい・らぶ・ふぇあ実行委員会」
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