2010年4月20日火曜日

松尾大社 ヤマブキまつり

洛西の松尾大社は境内を流れる一ノ井川沿いの川面に約3000株のヤマブキが群生し、例年4月10日~5月5日まで「山吹まつり」が開催されている。八重のヤマブキ一重のヤマブキ
松尾大社は平安遷都以前からの神社で、平安期は賀茂神社と並び王城守護の社として大切にされた。室町以降は境内亀ノ井の名水が酒に変った逸話もあり、松尾大社は酒造の神として知られる。また近畿一の八重咲きヤマブキの名所としても知られておる。約3000株のヤマブキが群生している
関西一のヤマブキの名所ヤマブキはバラ科の低木で、桜が散る晩春に開花を迎える。
鮮やかに黄金色に輝いた花は、新緑の葉とともにひときわ人目を引きつける。
花の匂いはバラ科特有な高貴な香り、その優雅な姿と共に、つけられた花言葉は崇高(すうこう)と気高い。葉の脇に「かぎ」があり、他の木に引っかけて上方に伸長するのが「カギカズラ」特徴
神のお使いが”鯉と亀”ヤマブキは、日本と中国に原生分布し、現在でも旧家の庭垣によくヤマブキをみかける。枝の中心部分を占める髄(ずい)は、行灯(あんどん)などの灯心に利用されるなど、ヤマブキは昔から重宝な植物であった。
幼いころ、故さとの実家にヤマブキの垣があり小枝にメジロやヒヨの野鳥が囀っていたことを想い出す。当時、ヤマブキの枝の髄を取り出し、竹鉄砲の弾にしてあそんだ記憶もありいま想うと懐かしい・・・。一重のヤマブキは、数個、実を付けるという
八重咲きの山吹は結実しないというところで、一重のヤマブキは雌しべのすべてが結実することはまれで、数個の実を付けるが、八重咲きの山吹は結実しないという!
室町時代の武将で、江戸城を築城したことで名高い太田道灌(おおたどうかん)は、鷹狩りに出かけた。折りしも雨に降られ、貧しい家を訪ね蓑(みの)を貸してくれるよう頼んだ!
若い女は無言でヤマブキの花を一枝差し出したという。花を貰いに来たのではないと道灌は立腹、怒って帰った! 
後日、この話を聞いたある人が、「八重ヤマブキの花に実のならないことを、我が家に“蓑”が一つもない侘びしさに掛けて、風情ある古歌の心で伝えようとしたのだ」と道灌に教えたという。その古歌とは、
  『七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞかなしき』 
後に(兼明親王「後拾遺和歌集」)道灌は無学を恥じ、これより歌道に励んだという。現在、品種は「一重(ひとえ)」「八重(やえ)」「菊咲(きくざき)」の三種類で、八重咲き型が観賞用に好まれている。庭園(※有料)では、珍しい”シロヤマブキ”が咲いている。風にゆらゆら揺れる様は新鮮な春の息吹が感じられた
境内を流れる一ノ井川沿いの川面に咲き乱れるヤマブキの花また、4月25日には松尾祭(神輿渡御祭)の六基の神輿が西七条御前(七条御前下ル)各御旅所まで巡幸する神幸祭がある。
さわやかな春風の中、山吹色の花が風にゆらゆら揺れる様は新鮮な春の息吹が感じ、訪れた参観者たちは境内の黄金色に輝く八重ヤマブキの花を愛でていた。
<松尾大社・ヤマブキまつり>
・住所:京都市西京区嵐山宮町3 電話:075-871-5016
・境内参拝自由:5:00~18:00 
 ※庭園拝観時間:9:00~16:00(休日は17:00まで) 大人500円の有料。
・交通:市バス28番・京都バス73番で松尾大社前下車すぐ。
     阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ

2010年4月19日月曜日

六孫王(ろくそんのう)神社の“御衣黄(ぎょいこう)桜”

六孫王神社は、東寺北門を出て、八条通を西へ徒歩数分のところにある。
昨年10月、体育の日に神社の例祭「宝永祭」が催され、ブログに掲載した。境内北の弁天堂内から太鼓橋と桜・唐門がみえる
左右に朱色の灯籠と御衣黄桜毎年4月になると、境内に桜が咲き乱れる六孫王神社だが、長子源満仲(みつなか)が父の源経基(つねもと)を祀った神社である。神龍池に映える薄い黄緑色の御衣黄桜
八重の桜が美しい!神社の伝えでは、この地は経基の邸宅のあったところで、その子源満仲が961年~963年(応和年間)に父である源経基を祀る社殿を建立したのが起源である。
源経基は、清和天皇の第六皇子・貞純親王の子で、清和源氏の祖といわれている。その後、いつしか荒廃していたものを、1700(元禄13)年、当社の北隣の遍照心院の南谷上人が幕府に請うて再建し、この神社を遍照心院(別名大通寺)の鎮座とした。この桜の名は・・・
この神社は、鯉をモチーフにしたお守りがある本殿後方の石積みの基壇は、経基の遺骸を納めた場所で“神廟”といわれるが、神社にお墓があることはとても珍しいことである。
神社の鳥居をくぐると、左右に朱色の灯籠が並び、石畳が敷き詰められている。
境内中央の「神龍池」にかかっている石造りの太鼓橋は「恋のかけ橋」とよばれ、神のおつかいが鯉で「鯉」=「恋」となることから縁結びのご利益で知られるようになったという。太鼓橋を渡ると、「神龍池」と呼ばれる瓢箪(ひょうたん)形の池も眺めることができる。 八重のさと桜
濃い紅色の八重桜境内北の弁天堂内には、経基公の産湯に使われたという名水「六孫王誕生水」もあり、この水を子どもに飲ませると丈夫に育つといわれてきた。
「誕生水弁才天社」は、毎年6月13日にご開帳され、古くから子孫繁栄や安産のご利益があるとされている。
六孫王神社の境内には、ソメイヨシノが散ったあと、神龍池にかかる太鼓橋を覆うように薄緑色の御衣黄桜と濃いピンク色の八重桜が満開を向かえる。唐門から本殿の庭に咲く牡丹
藤の花も咲き出した中央の神龍池の太鼓橋を渡った参道の北側に珍しい桜の木があるというので行って観た。
この桜は八重桜で、花びらが薄い黄緑色であるため、天皇即位の衣装の色と同じであるところから名付けられ「御衣黄(ぎょいこう)桜」という品種。開花期は晩く普通の桜が散り終えたころになる。散ったソメイヨシノとおみくじ
本殿に映った桜の木1966(昭和41)年、六孫王神社、境内整備記念大祭に植樹されたという。六孫王神社の桜は、まだ見逃せない!
<六孫王神社>
・住所:京都市南区壬生通八条角
・電話:075-691-0310
・拝観:境内自由
・交通:JR各線、近鉄京都線、地下鉄烏丸線「京都」より徒歩13分。
     市バス 16系統「六孫王神社前」バス停より直ぐ。

2010年4月17日土曜日

今宮神社 やすらい祭

つづき・・・今宮神社は平安時代に疫病が流行したとき御霊会を行ったのが、その始まりである。鉦を鳴らし太鼓を打ち乱舞、ハードな踊りやすらい祭の花傘
やすらい祭は「夜須礼祭」、「安良居祭」また「やすらい花」とも云われ、桜の花の散る頃に流行する疫病を退散させるため、細男(せいのお)を送り、舞ったのがその始まりと伝わる。笛の囃子方たちも
鉦を鳴らし太鼓を打って登場!「見ぬもあほう、二度見るもあほう」などと云われ、江戸時代から太秦「広隆寺の牛祭」、鞍馬「由岐神社の火祭」とともに「京の三奇祭」の一つとされ、国の重要無形民族文化財に指定されている。
京都の春の祭のさきがけとして行われ、この日が好天に恵まれるとその年の京の祭はすべて晴れると言い伝えがある。続く大鬼たち
子鬼も手を引かれながら・・・各神社の氏子たちが風流(ふりゅう)の扮装をして鉦、太鼓をたたき、踊りながら町内を練り歩き今宮神社へ参拝し無病息災を祈願する。
行列は「練り衆」と呼ばれ、先立、鉾、御幣持ち、督殿(こうどの)、羯鼓(かんこ)、大鬼、花傘、音頭取り、囃子方と続く。全身を緋一色に装い、赤毛と黒毛の大鬼は髪を振り乱し、鉦を鳴らし太鼓を打って乱舞、ハードな踊り。「花や咲きたる やすらい花やー」のかけ声と共に踊る
疫者の前でも踊る
「花や咲きたる やすらい花やー」のかけ声と共に境内を踊り練り歩く、”やすらい”の呼び名は、踊りと歌のなかで繰り返される囃子で、やすらいは「やくばらい」からとったと言う!可愛い子鬼は太鼓を叩く
本殿の前と疫社と拝殿の前と三回踊る桜の花が散る頃、疫神は花の精にあおられて悪戯をして疫病が流行ると云われる。「花傘」は、「風流傘」「傘鉾」ともいわれ、径六尺(約二米)の大傘に緋の帽額(もっこう)を掛けた錦蓋の上に、桜、椿、山吹、柳、若松を挿したもので、この中に入るとその年の厄を除かれるといわれる。
やすらい踊りで花傘に惹き寄せられた疫神は疫社へと鎮められ、一年の無病息災が祈られ、地元の方々は皆、花笠の下に競って入っていた。みな晴れやかな顔・顔・顔
拝殿と本殿の前は観参者がずらり年々、後継者が減る傾向にあり、何度も存続の危機にさらされたことがあるが、地元の人たちの熱い思いで支えられ存続している。
このやすらい祭は、紫野の今宮神社、玄武神社、西賀茂の川上大神宮社の三神社で行われ伝統行事である。(完)

2010年4月16日金曜日

洛北 今宮神社

今宮神社は、北区紫野にあり船岡山の北方、大徳寺の北西に鎮座している神社である。別名を「玉の輿(たまのこし)神社」ともいう。本殿
北大路通りから5分で楼門に突き当たる今宮神社は、平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社があったといわれる。
平安京が栄える一方で、人々は疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)が営まれた。
西陣織物の祖神・技芸上達の神、織姫社疫神を鎮める疫社994(正暦五)年、一条天皇が当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。
これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。この時、京の老若男女は挙って神輿を上げ船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唄い踊り、病魔のよれる人形(ひとがた)を難波江に流したといわれる。これが夜須礼(やすらい祭)である。「力石」天保年間もの
社務所ではお守り1001(長保3)年、疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、新たに神殿三宇が造営されたのが今宮社の始まりである。創建年代については不明である。
以来、古くから疫病退散の神とされ、徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、西陣の八百屋に生まれた「お玉」が徳川三代将軍家光の側室となったことから「玉の輿」と言うことわざが出来たとの説がある。4人一組の天邪鬼の石像暗闇に光を与える高い所にある月読社1694(元禄7)年、桂昌院は京の寺社の復興に力を注ぎ、社殿を修復して四基の鉾を寄進したと言われている。
1895(明治29)年、本社殿を焼失、1902(明治35)年に再建した。その後、西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。東門前の二軒のあぶり餅
宗像社は俗に弁天さんというその台石に60cmの”なまず”があるまた今宮神社の門前で売られている「あぶり餅」は平安時代からある店で日本最古の和菓子屋である。あぶり餅で使われる竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)で、やすらい祭の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があると信じられ、名物の餅を食べると疫病が祓えるとの言い伝えがある。
例祭「やすらい(夜須礼)祭」は4月の第二日曜日に催される。この御霊会の疫病を鎮める鎮花祭として1154(久寿元)年に始まったもので、「太秦の牛祭」「鞍馬の火祭」とともに、京の三奇祭の一つとされている。 東門を入ると元禄の神橋
「重軽石」は叩くとおこる石、願いが叶う石とも伝えられ、阿保賢さんとして人気があるちなみに、祇園社(現在の八坂神社)でも疫疾を祓う祇園御霊会ができ、現在の「祇園祭」として催されていて一端を偲ぶことができる。また、社殿前にある神占石は人気があり、手のひらで三度叩いて持ち上げると大変重くなり、次いで願いを込めて三度撫ぜて持ち上げると軽くなれば願いが叶う「阿保賢(あほかし)さん」という不思議な石がある。やすらい祭につづく
<今宮神社>
住所:京都市北区紫野今宮町21 電話:075-491-0082
拝観:境内自由(9:00~17:00)
交通:市バス 今宮神社前下車

2010年4月15日木曜日

常照寺 吉野太夫追善花供養

洛北の閑静な常照寺では、島原の名妓、吉野太夫を偲ぶ催しが行われた。参道に入る?雲太夫
島原太夫道中は源光庵を出発同寺開創時、江戸時代初期に二代目吉野太夫は日乾(にちけん)上人に帰依し山門を寄進した縁(えにし)もあり、この寺に葬られたことに偲んで追善供養が行われた。
1616(元和2)年、日蓮宗中輿の祖といわれる日乾上人が、本阿弥光悦の土地寄進を受けて開いた鷹峰檀林(だんりん)「仏教の学問所」の旧跡で別名、檀林の寺、吉野の寺(よしののてら)ともいう。第57回目の吉野太夫の追善花供養
道中は如月太夫と禿往時は広大な境内に三十余棟の堂宇が建ち並び多くの学僧が学ぶ寺であったという。一方、”吉野太夫ゆかりの寺”として有名な二代目吉野は、都の六条三筋町(後の島原)にあった廓の名妓で”遊女”としての最上位にあり、教養が高く、和歌、連歌、俳句、書、茶道、華道、音曲、囲碁、双六など諸芸に優れていただけでなく、その美貌も遠く唐(中国)にまで伝わっていたという。
当時の太夫は御所、天皇・公家・武家など上流社会の華であった。苔に桜が一輪、散る
禿従え、”内八文字“の行列赤い山門は「吉野門」とも呼ばれているが、1628(寛永5)年、京都嶋原の遊女吉野太夫が僅か年齢23歳の時に朱塗りの山門を寄進したものである。
しかし、“花の命は短くて・・・、吉野太夫は38歳という若さで病により亡くなった。現在の山門は1917(大正6)年に再建されたものである。赤い山門の中に太夫は入っていく
太夫は静々と常照寺に向う太夫が好んだ丸窓を配した茶室遺芳庵(いほうあん)やお墓もある。
夫である豪商灰屋紹益(本名・佐野三郎重孝は剃髪して紹益と号した)は、もともと本阿弥家の子であったが養子で佐野家に入った。
1631(寛永8)年、紹益は、公卿と張り合い、千三百両で吉野太夫を身請、このとき吉野は26歳の時であったという。
江戸時代初期に島原の名妓とうたわれた吉野太夫をしのんで行われる追善供養、源光庵より禿(かむろ)や男衆らを従えて優雅に練り歩く島原太夫道中の後、本堂で法要が行われ、太夫による奉納舞、献茶式などが行われる。 大勢の方々が太夫道中をみていた
山門で同寺の奥田正叡住職とスタッフ吉野は、本来なら夫の菩提寺である立本寺(りゅうほんじ)に葬られるはずだが、遺言から帰依した日乾上人により生前に山門を寄進した縁もあり、常照寺に葬られた。境内にある吉野太夫の墓前供養が行われる。
常照寺は吉野太夫の追善花供養、”内八文字“の行列や境内の野点茶席が賑わっていた。
<常照寺・吉野太夫追善花供養>
京都市北区鷹峰北鷹峰町45・電話:075-492-6775
拝観時間:8:30~17:00
拝観料金:大人300円 障害者150円
交通:市バス「鷹ヶ峰源光庵前」下車、徒歩約2分

島原太夫道中:10:20出発(源光庵)
法要:11:00頃~吉野太夫墓前供養:12:00頃
野点席のお点前(茶席三席:野点、茶席(遺芳庵)、煎茶席点心)
時間:9:00~15:00 ※前売4,500円、当日券5,000円(別途料金)