2010年11月12日金曜日

東山 満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)

市営地下鉄東山駅近く、三条東大路通東側に、その名も満足稲荷神社がある。
この神社は、豊臣秀吉の天下統一を叶えたという由緒があり、開運・商売繁盛のご利益があるとされる。
南側の鳥居満足稲荷神社本殿1592(文禄)年、当神社は後陽成天皇文禄年間豊臣秀吉公の勧請にして、もと伏見桃山城の守護神として祀られていた。
1693(元禄6)年、徳川綱吉が現在地に遷座されて以降近隣は非常に栄え多くの信仰を集めた。社名の“満足”の二字は、豊臣秀吉が祭神「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」の御加護を大いに満足したところから名付けられたといわれている。
末社は猿田彦大神・天照大神・大国主大神の三柱拝殿前の狛狐、稲束をくわえている鳥居は西側もあるが、建物は南鳥居・拝殿や社殿などの南向きに建てられている。
拝殿の両側には狛犬ならぬ狛狐、本殿の正面、屋根は拝殿同様質素な茶色、周囲の垣は鮮やかな朱色、本殿右手の末社は猿田彦大神、天照大神、大国主大神の三柱が祀られている。祭礼は5月1日が例大祭。 真っ赤な実と緑のコントラストモチの木と岩神さん境内には神木のモチの木と岩神さんが並んでいる。
拝殿の左にある「岩神さん」は、「頭をなでると頭が良くなり 痛い処、悪い処をさすると治る」と言い伝えられている。
推定樹齢400年の常緑高木「クロガネモチ」の木は神社の神木で、市の保存樹(平成17年指定)になっている。1本の大幹から8本に幹分かれしている特徴的な姿をしていて、東大路通からもよく見える。
秋にはたくさんつけ、真っ赤な小さな実と緑の葉とのコントラストは、見る人に鮮烈な印象を与えてくれる。東大路通は交通も頻繁な場所、伝承によると樹齢は400年といわれているモチの木は、市民の誇りであり木々が保存されることは、地域としても環境としても素晴らしく長生きして欲しいと願っている。
境内から見たモチの木樹齢400年、モチの木は秀吉も知っている!天下統一を果たした秀吉公にあやかろうと参詣に来られる方々も大勢いるという。それは、豊臣秀吉が満足稲荷神社の神様に祈願して良いことが起こったため、とても満足したことに由来するといわれている。
<満足稲荷神社>
住所:京都市左京区東大路仁王門下がる東門前町527 
電話:075-771-3035
拝観:自由
交通:地下鉄・京阪「三条」駅下車 徒歩約5分
    市バス「東山仁王門」「東山三条」下車直ぐ

2010年11月9日火曜日

かにかくに祭(祇園白川)

11月8日東山区祇園の白川沿いで祇園をこよなく愛した明治、大正、昭和の初期まで、歌人・吉井勇を偲ぶ「かにかくに祭」が催された。祇園新橋で、かにかくに祭が行われた祇園甲部の芸舞妓さんたち
“かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる”
大友さんと豆ゆりさん歌碑の由緒を記した立て札の除幕式
かにかくに碑”は吉井勇が古希(70歳)を祝って、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、1955(昭和30)年11月8日に歌碑が建立された。毎年、祇園甲部の芸舞妓が歌碑に白菊を手向けて勇をしのぶ「かにかくに祭」が行われている。 舞妓さんから献花
歌が詠まれて百年、没後50年の節目を迎えて立て札も建った歌人・吉井 勇(1886~1960)は、1886年鹿児島藩士吉井友実(伯爵)の孫として東京に生まれた。1909(明治42)年森鴎外とともに「スバル」創刊にあたり石川啄木や平野万里ら三人で交替で編集した。また北原白秋、木下杢太郎とともに「パンの会」を結成、歌集は酒や女に関した「酒ほがひ」や「午後三時」「水荘記」「蝦蟆鉄拐」等たくさんの著書がある。吉井勇は祇園をこよなく愛した芸舞妓さんが白い菊を供える
1933(昭和8)年結婚したがスキャンダル事件で高知の山里に隠棲、4年後再婚、翌年京都に移住し晩年は、爵位を返上し隠居、北白川周辺に住み祇園に通ったといわれている。 お茶屋の女将さんが献花
毎年、歌碑の前で祇園甲部お茶屋組合で行われている歌碑の建っている地は、祇園白川のお茶屋「大友(だいども)」があり、「大友」は当時文人・夏目漱石や谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れたと言う。その大友には、女将で「お多佳さん(磯田多佳)」と言われる人がおって幅広い交流のある茶屋でもあったという。にこやかにお開きである
この芸奴は寿ゞ子さんこの日は朝から冬雨だったが11時ごろには小春日和が続き、歌碑の前で由緒を記した立て札の除幕式も行われた。続いて「かにかくに碑」の前で、芸舞妓さんが白い菊を供え、静かに手を合わせ献花した。祇園花街・舞妓が好く似合う二人の舞妓さんの記念撮影
報道関係や多くの写真愛好家や観光客らが訪れており、献花がはじまるとしきりにカメラのシャッターをきっていた。
今年はこの歌が詠まれて百年、没後50年の節目を迎え歌碑の由緒を記した立て札の除幕式も行われた。祇園花街を愛してやまなかった彼の感性を感じさせるものでもあり、風情のある石畳を歩いて文人たちの粋を感じ、白川の流れの音もどこか風流に聞こえてくるようだ。
うしろ姿もだらりの帯白川通りは石畳と川の流れがあう歌碑のある場所は、四条通りから大和大路を北へ白川を渡って石畳の道を東へ行った白川の中間南側にある。
<かにかくに祭>
開催場所:祇園白川通り
開催期間:11月8日 午前11:00
お問合せ:075-561-1115
交   通:京阪「祇園四条駅」から徒歩5分
      市バスあり

2010年11月5日金曜日

城南宮・曲水の宴

11月3日、木々が色づき始めた城南宮・平安の庭で、平安時代の貴族の優雅な歌遊びを再現する「曲水の宴」が催された。七五三で晴着姿も可愛い童女
東の鳥居

伏見区の城南宮は、日・月・星の鳥居門や方除の大社とし知られている。城南宮は平安時代の頃より今昔も交通の要衝になって名神高速京都南ICや高速8号京都線・国道1号線があり、1km東は近鉄・地下鉄「竹田」駅になっている。
平安の庭で色づき始めた紅葉とススキ歌人は歌題を拝見する
秋の風物詩として3日に行われる、曲水の宴は午後2時から催されるが、この日神苑は無料公開とあってたくさんの人出だった。 写真愛好家はシャターを切る!
歌人は遣水のほとりに座り墨を磨る鳥羽離宮に平安貴族たちは王朝文化の歌会や宴、船遊び競馬(くらべうま)など雅遊したという。
「曲水の宴」は、平安貴族の歌会を再現したものである。杯を飲み干し菊の花を杯に入れて流れに戻した
和歌を詠む歌人たち琴の音が響く中、平安の庭をゆるやかに曲がりながら流れる遣水(やりみず)のほとりに、色鮮やかな平安装束を纏った狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちき)の人々が座り、川上から童子が鴛鴦(おしどり)の姿をかたどった「羽觴(うしょう)」の背に朱塗りの盃をのせて流す、歌人はその日の題にちなんで和歌を詠み、短冊にしたため目の前に流れ来る羽觴を取り上げ、盃の酒をいただくというものである。 凛々しく、静々と・・・
雅楽に合わせて白拍子の舞宴の間には雅楽の調べにあわせて、凛々しく“白拍子の舞”も静々と披露された。ゆったりとした時が流れた
流れてきた盃を取ってお酒を飲む…という優雅な曲水の宴平安時代の貴族の装束に身を包んだ、公卿や女官ら七名の歌人が小川のほとりに座り、川上から水干(すいかん)姿の童子が朱塗りの盃にお神酒を注ぎ、歌人は「羽觴」が流れつくまでに和歌を詠み短冊にしたため、流れてきた盃を取ってお酒を飲む……という優雅な行事に十二単の女官、狩衣に立烏帽子の公卿たちが、庭園のゆるやかな遣水のほとりで和歌を詠みゆったりと時間が流れる王朝の雅を今に再現している。公卿や女官にふんした歌人七人が遣水に流された羽觴の酒杯を取り上げ、杯を飲み干し菊の花を杯に入れて流れに戻した。
この秋は、平城遷都千三百年祭にちなんで、歌題を「故京秋(ふるきみやこのあさ)」を選んだ。
 『朝ぼらけ もみじ葉もゆる 平城京 絹の道へと 続く光よ』 藤袴、乾燥すると良い香りがする。和名は蘭草。
室町の庭で樂水軒からでた晴着姿の可愛い童女平安の庭園で、風情のある「曲水の宴」の和歌が披露され、集まった参観客らは“流觴曲水”の宮中儀式に見入っていた。また城南宮は七五三まいりを10月~11月行われていて可愛い童子が晴れ着で参拝していた。
<城南宮 曲水の宴>
住所:京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
日時:2010年11月3日(祝・水)・14時~15時 ※雨天の場合は変更
   ※当日、平安の庭がある神苑は無料公開
交通:地下鉄烏丸線『竹田駅』/近鉄京都線『竹田駅』徒歩10分

2010年11月4日木曜日

亥子祭 護王神社

“足腰お守り”で有名な護王神社は京都御苑の西側、蛤御門の向かいに鎮座する社で、祭神として和気清麻呂(わけのきよまろ)と姉の和気広虫(わけのひろむし)を祀っている。護王神社は亥子祭別名いのしし神社とも呼ばれ足腰の守護神としても知られている
もともとは和気清麻呂の氏寺高雄の神護寺にあったが1874(明治7) 年に遷座した。護王神社には、「狛犬」ならぬ雌雄一対の「狛イノシシ」?が建てられている。
和気清麻呂が京都より宇佐へ向かわれた際、災難にあわれたのをイノシシがお守りした故事にちなんで1880(明治23)年、護王神社の社には「狛犬でなく狛イノシシ」になり、以来シンボルとして親しまれている。聖上(宮司)がついた餅を食べることによって、無病息災と子孫繁栄を祈る行事
本殿ノ儀で神事が行われる11月1日、平安時代の宮中の年中行事であった“亥子餅”の儀式を再現した神事「亥子祭」が営まれた。亥子祭は、平安時代、旧暦10月(亥の月)亥の日に行われていた宮中の御玄猪(おげんちょ)の儀式を再現した神事で、聖上(宮司)がついた餅を食べることによって、無病息災と子孫繁栄を祈る行事で午後5時より始った。優雅な平安朝の古儀を彩る五人の女房
拝殿上の五人の奉仕の女房平安朝の古儀を再現した優雅な祭で、雅楽が流れるなか平安装束に身を纏った聖上(宮司)以下祭員と五人の奉仕女房が拝殿の上で亥の子餅をつく儀式を執り行なった。一ノ女房は大阪堺市から・・・
亥子祭は一般から応募している亥子祭は三つに分かれ神事が本殿ノ儀となり、次に御春ノ儀で拝殿の座に着く、五人の奉仕女房は式司の前に臼杵等々の御春式を整えて、式司は臼に粉餅を入れ女房が水をそそぎ、杵で餅をつき式員は古歌「神奈月」を唱える。つき上がった亥子餅を神前に奉りる
拝殿で聖上と五人の奉仕女房が亥の子餅をつく式司以下、式員が袖で口を隠して「いのちつくつかさ」と唱え、女房が袖で口を隠して「いのちつくさいわい」と唱える。つき上がった亥子餅を、神前に奉り御所献上の餅を唐櫃におさめる。
出来上がった餅を献上する為に提灯行列を伴い、蛤御門をめざし御所に向うことを禁裏御玄猪調貢ノ儀という。 提灯行列を伴い御所をめざす
御所へ亥子餅を献上する行列祭典後、亥子餅献上ノ儀の行列は同社から蛤御門・御所清所門に入り、餅を朝貢列(貢物を捧げること)によって京都御苑に献上する。その後、同社では饗宴ノ儀があり境内で餅つきが行われ亥子餅が参拝者に振舞われたが残念ながら帰路に着いた。参加者は暗い夜道提灯で御所参拝 
亥子囃
亥の月 亥の日 亥の子刻
厄除 三種の 亥子餅
舂くつく つく つく
命つく つく それ幸なあーそれ幸なあー
猪しゃ 餅食って ほーい ほい
和気さん お出まし えーい
えーい えい えーい えい


護王神社は別名いのしし神社とも呼ばれ足腰の守護神としても知られている。提灯を下げ蛤御門から御所清所門へと入る
五人の一般の人たちの奉仕女房亥子祭は始めての体験だったが、平安朝古儀豊かな装束に身を纏い厳かで優雅な神事に訪れた人々は見入っていた。
<亥子祭>
場所:護王神社
日時:11月1日午後5:00~
住所:京都市上京区烏丸通下長者町下る桜鶴円町
電話:075-441-5458
拝観:境内自由
交通:地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、北へ徒歩約5分
    市バス「烏丸下長者町」下車すぐ
障害者:可

2010年11月2日火曜日

第26回国民文化祭・京都2011

テーマは「こころを整える~文化発心(ほっしん)」
愛称は“文化の感動・京都国文祭” 第26回国民文化祭・京都2011は、2011年10月29日(土)から11月6日(日)9日まで開催される。2011年国民文化祭のプレガイド
来年(2011年)の秋、京都府内各地を会場に開催される第26回国民文化祭(国文祭)の一年前フェスティバル(京都府、京都市など主催)が31日、左京区の京都会館で行われた。
第26回目と言うが国民文化祭はあまり知られていない!
日本の各地で様々な文化活動に親しんでいる個人や団体が日ごろの成果や実力を披露するため文化交流と参加活動への機運を高め新たに芸術創造を促し、全国各地から多くの「文化」や「人」が集まる「国内最大の文化祭典」である。
まゆまろと混声合唱団国民文化祭は1986(昭和61)年から毎年、各都道府県持ち回りで開催されてきた。京都府は1988(昭和63)年の兵庫大会以来23年ぶりの開催となる。
この国文祭の一年前フェスティバルは、M・Kさんが10月ころに誘ってくれた。文化祭とは云えシンポジュウムは難解と思っていたが、そうではなかった!午後から雨天となったが会場の京都会館第一ホールは大勢の観客であった。
知事と市長からオープニングのあいさつ、広報やラッピングバスデザイン等の感謝状と表彰が行われた。次に京都国文祭、北から南から、次世代の若者のステージから、民話朗読より伊根町の「水の江の浦嶋子」、園部高校からは「吟詠剣詩舞(日本刀)」や橘高校の「和太鼓演奏(呼響)」など素晴らしいものだった。
ミニコンサートは東儀秀樹氏の音色に聞き惚れていた!
国文祭委員長の鷲田清一大阪大総長が、テーマ「こころを整える~文化の基本形は?」の理解を深める1回目のリレーシンポジウムが開かれた。
パネリストには小暮宣雄京都橘大教授や演出・構成・脚本家の小林香氏、雅楽師の東儀秀樹氏、京都を愛して已まないジェフ・バーグランド氏が熱弁を奮った。
ひちりきを吹く東儀さんとゲストの和紗さんフィナーレはメッセージソングシンガーの和紗さんとともに「微笑えの空(東儀氏の作詞作曲)」会場全体で合唱した。
なお第26回国民文化祭・京都2011のマスコットキャラクターPR隊長「まゆまろ」だが、体は繭をモチーフ、繭から出来たシルクが美しい丹後ちりめんや西陣織・京友禅の和装文化を生み、京都から新しい文化を創り育てる。また「まゆまろ」のデザインでラッピングした市バスが運行しPRするという。
因みに、今年の開催地は岡山県で「あっ晴れ!岡山国文祭」を備前・美中・美作エリアの三ブロックで11/7まで開催している。