2009年10月23日金曜日

京都 時代祭

京都三大祭りの最後を飾る時代祭が22日、華やかに催された。平安遷都から1,100年目にあたる明治28年、明治維新で活気を失った市民は京の街を盛りたてるため、平安京を造営した桓武天皇を祭神として平安神宮が創建された。
徳川城使上洛列
笛や太鼓を奏でる維新勤王隊列人々の熱意の象徴として、その意志は京都の誕生日10月22日に「一目で京の都の歴史と文化が理解できるものを」「他の都市には真似のできないものを」というもので、京都人の心粋きと誇りが織り込まれている風俗史の時代行列を華やかに盛り上げた。吉野太夫
皇女和宮爽やかな秋晴れの下、明治維新から平安時代へと遡る約2000人の行列が、華やかに都大路を練り歩いた。
平安神宮(左京区)で神事を営んだ後、祭神を移した2基の鳳輦(ほうれん)を連ねる神幸列があり10:00頃京都御苑(上京区)建礼門前在所に到着した。 織田信長は戦乱で荒廃した京都を復興した
豊公参朝列、当日だけ許された特別な装束の大名時代行列は正午に京都御所の建礼門前を出発、軽やかに「ぴ~ひゃら」と笛や太鼓を奏でる維新勤王隊列を先頭に、丹波からは官軍派の山国隊。
桂小五郎や坂本龍馬・中岡慎太郎、幕末の志士が続く。 室町時代後半、京町衆は風流踊りが流行った!
室町幕府執政列江戸時代は徳川城使上洛列、武家風俗を代表する大名や安土桃山時代の武将は織田信長や羽柴秀吉・柴田勝家など、室町幕府、足利将軍や洛中風俗列では風流踊り。吉野(南北朝時代の南朝方)楠木正茂、衣冠装束や甲冑(かっちゅう)姿で堂々と歩いた。安土桃山時代、内掛け姿の淀君
中世に隆盛した装飾性の高い大鎧や甲冑、勇ましく行進中世婦人列では大原女や桂女、淀君さらに静御前、江戸婦人列たちは和宮・大田垣蓮月や吉野太夫など優美な十二単(ひとえ)や清らかな小袖姿を披露した。巴御前は騎馬姿で!
城南流鏑馬列、的抱え、独特の刈装束で登場鎌倉では城南離宮で行われた流鏑馬の装束。
平安時代中期、藤原氏が最も隆盛した時代の文官・武官の夏装束や、平安時代の紫式部・清少納言や小野小町・巴御前も現れた。才女、小野小町
平安時代を大きく変化した清少納言・紫式部さらに歴史は遡り桓武天皇平安京遷都延暦の頃へと続いた。美しい羽が目を引く前列
延暦文官官行進列祭神の乗る「ご鳳輦」白川女献花列、最後は弓箭組列、平安遷都の警備に当たる。
平安神宮の御神霊を移した乗輿・御鳳輦が巡行する長さ約2キロの行列は正午に京都御所を出発。
烏丸通や御池通を進み河原町通を左折、三条大橋渡り神宮道で左折して大鳥居をくぐり平安神宮に到着した。行列の警護役は弓術盛んな丹波の南桑田・船井の人々
白川女の献花列京都の三大祭(葵祭・祇園祭)の町おこし事業の集大成として、沿道に詰めかけた大勢の市民や観光客に魅了した。時代行列は過去戦争や天災などで中止の年もあったが今年で105回目を迎えた。大パノラマは終局迎えた
近衛忠煕、幕末・維新期の公卿豪華な大行列は8つの時代に構成され、行列数は当初の6列から今では20列に増え人員約2000名牛馬76頭、京都御所~平安神宮約4,5kmの道のりには広大な大パノラマが展開した。 錦秋の京都の歴史絵巻が彩る伝統祭事・時代祭である。
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