2013年10月23日水曜日

時代祭2013 その1

22日、京都三大祭の有終を飾る時代祭が都大路で繰り広げられた。明治維新から延暦時代まで8つの時代を20の行列に分けて再現する歴史風俗は、武将や公家装束とたくましく生きてきた京女や花街芸舞妓さんも参加し、御所・建礼門前を出発、午後2:20ごろ神宮道、平安神宮の大鳥居に着いた。
ご婦人の方々による八女踊り、総勢2、300人入ると思った!
行列に先駆けて地域のご婦人方が演ずる「八女踊り」があった。平安遷都1100年目にあたり、明治維新で活気を失った京都の街を盛り立てるため、平安京を造営した桓武天皇を祭神として平安神宮が創建、それを祝って開催したのが時代祭で119年目である。
行列は新しい古都に向かっている!御所で時代祭を見学するがことしは11:00ごろ平安神宮に来て見たが大鳥居から有料観覧席があり、続いて招待席になっていた。
大鳥居を潜りぬけて維新勤王隊列。
騎馬のトップは平安神宮の宮野理事長。神門(応天門)の両脇には無料席が設けられていた。行列に先駆けて地域のご婦人方が演ずる「八女踊り」が2:00前にあり華やかになった。
軽快なリズムにのせて“ピーヒャラ、ラッタッタ”と笛や太鼓を奏でる。軽快なリズムにのせて“ピーヒャラ、ラッタッタ”と笛や太鼓を奏でる維新勤王隊列を先頭に、丹波からは官軍派の山国隊がつづいた。
平安神宮の中へを向かう。
官軍派の山国隊。明治維新時代、桂小五郎や坂本龍馬・中岡慎太郎や高杉晋作、吉田松陰など幕末の維新志士列や七郷落の面々たち。
七郷落。徳川城使上洛列では、徳川幕府は朝廷の儀式など将軍の名代として譜代の大名を城使として上洛させた。
槍持の奴さん。
重いものでも力を合せて持っていく。江戸時代、豪華な駕籠や槍持、傘持、鋏箱(はさみばこ)持の掛声、奴の所作は当時を行列の有様を偲ばせる。
許婚と別れて将軍・徳川家茂に嫁いだ。
江戸時代、豪華な駕籠や道具類。孝明天皇の皇女・和宮は、皇族の許婚と別れて将軍・徳川家茂に嫁いだ姫、僅か16歳だった。鮮やかな朱色の唐衣が特徴で和宮を表す菊華の紋が織り込まれている。
中村内蔵助の妻や小袖姿のお梶さん。江戸末期、京都銀座で巨万の富を築いた中村内蔵助の妻や小袖姿のお梶、吉野太夫、今年から衣装か新調された出雲阿国など優美な清らかな姿を披露した。
牛車。
ことし、衣装が新調になった出雲阿国。牛車はビロウの葉で屋根を葺き、御簾などの色文装具は最高の様式である。
織田信長。
羽柴秀吉。 正親町(おおぎまち)天皇のお召しに応じて織田信長は上洛したという。秀吉は三鍬形前立兜で糸巻太刀に鞭を持った姿である。
伊勢氏は引立烏帽子。
観客に手を振って答える人。政所執事の伊勢氏は引立烏帽子、絢爛豪華な行列が街を練り歩く時代祭の装束の魅力は千年の歴史絵巻が彩る伝統祭事である。 この後、つづきとする。

2013年10月22日火曜日

奈良 元興寺(がんごうじ)

元興寺は日本最古の本格的仏教寺院である法興寺が前身であり、南都七大寺の一つで蘇我馬子が飛鳥に建立した。奈良時代、東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが衰退して、現在は元興寺と名乗る寺院は次の二つに分かれている。
国宝 極楽坊本堂(極楽堂または曼荼羅堂)という。
東門は室町時代に東大寺の門を移築したもので重要文化財である。極楽坊本堂(極楽堂または曼荼羅堂)と言い、元興寺東室南階大坊(僧坊)の一部であり、本邦浄土六祖の第一祖ある智光法師が感得した浄土曼荼羅を本尊とし寄棟造に大改築され、極楽堂、曼荼羅堂とも呼ばれ智光の住房が前身という。
極楽坊本堂、禅室の周囲を萩の花がたくさんあった。 古来浄土発祥の聖堂として名高く、内部柱に念仏講の寄進文がある。堂の外観は寛永二年(1244)改修時の姿であるが、内陣に奈良時代僧房の身舎部を残し、西流れの屋根に見る行基葺古瓦は当寺の前身飛鳥寺から移建の際に運ばれたものである。
カエル岩?見えるだろうか!
花梨の実。東門は室町時代に東大寺の門を移築したもので重要文化財である。同寺は三論宗と法相宗の道場として栄え、東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を誇っていた。寺域は南北約440m、東西約220mと南北に細長く大きかった。
芙蓉の花。
自然が創った絵になる光景・・・。日本最古、飛鳥時代の瓦(極楽坊禅室・本堂)の本堂の屋根は気が付かなかった! 屋根瓦の一部は飛鳥・奈良時代の古瓦が使用されているという。
本堂の西に軒を接して建っている禅室(国宝)は、東西に長い一棟の僧房であったものを鎌倉時代に改築し 本堂と同様、部材や屋根瓦の一部には奈良時代のものが残っているという。
本堂からの光景・・・。
元興寺文化財研究所によれば、年輪年代測定法で調査したところ、西暦582年伐採の樹木が使用されていて法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていたという。
静寂な元興寺、一人の女性が・・・。
元興寺は世界文化遺産「古都奈良の文化財」にも登録されている。 収蔵庫には五重小塔が安置、高さ5.5mの小塔だが内部構造まで忠実に造られており国宝に指定されている。 元興寺は世界文化遺産「古都奈良の文化財」にも登録されている。
<元興寺>
住所:奈良市中院町11
電話:0742-23-1377
拝観:9:00~17:00
拝観料:400円障害者200円
交通:近鉄奈良駅徒歩15分 バス福智院町下車徒歩5分
           JR奈良駅徒歩20分 バス田中町下車徒歩5分

2013年10月21日月曜日

ならまち 格子の町家

奈良町は、奈良時代の平城京の区画のうち東部に突出たところで、平城京遷都以来まちづくりがはじまり、都があった時代のころの歴史を物語っている。
訪れる人々にやすらぎとうるおいを与え懐かしさを感じさせてくれる古い町並みである。
奈良の都があった時代のころの歴史を物語って風情があった。江戸末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える奈良町は、訪れる人々にやすらぎとうるおいを与え懐かしさを感じさせてくれる古い町並みである。
軒先に吊るされた赤い「身代わり猿」が目に留まった!
奈良町資料館もあった。元興寺極楽坊へ行く道すがら「ならまち」を散策すると、美しい格子の町家や軒先に吊るされた赤い「身代わり猿」が目に留まった!
青面金剛(しょうめんこんごう)像を祀った小さなお堂。
申(さる)はお守りで「身代わり申」は魔除けとして軒先に吊されている。ならまちの中心である西新町には、庚申堂(こうしんどう)信仰の青面金剛(しょうめんこんごう)像を祀った小さなお堂があり、屋根の上には「見ざる聞かざる言わざる」の三猿像が鎮座している。 青面金剛の使いである申(さる)はお守りで「身代わり申」は魔除けとして軒先に吊されている。
歴史ある素朴な雰囲気があった。
史跡、元興寺小塔院跡。美しい格子の町家が並ぶ「ならまち」の町家の特徴は、間口が狭く、奥行きが深い造りとなっていて格子戸は、風量や日差しの調整に適した造りで、その隣には商品の陳列台として利用されるあげ床がある。
奈良町に入る橋の下、川底から見つかったお地蔵さんを祀っている。
江戸末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える奈良町。歴史ある素朴な雰囲気はどこか懐かしく、古きものと新しきものが息づく「ならまち」で迷路のような細い路地にも心惹かれた。市の中心部、奈良公園や興福寺の南側に 「ならまち」と呼ばれるエリアがある。(10/18写真撮影)元興寺へつづく・・・

2013年10月20日日曜日

奈良 ミニ牧場(植村牧場)

コスモスで有名な般若寺の真向いに小さな牧場がある。コスモス寺の帰り今年も立ち寄ってみた。市街地の中で一番古いという植村牧場は広さ約1800坪で、牧場主が病弱だったため「自分の健康のために飲むつもり」で乳牛を飼いはじめたのが始まりだったという。
明治時代からの木造の牛舎の中には30頭余りの牛を飼育している。
コスモスで有名な般若寺の真向いに植村牧場がある。現在は明治時代からの木造の牛舎の中には30頭余りの牛を飼育し、一日1500本の低温殺菌牛乳を奈良一円の一般家庭に届けるほか、奈良ホテルやレストランに宅配し、週末には京都や大阪からも来るという。
牧場主が病弱だったため健康のために乳牛を飼いはじめた。
この日は牧場の敷地の奥の牛舎の中には30頭余りの乳牛や子牛も繋がれ、牛三頭が日光浴を浴びていた、羊さんも知らん素振りで草を食べ口を動かしていた!
ことしは「牛乳(@150円)」を頂いたが濃厚な味がした。
創業以来一貫して新鮮な牛乳を手作業で真心をこめてお届けしている。機械化が進む中、明治17年創業以来一貫して新鮮な牛乳を手作業で真心をこめてお届けしている。 甘さもほどほどに抑え、しぼりたてのミルクから作った「ソフトクリーム(@300円・昨年ご賞味頂いた)」、ことしは「牛乳(@150円)」を頂いたが濃厚な味がした。
猿沢の池と五重塔。猿沢の池と南円堂。牧場でとれた乳製品を販売だけではなく、実際に目の前で飼育されている子牛や羊など触れて観察できた。
<奈良 植村牧場>
住所:奈良市般若寺町168
電話:0742-23-2125
営業時間:10:00~17:00
交通:奈良交通バス青山住宅行き「般若寺」バス停下車徒歩5分 駐車場あり