2010年10月20日水曜日

斎宮行列(さいぐうぎょうれつ)

つづく・・・野宮神社を出発した約百人の斎宮行列の一行は、青竹の揺れるなかを太鼓や笛の音を響かせながらJR嵯峨嵐山駅前に進んだ。群行の警備は将従武官、続く山城守腰輿(およよ)はJR嵯峨嵐山駅前に参進する
野宮は、三重の伊勢神宮に奉仕する斎宮が、京都を出発する前に身を清めて神を祀るため篭もったところで一つの潔斎所だった。女官の後姿
斎宮の身辺の雑事を司った女官歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せられたことを斎宮(さいぐう)といった。
斎宮に立たれる内親王は、皇居内の初斎院で一年余り潔斎されてからこの野宮に移り、三年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎王群行といった。JR嵯峨嵐山駅前の牛車
戸座と火炬小女斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭(やまと)姫命をして奉仕せられたのが始まりで、嵯峨天皇の皇女もここ野宮で三年間の潔斎のあと伊勢神宮に向ったという。
古の古式豊かな斎宮行列は、輿に乗った十二単(ひとえ)姿の斎王代・女官や官人など華やかな装束を身にまとった行列参進が、平安絵巻さながらの雅な風情でJR嵯峨駅前周辺や嵐山・渡月橋一帯を約2時間かけて練り歩いた。JR嵯峨嵐山駅前を参進する輿
斎王代・田中美奈さん伊勢神宮に向かう「斎宮行列」のヒロイン・斎王代を務める地元右京区の田中さん(22歳)は、過去火炬小女(ひたきのしょうじょ)役で行列に参加した思い出もあるという。 華やかな女官たちの装束
斎王生群行は嵐山・渡月橋上京の都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」を再現したお祭で斎王代や高級女官・命婦(みょうぶ)乳母、采女(うねめ)女孺(にょじゅう)、戸座(へざ)は少年・火炬小女は少女。さらに山城守・葛野大領で平安京の通過国の左京・右京太夫及び山城守・近江守・伊勢守の国守だったという。野宮の地域は山城国葛野郡に属していた。斎王群行の責任者は監送使、群行の警備は将従武官、その他、斉宮寮主官人や腰輿(およよ)を担ぐ駕輿丁や群行の雑事・白丁など総勢数百人を経て斎宮に到着するまでには5泊6日もかかったといわれる。 采女(うねめ)のこの方は美人
お稚児さんはママと一緒に・・・JR嵯峨駅前から、可愛いお稚児さんや牛車も斎宮行列参進に入って、嵐山商店街・天龍寺前、渡月橋へと進んだ。中ノ島公園に入った一行は、風光明媚な嵐山・渡月橋を景色に全員で記念撮影をした。中之島公園で・・・
斎王を中心に記念撮影沿道の中ノ島公園・渡月橋は、たくさんの観光客たちが京都ならではの“平安絵巻”模様をカメラに写していた。つづく・・・

2010年10月18日月曜日

斎宮行列(さいぐうぎょうれつ) 野宮神社

17日、右京区嵯峨・嵐山の野宮神社では例大祭・斎宮行列があり斎王代が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う「斎王群行」が営まれた。今年の斎王代は地元の田中さん(22歳) 神職がお祓いをする
野宮の社は、日本最古の黒木(くらき)鳥居が珍しく、黒い樹皮ついたままの鳥居のことで、形式としては原始的で用材はクヌギの木の皮を剥かないまま使用している神社である。斎王代は朱色の毛氈を巫女と命婦とともにすすむ
役目を終え神職は社務所へ美しい竹林の小道の奥に社はひっそりと佇まいし、伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で三つの祠があり、祭神は中央に天照皇大神を祀り、左右に愛宕、松尾の神を祀っている。
千二百年の歴史を持つ斎宮行列は、伊勢神宮にお仕えする未婚の皇女で、「斎宮(斎王)」とは、天皇が即位するごとに天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王)のことで、飛鳥時代の天武天皇のころすでに確立されていた。南北朝時代の後醍醐天皇まで、約660年間64人の斎宮が遣わされていたと伝えられている。腰輿(およよ)に乗る斎王代
采女(うねめ)伊勢参拝前に三年間こもる潔斉所(けっさいしょ)が野宮神社付近にあったことから、1990年から地元の斎宮行事保存会などが行列を催し、本年は12回目になる。
斎王代が任命を受け、都から伊勢へと向う旅が「斎王群行」と呼ばれるもので、斎王以下監送使、官人・女官などあわせて数百人にも及んだとされている。当時斎宮行列が伊勢まで到着するのに5泊6日も要した。また斉王群行を再現したのは、平成10年の“みえ歴史街道フェスタ”が契機となったという。
竹の緑と腰輿と駕與丁、バランスが好い約100人の斎宮行列のスタート正午に野宮神社を出発した約100人の斎宮行列は、美しい竹林の小道を通り、華やかな平安装束に身を包み十二単姿で腰輿(およよ)に乗る斎王代を駕與丁(がよちょう)が担ぎ、嵐山商店街・JR嵯峨嵐山駅前に向った。
つづく・・・

2010年10月16日土曜日

人形供養祭  宝鏡寺門跡(ほうきょうじ)

宝鏡寺は、百々(どど)御所とも言われる臨済宗の尼門跡寺院で、通称人形の寺としても有名である。百々御所とも言われ、また人形の寺しても親しまれている宝鏡寺は、皇室ゆかりの尼門跡寺院
中世に栄えた尼五山の一つであった景愛寺(けいあいじ)の法灯を受け継ぐ宝鏡寺は、光厳天皇皇女・華林宮恵厳(かりんのみやえごん)禅尼が伊勢二見浦で、漁網にかかった観世音菩薩を奉じて創建・開山した。境内の人形塚
要らなくなった人形を供養する本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見ヶ浦で漁網にかかったものと伝えられ、その姿は、膝の上に小さな円鏡を持った珍しい菩薩像だという。日本人形
楽しんだ人形たちが・・・その後、1368~75(応安)年間に、この聖観世音菩薩像を景愛寺へ奉納された。当時の住職であった第六世華林宮惠厳禅尼は、景愛寺子院の福尼寺を現在地へ移して寺名を菩薩像が手に宝鏡を持つところから宝鏡寺と改められた。 人形塚の尼さんが読経する
人形供養祭は島原太夫が献茶と献花をするその後も寛永21年(1644)年、後水尾天皇の皇女久厳理昌禅尼(くごんりしょうぜんに)が入寺され、以来、紫衣を勅許され歴代皇女が住持を勤め、皇室との関係が深い尼寺として栄えた。アングルをかえて
太夫も手を合わす
しかし、1788 (天明8) 年の大火で焼失、直ぐに再建が始まり1798 (寛政10) 年に竣工した書院をはじめ、本堂・表門・阿弥陀堂・玄関・使者の間の襖絵は、1833(天保4)年、円山派の絵師により描かれたものである。
現在、京都市指定有形文化財に指定されている。人形塚前で一般の方々にも焼香不要になった人形に手を合わす尼僧
また1830(文政13)年、本堂・使者の間・玄関等が造営され、このうち本堂は、前後各三室からなる“六間取の方丈形式”で床を一段高くしている。
さらに1847(弘化4)年、光格天皇勅作の阿弥陀如来立像とともに御所の古建材を用いて阿弥陀堂(勅作堂)は建立された。続いて島原太夫の舞の奉納
本堂で一弦琴の奉納宝鏡寺は皇室ゆかりの尼寺門跡寺院で代々の内親王が住持されて、寺へ入った皇女へ御所から人形が贈られてきたため、多くの人形を保存している。
そのため宝鏡寺は“人形の寺”として知られるようになり、一般からも供養として人形が納められるようになった。
宝鏡寺の人形供養祭の歴史は意外と新しく1957(昭和32)年秋、10月14日営まれることとなり人形塚も建立された。 皇女方が入寺されていたことで御所から人形が贈られた
扁額“人形供養祭”は境内の人形塚の前で、不要になった人形を読経のなか、島原太夫の献茶や小袿「こうちぎ(平安時代以降用いられた高位の宮廷女性の上着)」の献花などもあり焼香・納灰をする。受付で頂いた紙のヒトガタを燃やした灰の一部が人形塚の中に納められる。
また本堂では、一弦琴の琴や島原太夫の舞の奉納があった。「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども
           愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」 
武者小路実篤
<宝鏡寺門跡>
住所:京都市上京区百々町(寺之内通堀川東入る)電話:075-451-1550
拝観:普段は非公開だが、春・秋の特別公開がある。
料金:600円 300円 
駐車:2台のみ
交通:市バス「堀川寺之内」下車、東へすぐ

2010年10月15日金曜日

宝永祭 六孫王神社

南区八条通壬生北西角にある六孫王神社は、清和源氏(せいわげんじ)の祖と仰がれる源経基(つねもと)を祀っている。祭神である源経基は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子であり天皇の孫であることから「六孫王」と呼ばれていた。
御霊を移し本殿から出る
神輿は東鳥居から表通りへ神社の伝えでは、この地は経基の邸宅のあった場所で、その子源満仲(みつなか)が961年から三ヵ年の応和年間に社殿を建立したといわれる。その後、いつしか荒廃していたが、1700(元禄13)年、当社の北隣の遍照心院の南谷上人が幕府に請うて再建し、この神社を遍照心院(別名大通寺)の鎮守とした。子どもたちの太鼓が奉納
“鳴りカン”を鳴らしながら神社へ到着江戸時代に清和源氏の子孫たちが六孫王神社を再興し、1707 (宝永4) 年に盛大な祝儀を行ったと謂われていて、これが宝永祭の起源と云う。
本殿には「六孫王」と呼ばれていた経基、相殿に天照大神(あまてらす)、八幡大神を合祀している。本殿背後の石の基壇は経基の遺骸を納めた場所で神廟といわれている。 サービス精神が旺盛な鬼に少女は笑顔
清和源氏発祥の六孫王神社源氏ゆかりの神社として、江戸時代には武家の信仰が厚かったことは、境内石燈篭に松平吉保(よしやす)など諸大名の寄進者名が見えることでしのばれる。境内北の弁天堂内には六孫王誕生水があり古くから京都名水の一つとされている。
宝永年間に再興した例祭は13時より行われた。
東山普門太鼓の方たち神輿は大宮通の五重塔を見ながら・・・
宝永祭が行われる前に、担ぎ手は“鳴りカン”を鳴らしながら神社へ来る。神輿庫から神輿を出し本殿の中に入れ、本殿内で神輿を祓い御霊を移し厳かに神事が執り行われた。神事が終わると神輿は境内に移動し、担ぎ手が差し上げを行った。境内にある会館の前では行列の出発を送る太鼓が奉納された。
五重塔と鬼九条大宮を神輿は行く
宝永祭のメインは鬼だが、サービス精神が旺盛で、何処でもポーズしてくれる。この鬼は氏子範囲にある羅城門の謡曲「羅生門の鬼」から採られたもので、露払いの鬼が神輿の前を先導する。
八条通りを東へ大宮通り南下、東寺前を通過、そして祭列一団が「大通寺」に到着する。九条通りを西に進み旧千本通りを北上するという。幼児は太鼓のバチを・・・神輿に大通寺の住職は経を唱える
四匹の鬼は、東西南北の四方を表し、青龍/白虎/朱雀/玄武という。
行列は、先太鼓/太刀/弓矢/四鬼/神輿と続き、神輿は部分的に担ぎ、時折、差し上げも行いながら台座で移動した。通りには家族に連れられた幼い子たちが、鬼を見て恐怖で泣き出す子もおった。神輿を持ち上げをする、旧千本通へ入る
九条通氏子地域町内を午後五時頃まで練り歩いて巡行する秋祭り、暑い日であった。
清和天皇の孫で清和源氏の祖と仰がれる源経基、「清和源氏発祥の宮」と称した六孫王神社、10月の例祭は「宝永祭」という。
<宝永祭 六孫王神社>
住所:京都市南区壬生通八条角 電話:075-691-0310
拝観:境内自由
交通:JR各線、近鉄京都線、地下鉄烏丸線「京都」より徒歩13分。
    市バス 16系統「六孫王神社前」バス停より直ぐ。