2010年3月9日火曜日

梅宮大社「観梅と椿」

楼門二層部には奉納された酒樽が並ぶ酒造の祖神を祀る
鳥居と楼門醸造や授子・安産などで親しまれている梅宮大社は、右京区四条通りを北へ100mのところにある。境内に咲く薄桃梅八重の紅梅
“梅”が神花となっている梅宮大社は、平安時代の始めに嵯峨天皇の・橘嘉智子(たちばなのかちし)・檀林(だんりん)皇后によって現在の地に移された。
奈良時代、橘氏の氏神として現在の綴喜郡井手町付近に創建したのが始まりといわれる。白椿
社務所横の赤椿祭神は本殿四座から、酒解神(大山祗神・おおやまずみのかみ)、大若子神(瓊々杵尊・ににぎのみこと)小若子神(彦火々出見尊・ひこほほでみのみこと)酒解子神、(木花咲耶姫命・このはなのさくやひめのみこと)を祀って古くから安産と造酒の神として有名である。 池畔には梅の花
目にも鮮やか紅梅また、嵯峨天皇の壇林皇后は、子宝に恵まれず、当梅宮大社で授子祈願し、仁明(にんみょう)天皇が生まれことから、子授けの神として信仰された。本殿横に「この奥に、またげ石」の立て札
花びらが大きい、やまぶきの花現在、授子の御守、安産産砂御守、安産岩田帯などが売られている。
なお、境内の「またげ石」は本殿東にあり、祈祷を受けた後、夫婦が3回跨ぐと子宝に恵まれるという風習がある。蝦夷椿か!
神苑前の白梅が満開”梅”を“産め”にかけている梅宮大社だが、梅や椿も見ごろになっている。
神苑入口前の白梅の花が満開に咲いていた!
鯉やカモものんびりと泳いでいる、咲耶池(さくやいけ)は桂川から水を引いている。よいショット、メジロさん!散り始めた梅の花も風情が・・・春から初夏にかけての池畔は、神花の梅に始まり、椿・桜・ツツジ・カキツバタ・菖蒲・紫陽花が植栽され季節にあわせ次々と楽しめる。東苑にある茶室「池中亭」では、ときどき茶会が開かれているという。
松尾の山々と神苑の咲耶池東神苑の池と中島の茶室「池中亭」この長閑な田園風景に造られた梅宮大社、現在、境内神苑の周辺は高層ビルが迫っている!いつまでも残したい日本第一酒造の祖神・子ざずけ安産・学業、音楽、芸能の神、梅宮大社である。
<梅宮大社>
住所:〒615-0921京都市右京区梅津フケノ川町30
電話:075-861-2730
拝観:境内自由9:00-17:00
    神苑入苑料・500円・障害者250円
交通:市バス「梅宮神社前」下車、北へ約3分。
    阪急電車嵐山線「松尾駅」下車、東へ徒歩約15分

2010年3月6日土曜日

三十三間堂 春桃会(もものほうえ)

3月3日は、陽数の3が重なっておめでたいとされる祝節「重陽」の一つで、三十三間堂も3が重なることから、祝節に因んで「桃の法会(もものほうえ)」が営まれた。今和尚を師を仰ぎ、天台宗僧侶で作家である
青空説法する瀬戸内寂聴さん 東山七条にある長大な本堂の愛称をもつ三十三間堂は、正式名称「蓮華王院」と呼ばれる。もともと広大な法住寺殿の一画に後白河上皇が離宮として建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。
“三十三間堂”の呼び名は三十三の本堂柱間を数えることに由来し、木造建築では世界一の長さを誇っている。法話は1時間続いた
寂聴さんは88歳、春桃会の青空説法には毎年来てる平安時代末期に平清盛が建立したが焼失し、1266年に再建された。
南北約125mの長い本堂には千手観音坐像(国宝)をはさんで左右に各500体の一体一体表情の異なる千手観音立像が整然と並んでいる。1001体を数えるという千手観音像は圧巻! いつお参りしてもこころが清々しくなる。
本堂の中央には千手観音坐像が安置、仏さまの手に結んだ五色の紐の端を持ち(結縁綱参拝)参拝した。また池坊華展が本堂に献華されていた。本堂東南には特設の東風檀参拝があり高檀から千体仏を拝むことができる。
この日の三十三間堂は、吉例の春桃会(もものほうえ)の祭りが行なわれていた。境内は無料公開で、献華法要や作家で天台宗僧侶・瀬戸内寂聴師の青空説法もあり大勢の参拝客や観光客で賑わっていた。
本堂(国宝)は鎌倉時代の入母屋造で本瓦葺。 秀吉建立の遺構「南大門」(重文)
方広寺大仏殿の外塀、豊臣家の桐の家紋豊臣秀吉から寄進された「太閤塀(重文)」は本瓦葺で豊臣家の桐紋の文様が用いられている。豊国神社の北隣、方広寺大仏殿の外塀から移築されたのもで、塀の高さは5.3m、長さ92mの建造物である。また南大門(重文)は秀吉が南門を方広寺で建立、その子、秀頼が現在の位置に移築した門である。
三十三間堂には免震法があると伝えられいる。
先人たちの火災・地震の反省から様々な工夫を凝らした建築は、波に揺れて浮かぶ筏のように“揺れ動く”ように施されている。
通し矢が行われる西縁120mの距離また初春の風物詩「三十三間堂の通し矢」は、その始まりは不明であるが桃山時代にはすでに行われていたと伝えられる。全国から新成人・ベテランの弓道者が集まって競う。「通し矢」は、お堂の西縁の南側に的を置き、120mの距離を弓で射通し、その矢数を競ったのが今に伝わる。また、同時に行われる「楊枝のお加持」は、「頭痛封じ」の御利益があるといわれる。
桃の節句の「三」並びの日に合わせて境内が無料開放され、古くから人形(ひとがた)に穢れを託して川や海に流して災厄を祓い、無病息災を祈る習慣があった。
瀬戸内寂聴師の青空説法や千体観音像を特設の高檀から遥拝するなど、縁日(無料公開)のみの慶祝行事が催され、限定の女性専用の「桃のお守り」も授与された。

2010年3月4日木曜日

流しびな 下鴨神社

3月3日、左京区の下鴨神社で子どもたちの健やかな成長を祈る「流しびな」の神事があった。流しびなのさんだわらは赤衣に金の袴烏帽子、簡素な白梅模様の可憐な夫婦雛
賀茂御祖神社、流しびなの神事あった葵祭りでも有名な賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は‘通称’下鴨神社といって、境内の中にある糺の森(ただすのもり)がある。
森林の全域が昭和58年(1983)に国の史跡として指定、保存されている。また平成6年(1994)には神社全域が世界遺産に登録になった。
東京ドームの約3倍、約12万4千平方メートルの面積がある。
参拝者と観客・写真愛好家は流しびなを狙う3月3日桃の節句、無事大きく育つことを願う
河合橋を通り北へ進むと一の鳥居、直線の参道が続く、奈良の小川の御手洗橋を渡り二の鳥居、楼門を入るとたくさんの参拝客が「流しびな」を観ていた。流しびなは、恒例の3月3日桃の節句に下鴨神社の境内に流れる御手洗川で行われる。
流しびなの桟俵(さんだわら)は赤衣に金の袴烏帽子、簡素な白梅模様の可憐な夫婦雛。子どもの成長を願い御手洗川に流すと心が清められ、すべての厄はのがれられると言い伝えられる。
幼稚園児さんだわらに乗せた紙の雛人形を御手洗川に流した流しびなは、日本古来の伝統行事で人形に災厄を託し、川や海に流すことによって厄祓いする習慣から始まった。
女の子が生まれたら無事大きく育つことを願い、小さな人形を飾るお祭りとなったが、今でも各地に流し雛の風習が残っている。和紙で着物を作り、顔は土を丸め胡粉を塗った素朴な人形に願いを込め川や海へ流す・・・すくすくと成長すること願って
束帯姿の男性と十二単姿の女性御手洗川前には、束帯姿の男性と十二単姿の女性が主役、宮川町の舞妓さん、京都タワーのマスコット・たわわちゃんらがさんだわらに乗せた紙の雛人形を御手洗川に流した。続いて、幼稚園児が元気いっぱいに合唱をした後、大勢の参拝客が次々と雛人形を流した。橋殿に飾ってある七段飾りのお雛様を記念撮影いくつかなー可愛いお穣ちゃん
流しびなは、雛祭りの大基となった行事で雛祭りの起源は、3月3日の上巳の節句の薬草摘みだったが、民間では女児の祝い日としてひな祭りをするようになった。
源氏物語にも出てくるほど歴史ある行事で、やがてこの行事は宮中のひいな遊びへと発展し、この日に曲水の宴が行われたという。
雛祭りへと変わりつつ、現在でも流しびなは、各地に残っている。橋殿に飾ってある七段飾りのお雛様を記念撮影した。参拝客は大勢だった和服姿4人と横浜の2人
梅がきれいに咲く桃の節句、“京の流しびな”の帰路、楼門で和服を着た4人連れと2人連れの女性にあった。2人連れは横浜からの観光客、また京都にぜひ来たいと話していた!

2010年3月1日月曜日

京都御所 梅林

白梅
薄紅梅新聞の情報を手に、久しぶりに京都御所の五分咲きの梅林に出かけた。梅だよりの情報は、ちらほら咲き、五分・七分、満開、散り初めの五段階に分かれている。薄桃梅
黄白梅梅林に着く前に「出水の小川」の立て看板があった。三条蹴上で分水した琵琶湖疎水は御所水道として最近まで防火等、明治から使われて来たという。
現在は平成2(1992)年に地下水を循環ろ過、流れを維持しているという。長さ約110m深さ20cmで幼児にも安心で、川底の石は琵琶湖安曇川産を敷いている。
小川の畔を散策していると、京都御所の梅林へ着いた。 若い家族連れが来ていた
可愛い女の子が梅を観て・・・寒暖の差が激しいこの頃だが、ずっと冬篭り続けていられない・・・いつの間にか梅の木が満開、そして散り始めた梅に出会った!
散った梅の花を写真に収めようと思ったが、シャターチャンス到来!
そこへ女児が現れ綺麗に咲いた梅の花を指差した。
5分咲きの梅の花の感じ、でも七分咲きが一番見ごろだろう。梅園にはベンチが置かれてあった
烏丸丸太町へ来たら寄ってみよう!曇天の下で梅見のお弁当を広げる人や写真愛好家の姿が見受けられて、春近しが感じられる光景だった。
烏丸松太町の播磨屋ステーションに寄ってお茶をご馳走になり帰った。

2010年2月26日金曜日

北野天満宮 梅花祭

「天神さん」の通称で親しまれている北野天満宮は、今出川通と御前通が交差する北西角にある神社で祭神は菅原道真公である。 社殿の前は紅梅でつぼみが膨らんでいた!
楼門を入ると赤目の丑が迎える今出川通から北へ、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、楼門(重文)、中門(三光門)、社殿(国宝)となっている。また東の上七軒には東門(重文)があり北門もある。豊臣秀吉が都の大改造に取り組くんだ「御土居」と呼ばれる跡が天満宮境内の西側に残る。
中門の白梅桃色の梅花、匂いは甘い香り
道真公は幼少のころより学問文才に勤しまれ、「和魂漢才」の精神をもって朝廷の官吏として活躍された。道真公は承和12年6月25日に誕生し、延喜3(903)年2月25日59歳で大宰府(福岡県)で亡くなった。 梅花祭もおわって置屋急ぐ芸妓さん衣装やかんざしも梅の花の舞妓さん
道真公は天満宮に祀られたのは平安時代に遡る。
代々文道をもって朝廷に仕える家柄で33歳の若さで文章(もんじょう)博士、55歳で右大臣まで昇進した秀才だった。政的ライバル藤原時平とともに従二位に叙せられたが、藤原氏から妬みを受け、策略陰謀により太宰府に左遷させられた。一仕事終え表情も和やかだ!2月は梅、上七軒の舞妓さんのかんざしは、月ごとに変わる
北野天満宮では、毎年2月25日は菅原道真公の命日で「梅花祭」が行われる。
東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るなと詠まれた文道の大祖・道真公は、ことのほか梅を愛された。
うしろ姿も艶やかに襟あしがいろっぽいだらりの帯が奏でる躍動感、お知り合いの方と会えば気さくにあいさつを・・・この縁により、毎月25日を縁日として遺徳をしのび、特に祥月命日に当たる2月25日は「梅花祭」と称して神事の祭事が厳粛に執行されている。
天神さんは約2万坪の境内に50種約1,500本の梅がある。早咲きの梅は12月中句頃からつぼみがふくらみ始め1月初旬には咲き始める。
境内一円、春を告げるかのように咲き始めた「梅花祭」とともに、さくさんの参拝者や観光客はよい香りがただよう梅の花を愛でていた。境内の東門、名物”長五郎餅”の前の芸舞妓さん
「梅にうぐいす」絵になる風景!梅苑は例年2月初旬から公開され紅梅・白梅・一重・八重等の順に咲き始め、2月中旬から3月初旬までが最も美しい時期となる。
境内の西広場特設・茶会席で上七軒の芸舞妓たちの奉仕による野点(有料)を楽しむこともできる。社殿を背景に紅白梅がきれいだった
参拝者が多い中、社殿をふり上れば「丑」が見下ろす!北野さんとも呼ばれ毎月25日には縁日が開かれ多くの参拝者や観光客などで賑わう。北野天満宮は菅公の御分霊がお祀りするとともに、「天神様」として親しまれ学問の神様として有名で全国各地から受験生や修学旅行生たちの信仰がいまも篤い。

<北野天満宮>
住  所:京都市上京区馬喰町 ・電話:075-461-0005
拝観時間:境内拝観自由9:00~17:00
拝 観 料:宝物殿300円 、梅林苑600円・障害者手帳割引あり   
    ※ 梅花祭(野点お茶会席・1,500円)
休  日:無休
交  通:市バス「北野天満宮前」下車3分
     ・毎月25日は天神市(7:00~21:00)