2010年2月24日水曜日

醍醐寺・五大力さん「餅上げ力奉納」

平安時代から「花の醍醐」と呼ばれる桜の名所で、醍醐寺は、毎年2月23日「五大力さん」として親しまれている。
スポーツジム経営の藤宮さんは5分46秒で優勝
新記録8分41秒で横綱になった大森さん真言宗醍醐派・総本山醍醐寺は京都山科に位置し、弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝によって貞観16(876)年に開かれた寺である。参拝者の人出が多く感じた!
参拝者が早朝から夕方まで国宝・金堂には人並みが続き途絶えることはないその聖宝の遺訓により五大力尊仁王会は七難即滅、七福即生を祈り、2月15日から21日間、21座にわたり法要を営み、「五大力尊」のお札「御影」や「お守り」に僧侶の熱祷が込められている。90kgの重さに耐える参加者
練習で舞台に上った方たち不動明王や五大明王の力を授かり、その化身・五大力菩薩より国家安泰、国民の幸福を願う行事という。そもそも、醍醐寺の五大力さんは遡ること1,100年以上も経つ歴史は延喜7(907)年、醍醐天皇の時代であったという。耐えた6分12秒
ぐっと我慢して堪えるこの日に限って授与される災難・盗難除けのお札「御影」は、各家庭の出入り口に貼られている。このお札を求めて、各地から参拝者が早朝から夕方まで国宝・金堂には人並みが続き途絶えることはない。150kgの重さに我慢出来なくなる!
小柄な体格だが「餅上げはこつと我慢、力が無くても持ち上がる」という五大力さんには一年ぶりの参拝で、昨年のように迷う事もなかった。しかし、参拝者の人出が多く感じた!
巨大な鏡餅を持ち上げる力自慢、男性150kg、女性90kgの「餅上げ力奉納」が目当てだ。金堂前の特設舞台下には写真愛好家が四方を取り巻ていた。子どもさんも参加した
角度を変えて12時、90kgの紅白の鏡餅、餅上げ開始に先立って、順番を決める抽選がある。男女79人がエントリーした。
餅上げは「春を呼ぶ」と言うように、2月とは思えない暖かさであった。
女子の部は23人、挑戦者の面々は「コツ」で餅を上げる人、棄権・退場する人などが続くが見事、8分41秒で横綱に輝いたのは大阪府の大森さんだった。因みに、2位は大八木さん、8分08秒、3位は松本さん、7分、4位は中山さん、6分12秒。 奉行の顔がおもしろい
横綱、尼崎の50歳の方男子の部は50数名と出場者が多く、パフォーマンスする人もおり、神聖な場所であるため注意される一面もあった。大学受験を控え、力を授かろうとする若者や小学生の子もおった。男子は150kgの餅を上げる。巨大な餅と戦いながら、歯を食いしばる姿に、思わず私も力は入り、「ガンバレッ~」と声を掛けずには居られない!京都大学受検合格するよう力を・・・
イケメンの参加者余裕も見られたが最後に尻餅で失格になった!惜しくも、尻餅をついた人は失格だという!来年も来るといって去った、イケメンも本当なら8分30秒の記録であるが失格であった。優勝は兵庫県尼崎の藤宮さん5分46秒だった。「餅上げ力奉納」は、その力を奉納し、無病息災、身体堅固を祈る。金堂と特設舞台
五大力尊「おかげ餅」昨年は醍醐寺境内の中を散策したが、ことしは時間の余裕もなかった。けど「五大力さん」に参拝して帰路は足取りも軽やかに地下鉄醍醐駅へと向った。
<醍醐寺>
場所:京都市伏見区醍醐東大路町22
交通:地下鉄東西線 醍醐駅下車 徒歩10分
   京阪バス 醍醐三宝院前下車 徒歩すぐ
電話番号: 075-571-0002
駐車料金:普通車(約100台収容) 700円
拝観時間:9:00~17:00
休日:無休

2010年2月22日月曜日

第21回全国車いす駅伝競走大会

2月21日、歴史と文化の都大路に第21回全国車いす駅伝競走大会が開催された。
優勝チームは高松宮妃殿下と握手
優勝京都Aは46分20秒で2年連続3度目の栄冠に輝いたこの大会の運営は京都府・市、日本障害者スポーツ協会、京都新聞社などが主催で、左京区の国立京都国際会館前11時30分スタートし、右京区の西京極陸上競技場にゴールする5区間21,3㌔で行われる。高松宮妃殿下はゴールする選手らを拍手で応援された高松宮妃殿下や羽織袴姿の市長
平成2年第1回大会開催から名称を「全国車いす駅伝競走大会」として21回を向えた。全国の身体障害者が車いすによる駅伝大会を通じて、障害者の社会参加の高揚と障害者スポーツの振興を図り社会の障害者意識への理解と認識を深めることを目的としている。
閉会式の各種の賞を授与するプレゼンテーターたち京都Aチームの出場選手
三年前は積雪でこの大会も危ぶまれたが、ことしは青空の好天に恵まれ絶好の全国車いす駅伝競走大会になった。
11時30分、スタートは京都府知事の合図で一斉に競技は始まった。
優勝メダルが授与される全国車いす駅伝競走出場各選手
先頭に立つのは44番大分Aチーム・・・続く京都Aチームは200mも離されて第二位、三位は17番長野チームと模様はKBS京都放送ラジオが生中継した。大分チームは1区2区とも区間新を出す勢いで寄せ付けない!
しかしレース半ば京都Aチームは4区で逆転、首位の大分Aを得意の上り坂で一気に抜き去り、トップに躍り出た。
ラジオ実況中継を聞いていた西京極陸上競技場のスタンドのファンは京都Aが先頭になった瞬間拍手が沸いた!そのままリードを広げて逃げ切りゴールインした。
最高記録、46分20秒で2年連続3度目の栄冠に輝いた。
高松宮妃殿下が見守る中・・・区間賞を受けた5人毎年訪れる、高松宮妃殿下や羽織袴姿の市長は競技場にゴールする選手らを拍手で応援された。
ラストのアンカー28番愛知Bのゴールを見届けると、市体育館では府警音楽隊の演奏で高松宮妃殿下を迎え表彰式やメタル・区間賞の閉会式が行われた。
『京都Aチーム優勝、おめでとう!!』2位は53秒差で大分A、3位は大阪だった。また京都Bは1時間0分42秒で18位、一時間を切ることは出来なかった。
ボランティアのぶた汁が美味しかった府警音楽隊
選手が乗る競技用の三輪車いすは、下りでは時速約50㌔に達するハイスピードの戦いになり早春の都大路を駆ける。24都府県から28チームが参加した。
毎年2月行われている全国車いす駅伝競走大会だが、約4,500人のボランティアが裏方を務める大会の熱気をあらためて実感した。

2010年2月20日土曜日

燃灯祭 上賀茂神社

平安時代の貴族が、若菜を摘み、春の到来を喜び宴遊した野辺遊びを神事化した祭だという
燃灯祭は「乙子(おとね)神事」ともいう平安時代から伝えられる宮中の春の遊びを神事化した祭事「燃灯祭」が19日、北区の上賀茂神社で営まれた。御阿礼野は徒歩で10~15分、神職は“小松”を根引きした
境内の御阿礼野に向う!午後2時より狩衣姿の神職一同が社務所前を出発、神社境内奥地にある御阿礼(みあれ)野に向った。同行の見学者と写真愛好家はマナーを守り後に続いた。神職は早速“小松”を探し当てた
神職は一礼した上賀茂神社の境内、神山の麓まで徒歩で15分、神職は御阿礼野に着くと“小松”を根引きした。神職一同は御阿礼野から境内の土舎に戻った
小松をゲット御阿礼野から境内土舎に戻り、神職一同が身を清め、土舎で「小松に燃灯草」を添えて神前に供え春の到来を奉告する。入念に狩衣姿の神職一同は身を清めた
燃灯草は一名玉箒草(たまほうきぐさ)という聞きなれない燃灯祭(乙子神事) (ねんとうさい おとねのしんじ)は、平安時代の貴族が、若菜を摘み、春の到来を喜び宴遊した野辺遊びを神事化した祭だという。
燃灯草は一名玉箒草(たまほうきぐさ)という。神職は土舎から玉橋を渡り本殿へ 向う
本殿に燃灯草を奉納する由緒あるまつりこの儀式は、鎌倉時代の「嘉元年中行事記」にも記載されている由緒あるまつりで、古えに行われた二月第二の子(ね)の日の神事である。
平安時代に宮中の年中行事として行われていた「子の日遊び」を神事化したもので、元々は旧暦で3月のごろのことであった。舞殿にて拝礼して終了した
儀式は行われたが初めてだった上賀茂神社境内奥地にある御阿礼(みあれ)野と呼ばれる場所は、現在ゴルフ場になっている。神山の麓、御阿礼(みあれ)野と呼ばれる場所にあった神館(こうだて)跡に小松を根引きし、それに燃灯草を添えて神前に奉る神事である。
燃灯祭は乙子(おとね)神事とも言われ、人々が春を待ち焦がれて野原に出でて若菜を摘み、春の到来を喜んで宴遊し野辺遊びを行うこと云う。
参拝者は神事に同行見学することができ、厳かな神事を興味深げに観ていた。

2010年2月19日金曜日

卓球バレー交流大会

左京区高野の市障害者スポーツセンターで卓球バレーの交流を深める大会があった。
いつもなら6月、右京区の府立体育館と12月左京区の市障害者スポーツセンター、府と市2度行われているが、この京都卓球バレー協会の交流会は、毎年開かれており今年で3回目という!
交流試合は、午前と午後2試合、計4試合であり、西京区チームは障害者施設の2チームと宇治市と舞鶴市2チームと対戦したが1勝2敗1引き分けだった。
今年は府内の小学校が初めて参加した。また舞鶴市からはおそろいのユニホームで40人も参加した。宇治市、京田辺市、近隣各市から52チーム約500人の競技者が参加して交流を深めた。

2010年2月15日月曜日

首ふり地蔵 地蔵院善光寺堂

清水寺へのルートは東山の五条坂と清水坂がもっともポピュラーで一般によく知られている。五条坂の途中付近で右に折れる茶わん坂もある。
また花灯路でも散策する、ねねの道を通って八坂の塔や龍馬の墓、二年坂・産寧坂のルートもある。清水寺の参道は狭く両脇の土産物店と行き交う人とで混雑していたが、仁王門前に着いた。「首ふり地蔵」は、江戸時代から庶民の人々の深い信仰を受け継いでいる
現在の堂宇は昭和59年(1984)の改築した
朱色の色が一際目立つ仁王門、観光客らはデジカメやビデオ撮影に気を取られていた!門前左側、ここに“首ふり地蔵”がある。
16世紀中頃、この場所に六地蔵の石仏が安置され小堂が建てられていた。これが地蔵院の前身で、以来、観音信仰によって、如意輪観音(鎌倉時代)が祀られている。また明治中期の境内整理により善光寺如来堂を合併した。
現在の堂宇は昭和59年(1984)の改築で中央に如意輪観音坐像、右側に善光寺阿弥陀仏三尊像、左に地蔵菩薩立像を安置している。洛陽霊場十番札所、如意輪観音
中央に如意輪観音坐像、右側に善光寺阿弥陀仏三尊像、左に地蔵菩薩立像を安置している堂右手前の「首ふり地蔵」は、江戸時代から庶民の人々の深い信仰を受け継いでいる。参拝のあと、お地蔵さんの首をぐるっと一回転させて、お願い事をすると願いが叶うといわれる。しかし、かなり重量のあるお地蔵さんだった!
清水寺へは何回もお参りしているが、知らないことが多々ある!
なお初代の地蔵は堂の中に安置されている。

2010年2月11日木曜日

上徳寺 世継地蔵(よつぎじぞう)

上徳寺(じょうとくじ)は下京区にある浄土宗の寺院で山号は塩竈山(えんそうざん)である。
奥に安置してある地蔵は、江戸時代火災に遭った
上徳寺は通称「世継地蔵」で知られている車の往来が激しい五条通富小路を下ると、通称「世継地蔵(よつぎじぞう)」で知られている上徳寺である。2月8日、世継地蔵尊大祭と柴灯護摩供あり参拝した。全国から各地から祈願の絵馬やよだれ掛けがびっしりと吊られているこの日は「一億劫日功徳日」で法要していた
慶長8年(1603)徳川家康が阿茶局と息女の泰栄院との菩提を弔うために、伝誉蘇生上人を開山に請じて建立された。
本堂は永観堂の堂宇を移築したもので本尊は、家康が江州矢橋の鞭碕神社から移設、伝快慶作の阿弥陀如来像である。身代わり地蔵尊
地蔵堂は左回りで歳の数だけ竹を持ち願をかける!山門には、世継地蔵大菩薩と書かれた提灯がずらりと並んでいる!
境内は正面の本堂とは別に、山門からの参道は、左手奥斜めに続いており、地蔵堂の前に出る。そのお堂が、江戸時代より子孫相続・家運長久で知られ、ご利益のある「世継地蔵」であった。
地蔵堂は子授けや安産、子孫繁栄の霊験あらたかということで江戸時代より広く信仰されてきた。4名の山伏たちが四方に矢を射る、古式豊かな儀式が執り行われた
皆、柴灯護摩供で手を合わせていた明暦3年(1657)、当寺に篤く帰依していた方が子を亡くしたため、世継の子に恵まれるよう念じ、お堂に籠もった。7日目の夜に等身大の地蔵尊が出現し、「我を石に刻み祈念すべし」と告げた。その尊像を書き写して石に刻み、祈念を続けたところ念願の子どもが授かったという。また明治天皇の御生母、中山局が上徳寺に詣でて、世継ぎの男子を授かったことでも知られている。いよいよ終りになった
護摩供養以来この地蔵尊は「世継地蔵」と称されるようになり、安産と子授けの地蔵尊を祀る”京の世継ぎさん”とよばれ、古くから子授け地蔵の寺として信仰されている。
子供がいない人に世継ぎを授け、霊験あらたかな地蔵菩薩として親しまれている。接待で「多幸焼」頂いた!
酒の粕汁が美味しく温まった今も子授けの祈願に来る人が後を絶たず、地蔵堂の周囲には、全国各地から子宝祈願に訪れた方々の絵馬やよだれ掛けがびっしりと吊られている。
この日上徳寺の世継地蔵尊大祭法要に、お参りすると一億劫日功徳日にあたり縁起がよい!また柴灯護摩供や酒粕汁・多幸焼も無料接待で行われた。
<上徳寺>
場所:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556 電話:075-351-4360
拝観時間:9:00 - 17:00
拝観料金:無料
交通:京阪電車・清水五条駅下車徒歩約5分
市バス・河原町五条下車徒歩約2分

2010年2月9日火曜日

~挑戦することと生きる勇気~

京都市身体障害者リハビリセンター入口5日、第23回京都市地域リハビリテーション交流セミナーに参加した。
会場の身体障害者リハビリテーションセンターは、中京区御前四条西北角にある。
この催しは毎年2月に地域リハ協議会が主催・府医師会の後援として行われている。

この私も平成9年(1997)9月仕事先から帰る途中、5時ごろ右京区西院の知人宅で倒れ救急で病院直行した。その後、一年あまり洛西の病院、三重の榊原温泉病院を巡り、市のリハビリテーションセンター肢体不自由者更生施設の入所、現在も京都市「地域リハのつどい」で年6回の行事なども行われ参加している。
ところで私の障害名は「左高血圧性脳内出血による右上下肢機能障害」の途中障害だが、『いつ誰にでも起こりえる』ことを忘れてはならない。
障害を抱えならが、克服しそれぞれの道を積極的に強く歩んでいる姿を覗った!講演に耳を傾ける人たち
中村周平さんは頚椎骨折し首から下はマヒ先ず、中村さんは、バレー部に入りかったがなく、高校2年の時、ラクビー部の練習に明け暮れていた。日曜日不運は練習中に起った、頚椎骨折。家庭でも独自の機能回復運動を重ね、車いすの操作もできる様になり、希望の大学進学を果たした。
現在、大学院に進み「「障害のある学生の支援を研究テーマにしたい」と意欲を見せる。幾多の苦難を乗り越えながら「あきらめない」夢を語った。
中岡亜希さんは希少難病「遠位型ミオパチー」で今も進行しているまた京都府宇治市の中岡さんは、希少難病「遠位型ミオパチー」を患う。
中岡さんは国際線の客室乗務員だった25歳のときに病気の告知を受け、現在は車いす生活を送っている。
100万人に2~3人の確率で発症する希少難病で「遠位型ミオパチー」。
手足の先から徐々に筋力が失われる病気で、俗に筋ジストロフィーと呼ばれる症状と似ている。遠位型筋疾患は、身体の中心(心臓)より離れた部位(足先、指先)から筋力低下を起こす進行性の難病なのだ。
中岡さんはノーテンキで運動不足と思い、病院診察へも行かなかったらしい・・・25歳の時、階段を上ると玉のような汗が出、整髪料のスプレーを押すことも不可能になり、東京の病院を訪れた!
孤独と闘病の中、検査入院で来る日も来る日も明け暮れ、やっと解った病名は「遠位型ミオパチー」。希少難病で専門の主治医も無く、途方に暮れた!
障害は「誰にでも起りえること」大人も子どもも無い!2008年4月から遠位型ミオパチー患者会も設立し、多くの署名を厚生労働大臣に要望書を提出した。
現在32歳の中岡さんは、NPO法人「希少難病患者支援事務局(SORD)」の理事で「希少難病患者の状況やSORDの活動を一人でも多くの人に伝えたい」という。

中岡さんは、『死なないでいるということ、生きるということ』について、命の限り皆さんにお話をして行くと強い信念で語った。
現在も残念ながら進行性の筋疾患と闘いながら毎日を送っている。会場には、朱雀第三小学校の生徒らも見え真剣な面持ちでお二方のお話を聞いていた。