建立時は延暦寺東塔だったが滋賀県坂本から京都御所側の梶井町に移り明治期になり大原の旧所領に帰る。別名、梶井門跡や梨本門跡、円融院門跡とも言うが1118 (元永元) 年、堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室されて門跡寺院となった。
三千院の拝観は御殿門を入って左手が玄関で、客殿は池泉鑑賞式庭園・聚碧園(しゅうへきえん)となる。見る方向により新緑が異なり美しく池の水は律川から引かれている。作庭は江戸初期の茶人として有名な金森宗和である。
宸殿は、御所の紫宸殿の外観を模している。内陣に木像救世観音・木像不動明王(伝・慈覚大師作)を安置している。宸殿の柱に「等持定理青苔地、円覚観前紅葉林」の伝教大師の言葉が掲げられている。南には二面の苔庭があり、上の有清園(ゆうせえん)、中の「瑠璃光庭」と称されている。
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