2014年2月9日日曜日

世継地蔵尊大祭(よつぎじぞうたいさい) 上徳寺

下京区の浄土宗上徳寺で8日、1957(昭和32)年から続く恒例の世継地蔵尊大祭が盛大に営まれた。 立春のあと迎える大祭で、この日は一億劫日分の功徳を摂取する日と伝わり、全国から多くの参拝者が訪れた。
この日は一億劫日分の功徳を摂取する日と伝わり、全国から多くの参拝者が訪れた。
下京区の雪を被った浄土宗上徳寺で恒例の世継地蔵尊大祭が営まれた。山号は塩竈山(えんそうざん)で同寺は1603(慶長8)年に徳川家康公の側室・阿茶局(上徳院)と息女の菩提を弔うために建立した。 本堂は永観堂の堂宇を移築したもので、本尊は家康公が鞭碕神社(滋賀草津)から移設、伝快慶作の阿弥陀如来像である。
寒い水子地蔵尊。
河原町五条の西南、富小路を少し下った西側に同寺の山門があり、世継地蔵大菩薩と書かれた提灯がずらりと並んでいる。
5名の住職で世継地蔵尊大祭が盛大に営まれた。
各地から集まった熱心な信者たち。参道を斜めに歩くと奥の地蔵堂前に出る、地蔵尊は特に子授けや安産に霊験があるとされ古くから多くの崇敬を集めている。
歓喜地蔵尊。地蔵堂の地蔵尊は顔や体が黒と白のまだら模様になっている。 世継に恵ぐまれず、一心に念じたところ地蔵さんの夢を受け、やがて子を授かり家運長久したことから「世継地蔵尊」と呼ばれるようになった。だが江戸末期ごろ火難に遭い、地蔵堂の地蔵尊は顔や体が黒と白のまだら模様になっている。
天台修験衆と住職は地蔵堂の地蔵尊に・・・。
絵馬の五角形は上下が逆で、ぶら下げるとよだれ掛けの形になる。当寺の絵馬の五角形は上下が逆で、ぶら下げるとよだれ掛けの形になる。お堂の周囲には「健康な赤ちゃんが授かりますように」「元気な子が生まれました」などと書かれた絵馬『よだれ掛け』がびっしりと掛かっていた。
午後2:00からは天台修験衆を迎え、住職を大導師に祈祷柴燈護摩供養が行われた。
山伏たちが本堂前で護摩を焚いて祈祷し集まった参拝者は願いごとを護摩木に托して手を合わせた。
多幸焼きと本堂、社務所。
温かい酒粕汁を頂いた。生憎雪がシトシトと小雨になり今年一番の冷え込みとなったが、参拝者たちは温かい酒粕汁や多幸焼きなどで一時の暖ととっていた。
<世継地蔵尊大祭 上徳寺>
場所:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町556 
電話:075-351-4360
拝観:9:00 - 17:00
料金:無料
交通:京阪電車・清水五条駅下車徒歩約5分
         市バス・河原町五条下車徒歩約2分

2014年2月7日金曜日

祇園宮川町 襟替え

6日12:00頃から祇園花街の宮川町で「襟かえ」があったので観に行ってきた。この日は一段と冷えて「寒おすなぁ~」が挨拶がわりの京の如月、春は名のみの厳しい寒さだが、多くの写真愛好家が来ていた。 襟替えは二十歳頃になって舞妓から芸妓(げいこ)になる儀式で、これまでの着物の襟を赤襟から白襟に変えることから『襟替え』といわれている。
 駒屋さんの女将が火打ち石を使った。
気温3℃の酷寒、「とし夏菜」さんはカメラマンのポーズに答えた。この日は気温3℃の酷寒、13:00置屋「駒屋」さんで襟替えの儀式を終えた後、今日の主役、「とし夏菜」さんは女将さんとともに姿を魅せ、カメラマンのポーズに答えた。 駒屋さんの前で2時間くらい待った5,60人なる写真愛好家が一斉にシャッターを切った。
女将さんは我が子同然にして帯をなおした。
日頃お世話になっている宮川町お茶屋組合に行き、新芸妓のあいさつ。女将さんを先頭に「とし夏菜」さんは日頃お世話になっている宮川町お茶屋組合に行き、新芸妓の『襟替えのご挨拶にまいりました』と伝えた。
女衆さんと一緒に回り「今後ともご贔屓におたのもうします」と挨拶した。
絢爛豪華な「先笄(さっこう)」を結う「とし夏菜」さん。駒屋の「とし夏菜」さん、きょうから芸妓さんになり少し緊張気味、凛として女子衆(おなごし)さんと一緒に挨拶回りをした。 髪型の「先笄(さっこう)」が好く似合う「とし夏菜」さん、舞妓時代は自分の髪で「割れしのぶ」を結い上げ、2~3年後になると「お福(福髷)」に結いかえる。
駒屋の「とし夏菜」さん、きょうから芸妓さんになり少し緊張気味かな!芸妓さんになる1週間から10日ぐらい前から、絢爛豪華な「先笄(さっこう)」を結という。そして、髪型も地毛から鬘(かつら)に代わる。 宮川町通りを南へ新芸姑・とし夏菜さんは、各お茶屋さんやお店を女子衆さんと一緒に回り「今後ともご贔屓におたのもうします」と挨拶した。
「おかあさん、どうぞご贔屓に・・・」とあいさつ、女将さんが『美くしゅ~なって、がばっておくれやっしゃ!』と声をかけた。
満面笑みを浮かべて女衆さんと共に・・・。襟替えの時期は20歳前後の場合が多く、女衆さんが『襟替えのご挨拶にまいりました』とお茶屋の中に入ってからいう、駒屋さんの「とし夏菜」さんが「おかあさん、どうぞご贔屓に・・・」とあいさつ、女将さんが『美くしゅ~なって、がばっておくれやっしゃ!』と声をかけた。
美しい「とし夏菜」さん。置屋(おきや)は「屋形(やかた)子方屋(こかたや)」とも呼ぶが、芸舞妓さんの所属するプロダクションの様なもので芸妓さんになるまで食事、着物、お稽古代、おこずかいなど全てを受け持ち、一人前の芸妓さんになるまでは無給となる。
宮川町通りで「おめでとうさん」と知り合いに言われ会釈していた。
またお茶屋は分かりやすく言えば「貸し座敷」、お客さんに対して遊ぶ場所を提供し、茶屋遊びは料理を頂きながら芸舞妓さんが舞踊を鑑賞し、心地よく気を配るのが仕事という。
笑った顔も素敵な「とし夏菜」さん。
 新芸妓の「とし夏菜」さん、満面笑みを浮かべて女衆さんと・・・。 年々、舞妓さんの「襟かえ」は少なくなったとはいえ、細々とでも伝統は受け継がれている。 祇園宮川町に来るとほっこりとしては、「おちつく」のはその日本文化の佇まいがあるからかもしれない・・・。
これからもよろしくと会釈する「とし夏菜さん」、ご苦労さんでした。
カメラマンのバチバチをシャッターの流れる中、次のお茶屋さんへ向かう。祇園花街は伝統を守りつつ、その時代に合わせながら、これからも続いていって欲しいものだとおもった。(2/6撮影)

2014年2月5日水曜日

おかめ福節分会 千本釈迦堂

3日、北野天神さんの神楽殿で疫鬼を追い払う追儺式や上七軒芸舞妓さんたちの舞踊奉納や福豆まきが行われていたが、東門をでて千本釈迦堂へと向かった。正式には大報恩寺(だいほうおんじ)といって千本釈迦堂は“大根焚き”が師走の風物詩としても知られいる。
境内にあるおかめ像。
正面は千本釈迦堂の本堂。千本釈迦堂「おかめ節分会」は、境内の法螺貝の音ともに「おかめと鬼」の行列が練り歩き、おかめ像前に参列して法要を営なった。
遠くと曇り空のためコンデジは映らない・・・。
二年前から上七軒の舞妓さんの奉納があるという!国宝の千本釈迦堂の本堂は800年前の創建時の姿をとどめ、応仁文明の乱にも焼けることはなく現在も唯一残っている。
大工の信仰を得るようになり、上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。
おかめさんの像と早咲きの白い花を咲かせる阿亀桜(おかめざくら)。鎌倉時代 本堂を建立するとき、大工の総棟梁が誤って柱を短く切ってしまった。妻である「おかめ」さんが夫を助け無事竣工できたという。だが女の身分で夫の世間に漏れること心配した「おかめ」さんが自害した悲しい物語がある。
子鬼が二人おって鬼と暴れていた!
護摩を焚き法要が営まれた。釈迦堂を建立した大工の棟梁は、おかめの名の福面を扇御幣につけて飾り 冥福を祈ったという。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。
そこへおかめが登場、鬼は改心した。
暴れる鬼たち・・・。度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。 また本堂の前で早咲きの白い花を咲かせる枝垂桜、この桜が阿亀桜(おかめざくら)と名付けられている。
すごすごと引き上げた鬼たち・・・。おかめ福節分会は、15:00から古式厄除行事で福まめなど、おかめ像前で法楽や木遣音頭(番匠保存会奉納)が行われた。
その後、茂山宗彦さんと舞妓2名の豆撒き始まった。
舞妓さんや年男、年女など茂山社中の皆さんで手打ち式が行われた。節分厄除祈祷法要と年男などが厄除祈願、本堂ではおかめ装束をした男女数人による古式厄除は、暴れ回る鬼たちをおかめが優しく戒め改心させる「鬼追いの儀」は茂山社中による狂言によって行われた。 いよいよお目当ての、古式・鬼追いの儀が茂山千五郎社中の奉納であった。
住職も福豆を撒くが記念「手ぬぐい」も持っていた!!
豆撒きでは、福豆の他にピーナツやチョコなどが撒かれた。そして最後は舞妓さんや歳男女は「おかめ」の面をつけて全員で招福豆まきでお開きとなった。 節分会は時季の変わり目に邪気をはらい、一年の健康を願う、千本釈迦堂の節分会は、おかめさんの笑顔で福徳円満となり、晴々とした清々しい気分でこころも満足した。(完)(2/3撮影)