gottuan's room
~ らくさいの三宝路 ~
2012年12月16日日曜日
山科 諸羽神社(もろはじんじゃ)
14日、京都山科義士まつりが行われたが四ノ宮にある諸羽神社にお参りした。ここには先月27日付けの新聞で報道された、来年の“干支のへび”の奉納が当神社にある。
諸羽神社の参拝を兼ねて京阪電車京津線で四ノ宮を訪ねた。 駅前の花屋さんでお聞きし、旧三条通りを西に行くと六角形の徳林庵の地蔵堂があった。
「六地蔵めぐり」としても有名で人康親王と蝉丸の供養塔があった。また隣には十禅寺もあった。旧三条通りはかっての東海道で狭い通り、交通量も多く危険がこの上ない! 諸羽神社の一の鳥居の参道は京津線踏切とJR湖西線を越えて二の鳥居で境内に入った。
862(貞観4)年、清和天皇の勅により社殿が造営され両羽大明神と称せられた。永正年間より中央に八幡宮、左に伊弉諾命、右に素盞鳴命及び若宮八幡宮を配し、以上六柱を合祀して両羽の文字を諸羽と改称した。
社殿は応仁の兵火、その後再建の社殿も明和年間の大火で焦土と化し、三度目の造営で今日に至る。山科十八郷の四宮、安朱、竹鼻の産土神として親しまれている。 境内には、人康親王が琵琶を弾きながら座っていたとされる「琵琶石」がある。仁明天皇の第4皇子であり、若くして失明し出家した。親王は盲人を中心に琵琶や詩歌を教え、琵琶法師の祖神として位置付けられた。
ところで諸羽神社の来年の干支のヘビは、四ノ宮駅前の食堂からの贈呈で、造形を生かしたリアルなもので生きているような錯覚に捉われた。 来年の干支は迷わず決った。
<諸羽神社>
住所:京都市山科区四ノ宮中在寺町17
電話:075-581-0269
拝観:無料
交通:京阪京津線四ノ宮駅下車徒歩10分
2012年12月15日土曜日
祇園宮川町 事始め
つづく・・・現在の京都では、お茶屋さんが姿を消した島原を除いた祇園(甲部)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町、上七軒(かみしちけん)、祇園東(乙部)の五つの花街がある。
芸妓さん、舞妓さんが暮らす置屋(おきや)さんと、仕事場であるお茶屋さんのある街を”花街”という。 中国の言葉で、遊芸を楽しむ場所で”花街柳巷(かがいりゅうこう)”と呼んでいたのがその由来とされている。
宮川町は東山区に位置し、宮川筋二丁目から六丁目までが花街である。その昔、太閤秀吉公が方広寺や伏見城築城により、大和大路街道沿いには人の往来が増え町並みができた。それが現在の宮川筋と呼ばれる所以である。
宮川町は天正三年に出雲の阿国が歌舞伎踊を信長公に許しを受け、慶長八年頃、阿国の娘二代目阿国が宮川河原で歌舞伎を興業して人気を呼んだ。
当時の歌舞伎の流行とあいまって、茶屋町として発展、宮川町に水茶屋が建ち、芝居小屋が数多く立ち並んだという。 男だけの若衆歌舞伎が始まり、それに出演する若衆の宿が宮川町に軒を並べていったという。当然女形を演じる若衆が必要で、当時の美少年が選ばれ、現在の女形役者へと発展したという。
作家の船橋聖一著「聖一風流抄」によれば「宮川町が歌舞伎の名優を数多くうみ育てた原点である」と記していると伝えている。元芸姑が演歌歌手としてデビューもしている。
京の花街と事始めであったが、宮川町と歌舞伎踊のなり合いを知ることができた。 花街の事始めは、京都の師走を象徴する風物詩として知られ、この日から花街は、お正月の準備が始まることから、古くは”正月起こし”とも呼ばれている。 最後に宮川町のマーク「三つ輪」の紋章は一説には、宮川の故事から三体の神輿を象徴したとも謂われ、宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたとも言われている。(完)
2012年12月14日金曜日
祇園甲部 事始め
13日、祇園甲部の花街では、新春の準備に入る伝統行事「事始め」が行われた。事始めは、芸事を行う人々の世界では新年を迎える行事として欠かせないものであり、京に伝わる古い習わしで祇園では12月13日になると正月の準備を始めたことに由来するといわれている。
お世話になった方々のもとへ挨拶に行く風習で、芸舞妓さんたちが師匠やお茶屋を訪れ、「おめでとうさんどす」と新年のあいさつをした。
着物姿の芸妓さんや舞妓さんは一重の鏡餅を持ち、京舞家元のもとへ次々と訪れて、今年一年のしめくくりと、「来年もおたの申します」とあいさつを行った。
早々と飾り付けられた鏡餅を前にして「おめでとうさんどす」のあいさつが交わされ、鏡もちが飾られたひな壇の前で、1人ずつお辞儀し、芸妓さんや舞妓さんは、師匠に一人ひとり「おめでとうさんどす」とあいさつを交わした。
師匠からは、「おきばりやす」と励ましの声が掛けられ、新しい祝儀の舞扇をいただいた。
祇園界隈では事始めが済むと、年末にかけて多忙になり「おことう(お事多)さんどす」と、あいさつの声が聞かれるようになる。
大勢の写真愛好家らが四条花見小路“一力亭”や白川巽橋など祇園一帯に集まって、芸妓さんや舞妓さんの艶やかな着物姿を写真におさめていた。
京の師走の風物詩として伝統行事「事始め」を迎え、一足早く華やいだ迎春ムードに包まれた。宮川町 事始めとつづく・・・
2012年12月13日木曜日
ツバキ園 (府立植物園)
つづく・・・11日、府立植物園でポインセチア展を観賞のあと、ツバキの花を目指して探索した。観覧温室は今の時期暖かくて好いが四季・彩の丘からの逆コースでツバキ園の中に入った。
当園北東部一帯の4,000㎡に日本古来の品種を中心に約250品種600本が植えられている。
見ごろは長く、一月上旬から四月中旬でツバキは日本古来の風土が育んだ樹木で各地の公園や社寺にもあり桃山時代から江戸時代にかけて多くの品種が生まれた。
室町時代、茶の湯の興隆とともに茶花として愛好され全国各地で様々なツバキが作られるようになったという。
江戸錦・肥後椿・土佐有楽・唐津・伊勢太白は品種もさまざまでその地方がわかる。
各地で名前が違うように統一はとれていない、関西の「有楽」は関東では「太郎冠者」、京都で「日光(じっこう)」と言うのは「紅唐子(東京)」「紅卜伴(愛知)」別名で呼ばれている。
ツバキより一足早く咲くサザンカだが、‘侘助’はサザンカとの交雑で生まれた品種?なそうで世界各国でツバキの変種が作られているという。冬枯れの景色のなか、ツバキには牡丹や薔薇とは違った華やかさと気品がある。
追加としてスノードロップ(ヒガンバナ科)は修道院の庭に育てられ、春を告げる花として知られる。別名マツユキソウ(待雪草)。イチゴノキはツツジ科の常緑低木であり、どちらも北山門噴水沿いにある。
なおブログ友のM.U氏から頂いた「シモバシラ」は植物生態園池付近にあるという。シソ科の植物に霜柱ができ氷点下になった朝に観察することができる。(完)
新しい投稿
前の投稿
ホーム
登録:
投稿 (Atom)