東日本大震災で被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。
2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震が発生し、太平洋沿岸の北海道、東北・関東各地方にも大津波、火災などにより広範囲において甚大な被害が及んだ。
その11日は病院診察をおえて遅めの昼食とり、パソコンに向かっていたがぼくは強いめまいを感じた!
船酔いみたいに左右に揺れだし、自分の身体の具合が悪くなったと思うほどだった。窓の景色を眺めたりして休んで、その時、何気なく部屋の照明・蛍光灯のスイッチが揺ら揺ら揺れて、始めて地震と気が付いた。
直ぐ、テレビの電源を入れ震源地はとこだろうと探したら三陸沖、故郷岩手県や宮城県・福島県が報道されている!
地震が発生して津波が来る前で、まもなく恐ろしい大津波が来た!!!
テレビの映像を見るだけでただ呆然として食い入るようにみていた。
大津波の迫力の凄さましさ、民家をも流し車はおもちゃのようにスクラップにされ、船舶は海上から街中を木の葉のように波に飲み込まれていった。
津波は堤防を越え10mの高さで次々と民家や車を飲み込んだ。
人々は高台に避難し激しく泣く子を母親が抱き、だた呆然と津波の恐ろしさを傍観していた。高台に上ろうにも出来ず無残にも多数の方々が命を絶たれた。
また12日午後と14日午前、福島第1第3原発で建屋の壁が崩壊する爆発があり、住民は家を棄て半径20km離れたところに避難している。あのチェルノブイリ原発事故は1986(昭和61)年にあり原発の放射能の恐ろしさが問われる。
今日で4日目、東日本大震災で発生した地震と津波における、各地の被害状況は安否不明が数万人で死亡者は数万人に上るだろうとなった。
故郷花巻市は内陸にあり津波の被害はなかったがライフラインが気に掛かる。一方、釜石・宮古では大津波で水没するなど破壊的な津波の被害を受けていて連絡の取れない親類の安否が心配!また宮城県太白区と岩沼市には同級生が住居している。まだ電話の連絡もつかない!
ただただ無事を祈るだけで言葉もない。余震はなお続いている。
なお多数の方がメールや電話でお見舞いのお言葉をいただき、この場を借りでお礼申し上げます。
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