3月3日、桃の節句に左京区の下鴨神社で「京の流しびな」の神事が営まれた。
春の訪れとともに、桟俵(さんだわら)の流しびなは、すこやかに、愛らしくと、川面に子どもの成長を願い御手洗川に流すと心が清められ、すべての厄はのがれられると言い伝えられてきた。
三月と思えない小雪のちらつく中、参拝者たちは御手洗川に和紙のひな人形を流し、女の子の無事な成長を祈った。恒例の「京の流しびな」の行事で、桟俵は赤衣に金の袴烏帽子、簡素な白梅模様のかれんな美しい夫婦雛で京人形商工業協同組合の主催で毎年開いている。
雛人形は、源氏物語にも出てくるほど歴史ありこの行事は、宮中のひいな遊びへと発展した。流しびなは、日本古来の伝統行事で災厄を祓うために人形(ひとがた)を身代にして川や海に流すことによって厄払いをする習慣が生まれている。
今では、女の子が生まれたら無事大きく育つことを願い、雛祭りへと変わりつつ、現在でも流し雛の風習は各地に残っている。
流しびなは、和紙で着物を作り、顔は土を丸め胡粉を塗った素朴な人形に願いを込め川や海へ流したという。
縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪にまでさかのぼることができ、人形の起源は古く、平安時代の「ひとがた(人形)」「かたしろ(形式)」なども疫病を払うため、あるいは災厄の身代わりを願って、ひとがたに穢れを移し、川に流して厄を払う「流し雛」だという。平安貴族の姫君の遊びとし、また信仰の対象物となったという。
御手洗川前には、今年6月結婚予定の男性と女性が平安貴族の公家(くげ)の正装、束帯(そくたい)姿と十二単(ひとえ)正式名は“五衣唐衣裳”(いつつぎぬ、からぎぬ、も)の衣装で行事に参加していた。
宝鏡寺の尼住職、宮川町からは三人の舞妓さんや京都タワーのマスコット・たわわちゃんが愛嬌たっぷりに桟俵を乗せた流し雛を御手洗川に流した。続いて、近くの園児らが「あかりをつけましょ~ぼんぼりに・・・」元気いっぱいに合唱した。
大勢の参拝客が次々と小さな桟俵の乗せた「雛人形」を川面に浮かべるとゆっくりと流れていった。川面は色鮮やかな人形で美しく彩られていて、写真愛好家はバシャとシャッターを切っていた。橋殿に飾ってある七段飾りの雛人形を記念撮影した。
長い歴史と文化が年月を経ても「桃の節句」“京の流しびな”は春の風物詩になっている。
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