あの忌まわしい脳内出血をしてから、11年と言う歳月になってしまった。
平成9年9月12日夕方5時ごろのこと、当時は京都市右京区の染工場に就職。
京友禅の中振り袖を染めていた。
その日は早く仕事終わって仲間の染工場へ行っていた。
久々に尋ねたので主は接待方々、積もる話を聞き入れてくれたのだった。
しかし、急に気分が悪くなりお暇しようと立ち上がったが、その瞬間、
右の足がガックとする様なことまでの記憶だけしかなく、
救急車のサイレンも定かではなく、まったく意識不明であった…
いわば生死を彷徨う亡霊のようだったろうか?
完全に一週間から10日間くらいは意識が戻らなかった!
それから後の事は、救急隊が向かったところは右京区の西京病院。
応急処置だけ…。
妻に電話して自宅に近い西京区にあるシミズ病院へと救急隊を直行。
染工場の社長さんも同行した。
話は変わるが、私の親爺も脳卒中。遺伝か!
32,3歳ごろ、お昼休み同僚と公園でキヤッチボール、
何となく息苦しく思い工場の帰り自宅近隣の町医者を訪ねたら、
血圧、何度計ってみても高い!
飲み薬を貰って帰えった。が、一生飲み続けなければならない。
32歳の若さの私には酷でした。
その後、自分の理性を忘れて自暴自棄になってしまった!
それから、20年…これといった病気もしない私が…
病院に通う妻と幼い子「(小一)今、京都学園大一年」を思う心は…
担当医師からは一生寝たっきりか、良くなって車イスとの診断。
愕然としたと妻が言ってました。
シミズ病院・洛西シミズ病院6ヶ月、単身で三重県榊原温泉病院4ヶ月半、
それに京都市リハビリセンター6階に3ヶ月入所入院をしました。
車の運転も出来ます。
病院で覚えたワープロ・パソコンも京都市洛南身体障害者福祉会館で 習い、
脳障害独特、百回聞いて1を知るように、ゆっくりと頑張っています。
妻は勿論ですが関係者皆さんのお蔭と感謝しています。
いつも、9月になると思い起こしています!