2015年3月7日土曜日
東山 智積院の梅花
真言宗・智積院(ちしゃくいん)は、東山七条の突き当たりで宗祖・弘法大師空海と中興の祖・興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)のご誕生を祝い、6月15日に毎年「青葉まつり」を行っている。
今、智積院の講堂前や金堂などには白梅や紅梅、桃色の八重の梅か美しく咲いている。

広い境内には、静寂に包まれていて参拝がてら梅を愛でに散策をする方が一,二人いた。
もっとも梅花らしい感じの「一重の梅」が好きだ。
梅の花には「メジロ」に会う、と感じるのは自分だけだろうか!
メジロは落ち着きがない?と思っていたが好く観察してみるとそうとも云えない・・・。
真紅梅と紅桃梅が続く参道でしばし観梅を楽しみながら金堂に向かった。

大師堂(弘法大師)や密厳堂(興教大師)、金堂(大日如来)講堂(阿弥陀如来)明王殿(不動明王)の五つのお堂の周囲にも梅木が植えられている。

智積院の梅花の小枝が微笑んでいるように静かに梅香の甘い匂いが芳しく楽しい日であった。(3/7撮影)
2015年3月5日木曜日
祇園東 襟かえ
京都には島原・祇園甲部・祇園東・上七軒・先斗町・宮川町の六花街があり、それぞれお茶屋や置屋がある。衿替えのあった祇園東の置屋「栄政」さんは、東大路通の祇園会館西並びにあった。
今日の主役、涼香さんは14:00衿替えのため別誂えの豪華な「黒紋付き」を着付けてもらい、男衆さんと共にお茶屋さんに挨拶廻りをした。
この日、3日も下鴨神社の「流し雛」を見てから祇園東に移動、なんとか雨は持つように思われた。
しかし、無常にもポツリと降ってきた、祇園東は15:00頃からの予定だったが雨で繰り上げたという。
舞妓写真愛好家は4,50人、それもその筈、舞妓さんの涼香さんは宮崎県の出身で仕込みや舞妓さんとなって祇園東の超売れっ子になったという。
舞妓さんと芸妓さんの違いは、舞妓さんの場合、地毛を結い花簪(はなかんざし)で華やかに飾りる。
一方、芸妓さんは島田などの鬘(まげ)を被り、化粧も大人っぽくなり着物も肩に柄の無い落ち着いたものに変わるという。
舞妓時代の赤い衿を、落ち着いた白い衿に変わることが“襟替え”で舞妓さんが芸妓さんになる儀式である。
初芸姑さんの涼香さんは各お茶屋さんや通りあったお姐さんにお辞儀をし、男衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。
公の廓とされた祇園内六町の新地が明治19(1886)年に京都府の命で二分され、昭和24(1949)年に東新地と呼ばれ一時は「祇園乙部」と呼ばれていた。
戦後は祇園東の名称となり東大路、四条通り、花見小路、新橋通りで囲まれた区域という。
また京都五花街の中で、唯一祇園東は秋のみの公演(祇園をどり)となっている。(3/3撮影)
2015年3月4日水曜日
京の流しびな 下鴨神社
昨日(3日)、左京区下鴨神社で「京の流しびな」の神事が11:00から営まれた。大勢の市民や観光客が見守る中、平安装束の束帯(そくたい)姿と十二単(ひとえ)の正装の男女が桟俵(さんだわら)の小舟に乗せた人形を境内の御手洗川に放した。
恒例の「流しびな」は、3月3日の桃の節句に下鴨神社境内を流れる御手洗川で行われた。
京の流しびなの桟俵は、赤衣に金の袴烏帽子、簡素な白梅模様の可憐な夫婦雛、大と小があり、100人の方に無料で配られた。
十二単の女性は10:30ごろ、“五衣唐衣裳”(いつつぎぬ、からぎぬ、も)の衣装を着た、近隣の園児が到着した。
流し雛の儀は斎主、宮司、そして平安貴族の公家(くげ)の男女の順で行なわれたが、舞妓さんの姿が見えなかった。
平安貴族の公家(くげ)の正装の束帯姿と十二単、正式名は“五衣唐衣裳”(いつつぎぬ、からぎぬ、も)の衣装で男性と女性の順で流し雛は流された。
子どもの成長を願い、御手洗川に流すと心が清められ、すべての厄はのがれられると言い伝えられている。
近くのきらら幼稚園代表が桟俵を貰い、小さな姿で歩みそっと流しびなを放った。
和紙で着物を作り、顔は土を丸め胡粉を塗った素朴な人形に願いを込め、御手洗川に流し、女の子の無事な成長を祈った。
最後に京都タワーのマスコット・たわわちゃんが愛嬌たっぷりに桟俵の流しびなを御手洗川に流した。
流しびなは、日本古来の伝統行事で人形に災厄を託し、川や海に流すことによって厄祓いする習慣から始まった。
御手洗川前では、大勢の参拝、観光客が次々と大小の桟俵の乗せた「人形(ひとがた)」を川面に浮かべ桟俵の人形で美しく彩られていった。(3/3撮影)
登録:
投稿 (Atom)