2013年11月3日日曜日

亥子祭 護王神社

上京区にある護王神社は、別名“いのしし”神社とも呼ばれ、狛犬のかわりに雌雄一対の霊猪の石像が並んでいる。11月1日、平安時代の宮中の年中行事であった“亥子餅”の儀式を再現した神事「亥子祭(いのこまつり)」が営まれた。
禊儀をする5人の奉仕女房。
11月1日、平安時代の宮中の年中行事であった“亥子餅”の儀式を再現した神事「亥子祭(いのこまつり)」が営まれた。 亥子祭は平安時代、旧暦10月(亥の月)亥の日に行われていた宮中の御玄猪(おげんちょ)の儀式を再現した神事で、聖上(宮司)がついた餅を食べることによって、無病息災と子孫繁栄を祈る行事で午後5時より始まった。
右から一ノ女房と5人がそれぞれの位置。
平安朝古儀を再現した優雅な祭である。平安朝古儀を再現した優雅な祭で、雅楽が流れるなか平安装束に身を纏った聖上(宮司)以下祭員と五人の奉仕女房が拝殿の上で亥の子餅をつく儀式を執り行なった。
亥子祭の神事は三つに分かれ、本殿ノ儀、次に御春ノ儀で拝殿の座に五人の奉仕女房は着いた。
式司は杵で餅をつき、式員は古歌「神奈月」を唱える。
臼に粉餅を入れ女房が水をそそいだ。式司の前に臼杵等々の御春式を整えて、式司は臼に粉餅を入れ女房が水をそそぎ、杵で餅をつき式員は古歌「神奈月」を唱える。
式司以下、式員が袖で口を隠して「いのちつくつかさ」と唱えた。
女房が袖で口を隠して「いのちつくさいわい」と唱えた。 式司以下、式員が袖で口を隠して「いのちつくつかさ」と唱え、女房が袖で口を隠して「いのちつくさいわい」と唱えた。

つき上がった亥子餅を神前に奉り、御所献上。つき上がった亥子餅を神前に奉り、御所献上の唐櫃におさめ、提灯行列を伴い、出来上がった餅を御所に献上する為、蛤御門をめざして向かった。
亥子餅献上ノ儀の行列は同社から蛤御門目指した。
亥子餅献上ノ儀の行列は同社から蛤御門・御所清所門に入り、餅を朝貢列(貢物を捧げること)によって京都御苑に献上した。
境内では、皆で「亥子囃」を歌いながら楽しく亥子餅がつかれた。その後、同社では饗宴ノ儀があり、境内で餅つきが行われ、皆で「亥子囃」を歌いながら楽しく亥子餅がつかれた。
亥子餅を食べると、万病を除き長寿を保つと言われている。搗き立ての亥子餅は参拝者や観光客にも振舞われ、また「ご神酒」や「おでん」などをいただいた。搗き立ての亥子餅は格別美味かった。亥子餅を食べると、万病を除き長寿を保つと言われている。
祭神・和気清麻呂(わけのきよまろ)と姉の和気広虫(わけのひろむし)を祀っていて、亥子祭は平安朝古儀豊かな装束に身を纏い厳かで優雅な神事に訪れた人々は見入っていた。(11/1写真撮影)
<亥子祭>
場 所:護王神社
日 時:11月1日午後5:00~
住 所:京都市上京区烏丸通下長者町下る桜鶴円町
電 話:075-441-5458
拝 観:境内自由
交 通:地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、北へ徒歩約5分   
           市バス「烏丸下長者町」下車すぐ 障害者:可

2013年11月2日土曜日

御所 秋の一般公開2013

京都御所(京都市上京区)の秋の一般公開が10月31日(木)から11月4日まで始まり1日観覧した。
秋の一般公開が10月31日(木)から11月4日まで始った。入場は宜秋門(ぎしゅうもん)。秋の一般公開は4年ぶりで、雲一つない快晴に恵まれ、御所は14世紀以来500年以上の永きにわたり皇居であり、いにしえの宮中文化を大勢の観光客が楽しんだ。
参内した控えの間を「諸大夫の間」。襖絵にちなんで身分の上下による部屋が並び桜の間を指している。入場は宜秋門(ぎしゅうもん)、御車寄まえをすぎ、参内した控えの間を「諸大夫の間」、虎の間・鶴の間・桜の間の襖絵にちなんで身分の上下による部屋が並び桜の間を指している。
いつも外側で内側から見た建礼門。
新御車寄は大正天皇・皇后の玄関で即位礼に際し建てられた。 南側に建礼門が見え、正面に朱色の承明門がある。
承明門から見た紫宸殿。
紫宸殿のまえに正面に朱色の承明門がある。さらに建春門や蹴鞠が奉納されるところがあったが2日(明日)10:00からと11:00の2回行われる。
春興殿の前は広く、紫宸殿に入る前に活花や檜皮葺屋根実物模型があり、皮は立木から剥ぎ取るという屋根の葺き替えは30年の周期だという。
清涼殿。
紫宸殿、白砂の南庭(だんてい)には東に「左近の桜」西に「右近の橘」が植えられている。紫宸殿に入ると正面には大正・昭和天皇も即位礼もここで行った。中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれている。
東遊。
小御所。現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際して造られたもので今上陛下の即位礼に際は東京の宮殿に運ばれて使用されたという。
安摩(あま)。
陵王(りょうおう)。また白砂の南庭(だんてい)には東に「左近の桜」西に「右近の橘」が植えられている。
清涼殿は平安時代に天皇が日常の生活の場として使用された御殿で手前の厚畳は「昼御座(ひのおまし)」といわれる。北側には昆明地の障子と南には、年中行事の障子、外には漢竹・呉竹がある。
御学問所。小御所は諸種の儀式が行われ、武家との対面にも用いられたという。慶応3年(1867)王政復古の大号令が発せられた夜、会議が行われた。
御池庭の池があり回遊式庭園、前面は州浜で舟着への飛石がある。欅橋があり、様々な景色を楽しむことができる。 御学問所は入母屋桧皮茸の書院造り、読書始の儀や学芸などの行事に用いられる。
天皇の夏季の「御涼所」。
御常御殿。御常御殿は天皇日常のお住まいとして使用されて御殿で16世紀末以降、清涼殿から独立して建てられるようになった。内部は15室からなっていてこの御殿から北側は奥御殿ともいわれている。 御内庭はほっとする空間で木々の紅葉はまただが美しい。
天皇の夏季の「御涼所」、また孝明天皇の「御書見の間」として利用されてというところまでであった。御三間は七夕や盂蘭盆会の内向きに使われたという。
公開は4日までの午前9時~午後3時半で無料、紫宸殿や清涼殿などを巡る約1キロの見学コース、カエデなどの木々が色づき始め、詰めかけた人たちは盛んに写真に収めていた。