2012年4月8日日曜日

西陣 本隆寺の桜

法華宗真門流総本山本隆寺は、西陣・今出川通智恵光院を北へ入った位置にある。
本堂屋根と桜桜は青空が似合う!正式名は慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺といい法華宗京都八本山の一つである。
鐘楼と桜二度の大火では、西陣一帯が焼野原なり山門・鐘楼・方丈・塔頭(たっちゅう)が再び焼失となったが本堂と祖師堂は焼失を免れ、それ以降、「不焼寺(やけずのてら)」と呼ばれるようになった。
美しい姿を魅せる艶やかな桜まだ満開ではなく5分咲きだった本隆寺は春は満開の「桜」の花が美しく、夏は本堂の右手にある“さるすべり”、秋は鐘楼前の大きなイチョウが人目を引いて季節感を表している。境内を散策しても1人か2人の高級一眼カメラを持ったカメラマンに遇うだけだった。曇天なため、愛用しているコンデジカメラではきれいに撮れなかったことをお詫びする。
本堂東側西側の塔頭の桜が綺麗
また同寺の祖師堂の前には“夜泣き止の松”があることで知られている。
<本隆寺の桜>
住所:京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町 電話:075-441-5762
拝観:境内自由
交通:市バス 今出川大宮バス停より徒歩約5

2012年4月7日土曜日

京都御苑の桜

京都御苑は今出川烏丸通りの「乾御門」を潜ると旧近衛邸の跡地は東にある。
太陽が顔を出して桜が微笑んでいる近衛邸跡の枝垂れ桜御苑の北西側にあり近衛邸跡の「糸桜(しだれ桜)」は、隠れた桜の名所となっている。
満開の紅枝垂れ桜紅枝垂れ桜明治2年、東京遷都で御所の周辺は公家邸宅が荒廃し寂れていった。
望遠使用して・・・淡紅白色の花を咲かせ枝先が垂れ下がるこの辺りは近衛邸の屋敷のあったところと言われ、近衛家は、鎌倉時代以後、摂政・関白に任じられる家柄で、近衛・九条・二条・一条・鷹司(たかつかさ)の五摂家の公家の一つであった。
出水の小川の糸桜桜の下でニャンコが居眠りしていた!この庭園の近衛池の西側には大きな屋敷があり、御所炎上の際、仮の皇居にもなったという。 昔から近衛池のほとりには、糸桜(ウバヒガンの変種)の名所であった。
ベニシダレ淡紅白色の花が可愛い3月上旬に淡紅白色の花を咲かせ枝先が垂れ下がるもので、紅色の花をつけるベニシダレなどの品種も多いがことしは春の季節が例年より遅く、梅・コブシや桃の花など一度に咲き出した。
真っ赤な桃の花コブシの花御苑の中で一番早く咲き始めるしだれ桜だが、1ヶ月位も遅い・・・近衛邸跡の桜の木は約30本はあるが、“近衛の桜”という早咲きの彼岸桜のしだれ桜もある。
青空をバックに白い桃の花ピンクの桃の花このシダレザクラは「糸桜」と呼ばれており、近衛邸が現在の同志社大学の場所にあった頃から有名な桜である。ことしは中々春にならず冷えて桜の開花もおくれた。
松に生えた桜(桜松)宜秋門と桜御苑の国民公園は桜の見ごろで山桜、糸桜、紅しだれ桜や八重紅しだれが素晴らしくご家族連れや大勢の方がお花見を楽しんだ。

2012年4月6日金曜日

醍醐寺の枝垂れ桜

5日ブログ友と2人で洛西の桂離宮の参観が終わり阪急桂駅で昼食、四条烏丸駅まで出て地下鉄で醍醐寺へ行くことになった。 朝のNHKで醍醐寺の枝垂れ桜が満開になったと紹介されていたが、桜が咲いたことで参拝・観客の人も心が浮き浮きし弾んでいる。
推定樹齢150年の「土牛の桜」三宝院入口の枝垂れ桜
真言宗総本山・醍醐寺は京都伏見に位置し、一千百年の歴史があり弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝によって876年(貞観16)に開かれた寺院である。
8日には桜の下で太閤行列が行われる。平安時代から「花の醍醐」と呼ばれている。山岳信仰の霊山であった醍醐山(笠取山)に湧き出る地主神・横尾明神が醍醐寺の始まりである。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んで約200万坪にも及ぶ広大な寺域をもっている。
見事な醍醐の桜霊宝館の桜907年(延喜7)、醍醐天皇によって薬師堂が建立され、上醍醐の伽藍、つづいて下伽藍が完成した。1115年(永久3)に「三宝院」が建立、醍醐寺発展の基礎が確立された。
秀吉が“醍醐の花見”として盛大な花見をした桜の子孫と言われている。 平安時代から「花の醍醐」と呼ばれる醍醐寺は桜の名所として知られている。4月8日には桜の下で太閤行列が行われる。
早咲き桜で知られる河津さくら今日5日は午前中は晴れていたが午後、小雨が降ったり目まぐるしく変化した。 それにもめげず三宝院と枝垂れ桜と「憲深林苑(けんじんりんえん)」の霊宝館の枝垂れ桜、金堂と五重塔の桜を鑑賞した。最初に三宝院「土牛の桜」を鑑賞、推定樹齢150年の枝垂れ桜みごとに咲いていた。 1972年(昭和47)に日本画家の奥村土牛が「醍醐」という桜の絵を描いたことに由来するという。豊臣秀吉が“醍醐の花見”として盛大な花見をした桜の子孫と言われている。 庫裏の横には憲深林苑という庭園がある。 庭園の周りは枝垂れ桜で埋め尽されていて桜が手の届く位置にあり写真愛好家はシャッターをバシャバシャと切っていた。
桜は今を盛りと懸命に咲いていた茶店の床机の赤い毛氈に座って鑑賞するが小雨が降って誰もいない!早咲き桜で知られる“河津さくら” 見事な枝垂れ桜、茶店の床机の赤い毛氈に座って鑑賞するが小雨が降って来る。 三宝院の中へ拝観、人人人混雑、一切撮影禁止であった。次に霊宝館へ行き推定樹齢200年の枝垂れ桜を観賞、桜は威風堂々と花を咲かせ人々を楽しませている。 1935年(昭和10)に霊宝館は開館し、薬師堂の本尊である国宝・薬師三尊像を安置している。
右端に残梅が咲いていた「餅上げ力奉納」の金堂「醍醐の花見」は豊臣秀吉が基本設計した庭であり、醍醐寺の境内は広大で境内には桜の花は約2000本もあるという。 五大力さん「餅上げ力奉納」の金堂・五重塔前の枝垂れ桜を鑑賞したが、人混みと天候の不順で好い写真が撮影できずに徒労におわった。
<醍醐寺の枝垂れ桜>
場     所:京都市伏見区醍醐東大路町22 電話: 075-571-0002
拝観時間:9:00~17:00
拝観料金:三宝院600円、霊宝館600円、金堂600円      
            ●共通券2枚1000円      
            ●共通券3枚1500円
休    日:無休
駐車料金:普通車(約100台収容) 700円
交     通:地下鉄東西線 醍醐駅下車 徒歩10分      
            京阪バス 醍醐三宝院前下車 徒歩すぐ

2012年4月5日木曜日

洛西 桂離宮(かつらりきゅう)

京都市内から離れた「桂離宮」は、桂大橋西北に位置し桂川西岸に在る。
5日、桂離宮に行ったが去年の4月と二度目の参観である。
桂離宮の表門御幸門江戸時代初期に初代・八条宮智仁親王と二代智忠親王が別荘として造営したもので、敷地面積約7ヘクタールの離宮は日本庭園として最高の名園といわれている。
中央に心字池があり、大小五つの中島に土橋、板橋、石橋を渡し、その周りに書院など七つの茶亭を配した回遊式の庭園は35年の歳月をかけ完成された日本庭園の傑作である。 苑路を進むと池は全く姿を消したり、眼前に洋々と広がったり、その変化に驚いてしまう!
薩摩島津家から献上された蘇鉄山二重桝形の手水鉢と丈の低い灯篭古くからこの地は貴族の別荘地として知られ、桂と謂う地名も中国の「月桂」からの由来だとされている。しかし、庭園作庭は“小堀遠州”ではない、建築は遠州好みの技法が随所に見受けられ、智仁・智忠親王の趣味趣向や工匠、造園師らの技が一致したものである。
茅葺の茶室松琴亭の待合い、外腰掛、雪隠(便所)付いている山桜と桂離宮歴史は、後陽成天皇の弟・初代・智仁親王は、初め豊臣秀吉の養子となったが秀吉に実子が誕生したため、八条宮家(桂宮家)を創設したものである。智仁親王没後10年余り山荘も荒廃していたが、二代智忠親王は加賀前田藩主の息女と結婚され山荘復興・増築に意欲的に取り組んだ。
松琴亭から見た天の橋立松琴亭の市松模様と竈 1662(寛文2)年ごろは、中書院、新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒等を新増築された。表門と御幸門(みゆきもん)は離宮の北側にあり表門は桂離宮の正門で特別の場合以外は開けられることはない。普段の出入りは、右手、南側に回り込んだ所にある黒御門が使用されている。茶室・松琴亭の待合い腰掛であり、前を自然石と切り石を巧みに配した延段が長く延び、両端を二重桝形(ますがた)の手水鉢と丈の低い灯籠で引き締めている。対面は蘇鉄山があり、薩摩島津家から献上されたと伝えられている。
洲浜(すはま)は黒く扁平な石が敷き詰められ池に突き出している。先端に灯籠を据えて岬の灯台に見立てて「海」を演出している。その先の中島と石橋のつながりは、「天の橋立」に見立てたものと言われている。
大きなしだれ桜賞花亭は小高い丘にある桂離宮で最も格の高い茅葺入母屋造りの茶室で“一本の切石”を渡した橋を渡ると「松琴亭」である。橋を渡る手前から松琴亭屋根の妻に「松琴」の扁額が見える。にじり口の内側は三畳台目(茶室用の畳)の本格的な茶室で、遠州好みの八窓の囲いである。松琴亭外観は、東、北、西の三方から眺めるとそれぞれに異なる風情が楽しめる。北側廊下の竈(かまど)構えと一の間の床や襖の青と白の市松模様は大胆かつ柔軟な発想と創意によるもので、そのデザインは現代になおいきいきと相通ずる斬新さをもっている。
笑意軒としだれ桜しだれ桜 山荘の池や庭園の姿の美的感覚は亡き父の後を譲り受けた二代智忠親王が整えられた。その後、八条宮家は京極宮や桂宮と改称され1881(明治14)年、十一代淑子(すみこ)内親王が亡くなられるとともに途絶えた。
桂離宮には真(しん)行(ぎょう)早(そう)の三つの飛石があり、庭の敷石で長方形の切り石と自然石とを組み合わせた延段の飛石の変化を楽しみつつ、入江や州浜・山里で深く四季折々映し出される自然の美を味わう!というが、足の悪い障害者には飛石が特に注意が必要となった!
書院と桜心字池に映る月を眺め・・・ 峠の茶屋風の“賞花亭(しょうかてい)”が小高い丘の位置、本瓦葺宝形造り屋根の園林堂(おんりんどう)がある。笑意軒(しょういけん)は、田舎屋風の茶室である。桂離宮の中枢をなす書院群は、東から古書院、楽器の間、新御殿と、雁行形に連なって立ち並んでいる。月を観賞するために古書院二の間の正面広縁には池に突き出すように月見台が竹簀子(すのこ)で作られている。
月波楼左は山、右は池が望める月波楼(げつぱろう)は古書院に近い池辺の高みに建つ茶亭で、月を見るのによい位置にあり開放的である。土間の右手の部屋は池を眺めて見晴らしが良く、土間の奥の座敷から北を見ると池は隠れて見えない趣向であり山が現れる。紅葉のときは山がきれいで格別の感がある。化粧屋根裏の竹の垂木が舟の底のような形に組んである。御輿寄(おこしよせ)は書院の玄関で、前庭は杉苔で覆われている。今までの苑路には見られなかった切り石の堅さのある構成で、六人の沓を並ベられることから「六つの沓脱」という。
大きな松がある御興寄、一枚石の六つの沓脱がある豊臣時代から家康の世へと移る動乱期、八条宮智仁・智忠親王が造り上げた「美の空間」茶室や御殿、誇らしげな美しさよりも慎ましやかなものにこそ「日本の美」は称讃されてきた。古都・京都の情緒をゆったりと味い、今昔より相応しくさりげない表情をみせる名刹庭園である。