2013年4月26日金曜日

第44回れんげを摘む会

昨日(25日)、午前9時から午後3時まで右京区の広沢池一帯で「れんげを摘む会」が行われた。陽春の日、子どもたちは緑豊かな田園で美しいれんげの花畑で花摘みを楽しんだ。
右京区の広沢池一帯で「れんげを摘む会」が行われた。引率の先生方に連れられて参加していた。この催しは右京区民ふれあい事業実行委員会によるもので今年は44回目になるが自分は初めて参加だった。
しゃがみ込み、笑顔で紫色のレンゲの花を摘んでいた。子どもたちは緑豊かな田園で美しいれんげの花畑で花摘みを楽しんだ。会場は広沢池の西北で受付は児神社の境内に設けられていた。池西側の約3・4㌶の土地で市農協嵯峨支部がレンゲを栽培している。
美しいレンゲの花。レンゲと云えば蝶々、黄色いチョウ、難しい!!今回は市内の園児や親子連れなどたくさん参加していたが、ほとんどが右京区の幼稚園の児童たちが引率の先生方に連れられて参加していた。 嵯峨野一帯は歴史的風土特別保存地区で園児たちはそれぞれ区画に分かれて田畑に入り、しゃがみ込み、笑顔で紫色のレンゲの花を摘んでいた。
二人の先生は レンゲの花の首飾りを作っていた。広いレンゲ畑の中で・・・。前日は雨降りで引率の先生は長靴も持参したといっていた。市農協嵯峨支部の方だろうか?「雨が降ったが、乾いてきた」と仰っていた。
顔も隠れるほど一杯の花束。摘んだ花束を得意そうにみせる。子どもたちは「ねっ~みて!!みて~」と牛乳パックで作った摘んだ花束を得意そうにみせた。先生は レンゲの花の首飾りや草笛なども作ったりしていた。
西岸から見た広沢池。長閑な嵯峨野一帯、嵐山が見える。広い田園を思う存分、走り回り摘んだ花束を友だちと見せ合ったり、カエルを捕まえて歓声を上げていた。 長閑な嵯峨野広沢池一帯のれんげ畑で「れんげを摘む会」が行われた。

2013年4月25日木曜日

キリシマツツジ2013 長岡天満宮

23日、長岡京市にある牡丹の乙訓寺とキリシマツツジで有名な長岡天神の八条ヶ池を訪ねた。 牡丹開花状況を聞いてからの予定だったが予報では雨(24日)が降るので出かけた。
乙訓寺から長岡天神のキリシマツツジを見た。南側のツツジは満開だが北側はまだ蕾があった。洛西NTから南へ歩くこと40分、牡丹の花は3,4分咲きということだったので乙訓寺の牡丹はまた来ることにして、長岡天神のキリシマツツジを観ることになった。10:30ごろ、市文化センター前に到着、八重桜(関山)の花も吹く風に花弁を散らしていた。
小山のようなキリシマツツジの花たち。八条ヶ池の噴水と色の違うツツジ。長岡天神、八条ヶ池の噴水は鮮やかな真紅のキリシマツツジをさらに見栄えしていた。 八条ヶ池の周辺には真っ赤に咲くキリシマツツジに見惚れ大勢の方がお弁当など繰り広げゆったりとしていた。
訪れた人々は見事なキリシマツツジに感歎の声を漏らした!キリシマツツジは、長岡京市の「天然記念物」に指定されていて約100株が植えられている。 樹齢は推定100~150年位とされておる。
老舗料亭・錦水亭。中央にのびる中堤には、真っ赤なキリシマツツジ。中央にのびる中堤には、真っ赤な“キリシマツツジ”が両側の参道に植えて訪れる観光客・参拝者らは感激のあまり発する声もなく絶句する。
ツツジの紅葉?真紅の花を咲かせるキリシマツツジは、九州南部にある霧島山に因んで「霧島ツツジ」と名付けられた。霧島ツツジは野生に近い品種で、大きく株別れしており高さ2.5m~3mにもなるという。
池畔には1881(明治14)年からの老舗料亭・錦水亭の張り出しお座敷があって、水面に浮かぶ大小の数寄屋造りの建物と周囲の自然豊かな景観が見事に調和している。 名産の竹の子料理を食べながらキリシマツツジを鑑賞することができる。
おや、クロアゲハチョウがツツジにとまった!老舗料亭の藤棚。真紅の花を咲かせる「キリシマツツジ」は、壮大で周辺はツツジの花を求めて訪れる観光客・参拝者も多く中堤と中ノ島を結ぶ総檜造りの水上橋を含む一帯は、「八条ケ池ふれあい回遊のみち」と名付けられ、人々に親しまれている。
愛宕山(891m)が聳える、長岡天神の八条ケ池。市文化センター前にある八重桜。その見事な緋色の回廊は我が国随一と言われ、キリシマツツジの花の満開の季節には多くの参詣者や観光客で賑わっている。(23日写真撮影)
<長岡天満宮・八条ヶ池 キリシマツツジ>
場所:京都府長岡京市天神二丁目15-13 
TEL:075-951-1025
拝観:自由
交通:阪急電車「長岡天神」駅から徒歩約5分   
          JR「長岡京」駅から徒歩約15分

2013年4月24日水曜日

釘抜地蔵(くぎぬきじぞう)

上京区にある石像寺(しゃくぞうじ)は千本通りに面し、通称・釘抜地蔵で知られていて浄土宗の寺院である。山号は家隆山(かりゅうざん)と号し、正しくは家隆山光明遍照院石像寺(かりゅうざん こうみょうへんじょういん しゃくぞうじ)といって本尊は地蔵菩薩を祀っている。
山号は家隆山と号し、正しくは家隆山光明遍照院石像寺といって本尊は地蔵菩薩を祀っている。中門の大きな提燈には「釘抜地蔵尊」819(弘仁10)年、弘法大師によりに創建され、真言宗のお寺であったが鎌倉時代に浄土宗に改宗されたという。
本尊の地蔵菩薩は大師が唐(中国)から持ち帰った石を自ら刻んだといわれている。境内の釘抜地蔵と本堂。本尊の地蔵菩薩は大師が唐(中国)から持ち帰った石を自ら刻んだといわれている。この事から‘苦しみを抜き取る’苦抜地蔵(くぬきじぞう)と呼ばれていたが、いつの間にか釘抜地蔵と呼ばれるようになった。
本堂の裏の地蔵は重要文化財に指定されている。本堂壁面の釘抜と八寸釘の絵馬がぎっしりと詰まっていた。また一説には室町末期の頃、紀ノ国屋道林という商人が手に激痛を覚え日増しに痛みがました。
千本の地蔵さんに藁をも縋るおもいで七日間の願をかけた。そして満願の日、地蔵菩薩が夢の中に現れ、「汝、前世に人に怨んだ、呪いの人形を作り、その両手に八寸釘を打ち込んだ。その罪で苦しんでいる」と告げ、お地蔵さんの手には八寸釘が握られていた!
大師堂。夢から覚めた道林は両手の痛みは取れ、地蔵前に駆けつけると血に染まった二本の釘が置かれていた。こんな由来もあって釘抜地蔵と呼ぶようになったという。
釣べ井戸の手洗い舎。参道のでっかいモニュメント。今では本堂の建物の壁面全体に諸苦、病苦が治った人が奉納した釘抜きと八寸釘を付けた 絵馬が貼り付けられている。 参道と境内には大きな釘抜きのモニュメントがあり、どの説が正解かは分からないが多くの人々が救われている。霊験あらたかな地蔵菩薩の釘抜地蔵はお百度参りをする参拝客が平日でも絶えない。また本堂には行基の作と伝わる観世音菩薩、地蔵堂背後には重要文化財に指定されている。
<石像寺・釘抜地蔵>
住  所:京都市上京区千本通上立売上る花車町503
電  話:075-414-2233
拝観時間:8:00~16:30
拝観料金:無料
駐 車 場:なし
交 通:市バス 千本上立売下車すぐ

2013年4月23日火曜日

桂大橋 船渡御(ふなどぎょ)

つづく・・・松尾大社の神幸祭(おいで)は本殿の御分霊を受けて、神輿を高々と持ち上げ拝殿を周回し白い法被を着た威勢の良い輿丁(よちょう)たちの「ホイット、ホイット」の大きな掛け声とともにシャンシャンと鳴鐶(なりかん)の神輿を上下に揺らす勇壮な姿がみられた。
突風吹きまくり、六基の神輿が桂離宮の西方の左岸堤防下で川を渡たる思案をしていた。先頭と預かる月読社の唐櫃を載せる船は岸に近く辿り着いた。拝殿廻し(三回周回)後、午前中に出発、神輿が船で“船渡御”する勇壮華麗にして圧巻の桂離宮横の桂大橋に着いたが突風吹きまくり、六基の神輿が桂離宮の西方の左岸堤防下で川を渡たる思案をしていた!
月読社の唐櫃を載せる船二艘は桂川の端を慎重に渡って河川敷に到着した。桂川を渡る船渡御は市民も人気もあり多くの人々で賑わっていた。約10万戸の氏子をもつ洛西の総氏神で、桂川を渡る船渡御は人気もあり多くの人々で賑わっていた。
神輿巡行の担ぎ手たちは船渡御中止になり台車で桂大橋を経由し対岸へ渡ったが12年ぶりの事であった。桂離宮横の桂大橋に着いたが突風吹きまくり、六基の神輿が立ち往生。船渡御は、一時中断されたが1983(昭和58)年に再開され、その昔、先人たちは桂川の中を神輿を担いで渡ったと言われている。いつも良く会うAさんが「強風で船渡御が中止」なったと桂大橋を渡った所で一早く耳にした!
橋上は寒く突風が吹いて小波が立った!法被姿の寒そうな面々たち。この桂川を渡る船渡御はクライマックスで、松尾大社の神幸祭で五穀豊穣や家内安全を願って広範囲の氏子市域を巡り一基の唐櫃(からびつ)と六基の「神輿」を船に載せるはずだった。急遽、神輿巡行の担ぎ手たちは船渡御中止になり台車で桂大橋を経由し対岸へ渡ったが12年ぶりの事であった。春の嵐で雨量が増し12年前も中止になったという。
法被姿の輿丁たちは威勢よく足は踊るように跳ねながら「ほいっと・ほいっと」と神輿ダンスをする。それにしても河沿い突風は凄く、小波が立つほどで事故を起したら悔やまれる、御霊を移した神輿の船渡御が中止で何事もなく良かった。だがその昔、洪水で流されたと言われている神輿は現在も月読社の唐櫃を載せる船二艘は桂川の端を慎重に渡って河川敷に到着した。
松尾社の女神輿人たちも参加していた。春風を吹き飛ばすような法被姿の氏子たちの威勢の良い掛け声が響く中、桂大橋を経由し 法被姿の輿丁たちは威勢よく足は踊るように跳ねながら「ほいっと・ほいっと」と掛け声で神輿を担いでいた。
勢揃いした神輿は風になびかせて誇っていた。桂大橋上には観覧の人たちが大勢、橋下には縁日が並び、その後、古例の団子神饌を献じた神事が行われ後、七条通り(旧山陰街道)を東進、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は川勝寺と郡の末社に至り、そこに駐輦、西七条御前(七条御前下ル)各御旅所まで巡幸する神幸祭である。
古例の団子神饌を献じた神事が行われた。今年の松尾祭・神幸祭、船渡御は強風で残念ながら観ることは出来なかった。なお5月12日還幸(おかえり)祭が行われる。(完)