2011年5月18日水曜日

葵祭 2011 その2

つづく・・・爽やかな初夏の日差しが降り注ぐ葵祭、場所変え賀茂街道で行列を観覧した。賀茂街道沿いで葵祭の行列を観覧斎王代の金井(23)さんは、震災への思い込め腰輿(およよ)に乗って微笑を浮かべていた
長さ約1㎞におよぶ葵祭の行列は京都御所をスタートして下鴨神社を経由し、賀茂街道を通って御薗橋を渡り上賀茂神社までの約8㎞の行程をゆっくりと進んだ。緑の衣装が鮮やかだ右の女の子、笑顔が素敵だった!
葵祭は平安遷都から今に伝わる優美な王朝絵巻で、天皇からの使者・勅使が下鴨、上賀茂両神社に参向する道中「路頭の儀」で、主役は華やかな斎王代と思われているが、祭りの主役は勅使代である。紅色の衣装が目を惹く 検非違使尉(けびいしのじょう)?
勅使代等々検非違使、内蔵使、山城使、牛車や風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で王朝絵巻行列をする。祇園祭、時代祭とともに京都の三大祭の1つに数えられる。真近で撮影できる
黄色い風流傘
私は午前中、京都御所で観たが、地下鉄南北線に乗り北大路駅で下車、賀茂街道沿いで葵祭の行列を観覧している。京都御所や両神社の有料観覧席もよいと思うが、華麗な王朝絵巻、斎王代や女人列など真近で撮影できる賀茂街道沿いが写真愛好家には新緑の豊かな絶好な場所である。笑顔サービスは好いものだ騎女
葵祭にはさまざまな前儀があり1日は上賀茂社で競馬会足汰式(くらべうまあしそろえしき)3日は下鴨社で流鏑馬神事(やぶさめしんじ)、さらに4日は、下鴨社で「斉王代御禊の儀(さいおうだいみそぎのぎ)」なお隔年で交代する。もう上賀茂神社は近い・・・
この人も笑顔だ
5日は下鴨社で武射神事(ぶしゃしんじ)上賀茂社で賀茂競馬(かもくらべうま)がある。また12日、下鴨社の御蔭祭(みかげまつり)は11年ぶりの雨で今年は中止になった。御所車を押して上賀茂神社へ向かった
紫の藤の花房を垂れ下げた牛車
新緑が眩しい賀茂街道に行列は進むと、沿道に詰めかけた観客からは歓声がわいた。6年ぶりの日曜開催となった葵祭、華麗な平安王朝装束をまとった行列は1400年の歴史を今も脈々と伝えている。(完)

2011年5月17日火曜日

葵祭 2011 その1

15日、葵祭の行列が華やかな平安王朝絵巻に繰り広げられた。
京都三大祭のトップ、葵祭が平安時代の華やかな装束を身に着けた約511人の行列が鮮やかな新緑眩しい都大路を練り歩いた。
第56代斎王代は、大震災の被災者への思いを込め微笑で・・・紅色の水干姿の牛童が綱を引き、御所車と呼ばれる牛車が車輪をきしませて進んだ葵祭の行列は午前10時半、京都御所の建礼門前を出発、下鴨神社に立ち寄り賀茂街道を経て上賀茂神社に向う約2里(8km)の道程で、沿道に詰めかけた観光・見物客(人出は81,000人)は華麗な王朝絵巻にうっとりと見入っていた。 山城使
行列の先払い、素襖(すおう)祭りのヒロイン、第56代斎王代は、東日本大震災の被災者への思いを込め、にこやかな表情と微笑を絶やさずに、十二単姿で腰輿(およよ)に担がれ、みやびやかな宮廷装束に身を包み、晴天の日差しのもと平穏な暮らしを祈った。
大勢の観光客らが見守るなか、王朝絵巻さながらのみやびな祭りは行われた。行列中最高位の人、勅使
御幣櫃と内蔵寮史生(くらりょうのししょう)祭の起源は今から約1400年前で、正式には“賀茂祭”と云われていた。平安中期の宮廷貴族の間で“まつり”といえば賀茂祭が有名で六世紀に始まったとされ、歴史を物語る優雅な伝統祭事であった。 風流傘
陪従(べいじゅう)葵祭は、上賀茂・下鴨両神社の例祭で、行列の装束や社殿に「フタバアオイ」を飾ることから“葵祭”といわれるようになったという。童女(わらめ)と齋王代列
女別当フタバアオイの葉を頭や胸に飾った約1kmの行列は、フジの花をつけた牛車や馬など約40頭が本列(近衛使(このえづかい)代列)が、京都御所・建礼門を出発、紅色の水干(すいかん)姿の牛童が綱を引き、「御所車」と呼ばれる牛車(ぎっしゃ)が車輪をきしませて進んだ。
内侍?命婦?晴天でよかった、まだまだ行列は続く・・・女官が先導する斎王代列(女人列)が続き、斎王代が乗った腰輿(およよ)が近づくと、京都御所に集まった大勢の観光客からひときわ大きな拍手があがった。
十二単(ひとえ)に身を包み、フタバアオイと金銀の金具で髪を飾った斉王代を見つめると観客からはため息がもれた。齋王付の神事を司る女を騎女という采女(うねめ)と後方は騎女(むなのりおんな)
京都御所で行列の待機中にお話を聞いた。隣は静岡から夜行バスで来たというご婦人、奈良から朝6時の電車で来たという夫婦連れ・・・一度“葵祭”をしっかりと観ておきたいと言っていた。後半、賀茂街道につづく・・・

2011年5月16日月曜日

ダウン症の天才書家・金澤翔子書展

天才書家・金澤翔子書展が京都・建仁寺で5月7日から14日まで開催された。
天才書家・金澤翔子書展が開催された京都最古の禅寺・建仁寺で書展京都の名刹、建仁寺にある国宝「風神雷神図屏風」と書家の金澤さんが二年前に「風神雷神」を奉納し展示されている書がある。国宝の風神雷神図屏風奉納した「風神雷神」の前で金澤小蘭さん
今年も鎌倉の建長寺と建仁寺において「寒山詩」と題した書展を開いた。
無邪気で遊ぶダウン症の彼女だが“じゃんけん”のルールも覚えられないという。みんなが楽しそうにしていることが、嬉しい・・・彼女に勝ち負けは関係ない。
彼女の無垢な心から生み出された書が、多くの人々に深い感動を与えている。重巌雲雷白雲幽石
1985(昭和60)年6月彼女は東京で生まれた。やっと生を授かった彼女だったが生まれてすぐダウン症と診断され母は絶望し親子心中を幾度となく考えたという。
そして母は5歳の時、自宅に近隣の子たちを集め書道教室を始めたという。彼女は習いことをことごとく断られ、母は同年代の友たちを作ってあげたかったという。白雲中石磊磊(はくうんのなか、いしらいらい)寒山寒氷鎖石(かんざんはつめたく、こおりはいしをとざす)
小2の運動会の時、転倒した子を助けて他人と競い合わない彼女の優しさ性格だった。だが突然学校から転校を勧められた。一般社会からの拒否、ダウン症の知的障害のため4年生で学校は断られ、親子には書道しか道は残されていなかった。
書に邪心がない少し違った書き方で・・・1995(平成7)年のとき、般若心経を書き、10歳で全日本学生書道連盟展に「花」を出品。父は彼女が20歳になったら個展をしてあげたいと言っていた矢先、心臓発作で他界した。父が思い描いた彼女の未来を見る事はできなかったが、わが子の将来を信じる希望を託す夢が実った。
また味があってよいいま建仁寺は5年越しで屋根を葺き替えている
16歳のときと17歳のとき、金賞を受賞している。
2004(平成16)年19歳には雅号を取得「小蘭」と名乗る。2006(平成18)年10月、神奈川県鎌倉市「建長寺」に額装“慈悲”を奉納、三年6ヶ月後、個展を開いた。また2009(平成21)年10月、建仁寺に書「風神雷神」を奉納されて個展を10日間開催した。昨年は両寺において「般若心経展」を行っている。
天使の正体が新刊であるCD付きの本が出版している
彼女は、想像していたよりも小柄な人だったが明るく素直さに加えて、人の心を思いやる豊かな光を注ぐ力を持っていると思えた。身の丈を越す大書をするパワー、墨をタップリ含んで重くなった大きな筆、どの書を見ても躍動感があった。
なおTBS・TV金スマの放送やテレビ朝日の「徹子の部屋」で話題になり放送された。
「愛にはじまる」文・金澤泰子 書・金澤翔子 CD付き 
         ISBN4-8248-1289-1 1300円 株ビジネス社
「天使がこの世に降り立てば」 1200円 かまくら春秋社 刊
「天使の正体」1200円 かまくら春秋社 

2011年5月15日日曜日

大田神社 杜若(かきつばた)

北区上賀茂の大田神社の大田ノ沢にある杜若(カキツバタ)の花を観に行った。9日はまだ一分咲きと言ったところだった鳥居右に大田ノ沢にある杜若がある
大田神社は上賀茂神社の降臨山である神山の近くにある。明神川沿いの道を東へ歩いてゆくと、古く加茂社・社家の築地塀が立ち並ぶ家並みがある。冷え込みのために1分咲きだった 紫の花を咲かす杜若
大田神社は上賀茂神社の摂社で、天鈿女命(あめのうずめのみこと)と猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀っていて、名称の由来は古来から恩多社(おんた)と呼ばれていたものが変化して、猿田彦命を別名大田神とも言われている。大田ノ沢の杜若は、国の天然記念物に指定杜若は濃紫色の6枚の花びらを垂らす
境内の大田ノ沢には、国の天然記念物に指定(昭和14年)されたカキツバタの野生の群落があることでも有名で5月上旬より美しく可憐な花を咲かせている。
神山や 大田の沢のかきつばた ふかきたのみは いろにみゆらむ」と詠んだ藤原俊成・・・大田ノ沢のカキツバタは平安時代の昔から紫一色の花を沢一面に咲かせている。葉の緑と花の紫がよい・・・あれから一週間、緑のなかに紫の花が咲いてるだろう
大田ノ沢は総面積約2000㎡あると言われ、約25000株のカキツバタの群生がある。私が訪れた時(9日)は一分咲き程度だったが今見ごろになっていることだろう。カキツバタは一株で3回花を咲かせる、今年は春の冷え込みで6月上旬までが見ごろが続くという。