2013年2月25日月曜日

幸在(さんやれ)祭 上賀茂神社

24日、上賀茂で古くより行われている氏子で15歳の男子を対象に元服、「成人の儀式」を祝う、成人祭が上賀茂神社と摂社大田神社で営まれた。9:30ごろ北大路ターミナルから市バス北3番に乗り賀茂街道の途中、俄雪が降る厳しい寒さだった。
氏子で15歳の男子を対象に元服、「成人の儀式」を祝う、成人祭が上賀茂神社と摂社大田神社で営まれた。先頭は13、4歳未満の少年が青木の御幣をもち、首から下げた鉦を鳴らした。「さんやれ祭」は初めてで上賀茂神社の巫女にお聴きすると、11:00ごろ大田神社を出発とのことだった。
氏子で男子を対象に行う「儀式」だった。数え年で十五歳になると「あがり」と呼ばれ、農家の仕事や祭礼など町内の一般行事などで一人前の大人として扱われる。 幸在祭は古くから上賀茂に住んでいた農家を中心としたサンヤレ講で、23日、「宿(やど)」に集って夜を明かした各町の男子が翌日の午前11時ごろ、列を整え太鼓、鉦、笛の囃しで、山の神・大田神社・上賀茂神社に参拝して大人になったことを奉告する元服(成人の)儀式である。
青木の御幣をもった少年たち。「あがり」の少年たちは、大島紬の羽織、着物に黒足袋に下駄履き、首に白襟巻き姿、手袋をつけて太鼓を打ち鳴らした。男子は数え年で十五歳になると「あがり」と呼ばれ、農家の仕事や祭礼など町内の一般行事などで一人前の大人として扱われる。地域の人々から祝福を受けながら町内を練り歩いた。
地域の人々から祝福を受けながら町内を練り歩いた。朝の俄雪の何処へやら行列は上賀茂神社へとつづいた。祭りは江戸時代の元服に習い大人の仲間入りをした少年たちを祝い、田の神を山の神へ迎えに行く行事になっているという。
独特の調子で「おんめでとうござ~る~」と、掛け声を囃し立てながら上賀茂神社の境内に入った。行列はお供物を持った大人、先頭は13、4歳未満の少年が青木の御幣をもち、首から下げた鉦を鳴らし、「あがり」の少年たちは、大島紬の羽織、着物に黒足袋に下駄履き、首に白襟巻き姿、手袋をつけて太鼓を打ち鳴らした。
奈良の小川の畔で禊した。氏子たちは神妙に頭を垂れていた。独特の調子で「おんめでとうござ~る~」と、囃し立てながら掛け声を上げ、山の神、大田神社など巡り上賀茂神社へと練り歩き「あがり」を神様に奉告した。
田の神と山の神に15歳の元服を奉告するといったので素朴な神祭りの遺風を受け継ぐものである。その元服を祝い大田神社と上賀茂神社へ詣でるのが、さんやれ祭である。
田の神と山の神に15歳の元服を奉告する。町内の人々が元服を祝う様子に心暖まる、素朴な伝統行事である。毎年2月の寒中に行われますが、町内の人々が元服を祝う様子に心暖まる、素朴な伝統行事である。
<さんやれ祭 上賀茂神社>
日時:2012年2月24日 11:00~12:00頃 ※雨天決行
場所:大田神社~上賀茂神社
料金:無料
交通:市バス「上賀茂神社前」下車すぐ、「上賀茂御薗橋」からは徒歩約5分
問い合わせ:上賀茂神社 075-781-0011

2013年2月24日日曜日

大通寺と長浜城 その4

つづく・・・表参道の南北に伸びる石畳「ながはま御坊」の総ケヤキ造りの巨大な山門は1808(文化5)年に起工し33年後、落成した。長浜別院・大通寺は、“長浜の御坊さん”と湖北の人々に親しまれている。
総ケヤキ造りの巨大な山門は、“長浜の御坊さん”と湖北の人々に親しまれている。大通寺の本堂は白雪だった。本堂は真宗大谷派の別院として、京都伏見城の遺構を移築した。約7000坪の広大な境内には名勝・含山軒庭園があり枯山水庭園で伊吹山が借景になっている。また蘭亭庭もあって安土桃山時代の建築様式を伝えている。奥の大広間には狩野山楽や円山応挙らの襖絵もある。
馬酔木(あせび)展は2/10~4/18に開催される。鐘楼と積雪の松の木。境内では馬酔木(あせび)展(2/10~4/18)が開催されていたが、寒さのためかスズランに似た小さい可愛い花は、まだ蕾も固く花は咲かず残念だった。
薄氷が張った水と寺院。馬酔木の花はツツジ科の常緑低木で、庭木としても植えられている。葉が有毒で馬が食べると酔ったようになるというので馬酔木となったいう。3月から5月ごろ白い壺状の花が房になって枝先に垂れ下がり、盆梅と同じように150年~250年の老木で盆栽を楽しむスズランのような馬酔木の花があり紅色のものもある。豊国神社に通り、徒歩10分余りで秀吉の出世城・長浜城に着いた。
秀吉は湖畔に初めて居城を建て、今浜から長浜に改めた。西方に竹生島がみえる。長浜は古く今浜城と呼ばれ、天正元年、織田信長は浅井氏の旧領湖北12万石を羽柴秀吉に与えたのが始まりと伝わる。秀吉は湖畔に初めて居城を建て、今浜から長浜に改めた。
中央に点のような彦根城、コンテジカメラでは無里?雪の城下町だが春サクラ満開のころ、一転する!長浜城の天守閣に上ってみたが東西南、北側だけロープが張られ立ち入り禁止(降雪のため)、伊吹山も雲に隠れてみえないが西は琵琶湖が眺め、その向こうに小さく竹生島が見えた。南はひこにゃんのいる彦根城が遙か微かに見えた。 また城下には太閤の井戸もあり行ってみたが湖上の中であった。また長浜の琵琶湖は日本の夕陽の百選にもなっている。
江戸時代から続く「子ども歌舞伎(4/13~16)」にぜひ来たい。太閤の井戸。来々月、日本三大山車祭りの一つ、「長浜曳山まつり」がある。春、桜満開のころ、城下の桜を散策し江戸時代から続く「子ども歌舞伎(4/13~16)」を拝見したいものである。長浜の桃山文化を垣間見て、初めて城を持ち大名に出世した秀吉、400年の伝統に支えられ、湖北最大の観光スポットへと変貌を重ねて、町おこしの成功例として全国各地から視察を迎えている。(完)

2013年2月23日土曜日

黒壁美術館 その3

つづく・・・長浜の街並みは古い佇まいと素朴ながらも心地よく、安らぎを求めて多くの盆梅の観光客らで賑わっているが今日は雪交じりで人通りが少ない・・・。
美術館の建物は、江戸時代末期に醤油問屋の豪商・河路屋の邸宅であった。近江の伝説、比良の八荒を襖絵に描いた方は・・・忘れて申し訳ない!江戸末期に建てられた紅殻格子の家並みや白い土蔵を持つ商家など、伝統的な文化様式を残す町家が多く軒を連ね、昔ながらの面影が色濃く残っている。
エミール ガレの作品近年は町家を改築、民宿や赤レンガの洋館が建設され街並みに新たなアクセントが生まれた。
鍔文化器 エミール ガレ(1900年フランス)すっぽりを雪をかぶった中庭。北国街道は古くからにとは物資が行き交う宿場町として栄えてきた。いまでも江戸時代の城下町を彩るレトロな雰囲気が漂う商家などが軒を連ねている。 十號館の黒壁美術館では古代から現代までの世界のガラス作品を約100点を常設展示し、ガラスアートの粋を鑑賞できる。
薔薇貫入釉大鉢(本間友幸)ガラスの砂時計(1994年イタリア)この美術館の建物は、江戸時代末期に醤油問屋の豪商・河路屋の邸宅であった。蔵を含め大小15室の奥行きの深い展示室がある。間口に対して奥行きが深い構造で、茶室がある中庭を挟んで母屋と蔵が並んでいる。
蓋付ゴブレット(1880年~1890年) J&L.ロブマイヤー テーブルランプスタンド(南ボヘミア1910年ごろ)美術作品を座敷や土蔵で観賞していると和洋の対比・新旧の調和が面白く、古い商家の佇まいで出会うガラス芸術の世界にすっかり酔いしれて心地よい空間を感じた。 美術館ではガラスアートと奥の“土蔵”では特別展、ドイツ現代ガラス展「対話と瞑想」が 4月17日(水)まで開催されている。見学したが自分には難しかった。

綿帽子をかぶった山茶花ツララが下がったローバイ古式ゆかしいお座敷でみる美術品は、テーマにした作品や現代ガラス作家の新作などを織り交ぜた展示をしている。長浜別院と長浜城へつづく・・・

2013年2月22日金曜日

北国街道と黒壁ガラス館 その2

つづく・・・地元の豪商・浅見氏が私財を投じた慶雲館は長浜駅西口から10分の処、故・高山氏が1951(昭和26)年に盆培愛好家として、約40鉢市に寄贈したのが始まりで過去62年が経った。 寒い冬を乗り越え凛とした梅花は一輪、また一輪と咲くけな気な姿に感動した。
1871(明治4)年9月、県下で最初に「滋賀県第一小学校」が建設された。シャーベット状になった雪の降り積もる北国街道。樹齢400年を筆頭に350年、250年など、その手入れする人たちに懸かっていて昨年長浜市の「市の花」に梅が選ばれたという。 11時前であったが人が混雑、本来ならメーンの長浜盆梅展をゆっくりじっくりと観察し、写真に納めたいところだが一先ず慶雲館の盆梅展に暇を付けた。
北国街道と大手門通が交わる黒壁ガラス館、明治末期、旧第百三十銀行が建築された。その外壁が黒漆喰の様相から「黒壁銀行」の愛称で親しまれていた。いまも城下町の面影をのこす安藤家。長浜駅前通りをすこし東に行くと北国街道が交わるところに旧開知学校がある。1871(明治4)年9月、県下で最初に「滋賀県第一小学校」が建設された。その三年後、木造3階建て八角塔屋付の擬洋風建築の校舎が建築された。 当時、建築費用は地元住民による寄付金で長浜の人々が教育に関して熱心であったことがわかる。
隣にはガラス工房がある。真っ赤になったグラス制作中・・・。城下町の面影をのこす長浜の街・北国街道は中山道と北陸路を結ぶ主要道で、古くから人や物資が行き交う宿場町として栄えてきた。秀吉は城下に楽市楽座を取り入れ長浜の町を商業の基礎を築いた。
2013年製のガラスの雛人形。 長浜城から東に延びる大手門通りとの交差点は「黒壁スクエア」が広がる。 江戸時代、「札の辻」と呼ばれ、古くから長浜の中心地だった。この辻に明治末期、旧第百三十銀行が建築された。その外壁が黒漆喰の様相から「黒壁銀行」の愛称で親しまれていたが取り壊しの危機に際し、建物の再利用となって1989(平成元)年に「黒壁一號館・黒壁ガラス館」が造られた。
長浜には現在「黒壁スクエア」という街広場があり、この一號館を取り囲むように約30店が軒を連ね二號館のガラス工房では初心者でも製作に参加することができる。 新旧の調和が整った古い商家や美術館、黒壁ガラス館の隣にあるクロカベスタジオにも立ち寄った。工房ではガラス製品の実演をしていた。 美しく透き通る本物のガラス文化、ガラス細工作りが体験できるという。
上部が、焼き鯖そうめん、一人前セット1260円。郷土料理、翼巣楼(よかろう)は黒壁8号館。大手門通り、黒壁ガラス館をはじめ、郷土料理の店などが軒を連ねている。 昼食時なり昨年は長浜名物の「のっぺいうどん」だったが今年は「焼鯖そうめん」を食したが、汁もなく、されど名物で商中だった。黒壁美術館へつづく・・・