2012年9月30日日曜日

京都 仙洞御所・大宮御所

玄関の御車寄(おくるまよせ)がある大宮御所庭に松竹梅がある御常御殿京都に住居して半世紀経ったが、28日念願の「仙洞御所・大宮御所」の参観日に行った。 正門で参観証を提示して中に入ると狭い待合室があり参観前にDVDで案内がある。
御庭口門を潜って広大な庭園に出ると二つの池は北池と南池に分けられる北池は女院御所の庭、東山を望む借景となっている仙洞御所は、皇位を退かれた天皇(上皇、院)の御所で、1630(寛永7)年、江戸時代初期に後水尾上皇(ごみずのおじょうこう)が造営された。
紀貫之の邸宅跡の石碑があり、阿古瀬淵(あこせがふち)の六枚橋を渡って進んだゆるやかな北池の汀線に沿って進む再三の火災で焼失、その度に再建されたが1854(嘉永7)年の大火後は再建されず、現在の仙洞御所は二つの茶室が残り小掘遠州作の庭園となっている。
鎮守社の朱色の垣が見え隠れするがかって水田があったという中島は鷺島とも呼ばれ苔生した土橋がある“大宮御所” は、皇太后の女院(にょいん)御所で、後水尾天皇の中宮であった東福門院「(徳川和子)秀忠と江の五女」が造営されたのがはじまりで、これまた火災で焼失したため、1867(慶応3)年、女院御所の跡に英照(えいしょう)皇太后(孝明(こうめい)天皇の皇后)が大宮御所が造営された。
鷺の森方向から見た北池の風景石橋を渡って行くと樹木の茂みがある玄関の大宮御所の“御車寄(おくるまよせ)”で説明を聞き、御常(おつね)御殿南庭に入った。内部は洋風で周りにガラス戸をはめている。天皇陛下や皇太子殿下、また、国賓が入洛されたときの宿泊等に利用されている。
きれいな苔生や樹木の鷺の森紅葉橋南庭には紅・白梅と竹林、松が植樹され“松竹梅の庭”と云われている。御庭口門を潜って広大な庭園に出ると二つの池は北池と南池に分けられ、境界は紅葉谷の掘割で分けられている。
南池には紅葉山の下あたりから幅80㎝高さ1.8mの雄滝が流れていた南池、紅葉橋や出島西岸には三畳ほどもある「草紙洗いの石」もある北池は女院御所の庭、南池は仙洞御所の庭の中心となる池であったが今は一体感があり東山を望む借景となっている。 北池の周りを散策、ここに紀貫之の邸宅跡の石碑があり“阿古瀬淵(あこせがふち)”の六枚橋を渡って進むと左に水田があったというが今は菖蒲園となっている。
藤棚のある八ツ橋を渡ると太鼓橋に出る八ツ橋で雪見型灯篭(水戸家の献上品)土橋は木陰にあり、苔が多いことも影響し美しく、中島の“鷺の森”この辺りが美しく感じた。 もみじ橋を渡るともみじ山で、ここの紅葉は非常に綺麗というが是非来て見たいぁ~と思った。南池の方には約1.8mの「雄滝」が遥かに望み、中島への“八つ橋”は藤棚になっていて5月フジが紫の花を咲かすだろう。
春、南岸州浜一帯は(左は桜)一番美しいところと言われる南池の南端にある茶室の「醒花亭(せいかてい)」南池の仙洞御所の洲浜は、一升石11万1千個を100mに渡って見事に敷き詰めた丸く白い石、州浜に沿った道が“桜の馬場”で桜花爛漫ならさぞ美しいと想像した!
加藤清正献上のふくろうの手水鉢、銭型の蹲踞や朝鮮灯籠がある名は李白の詩からとっていて稲妻型の違い棚などがある中島を渡り、南池の南端にある茶室の“醒花亭(せいかてい)”は柿葺(こけらぶき)で名は李白の詩からとっていて稲妻型の違い棚などがある。また、加藤清正献上のふくろうの手水鉢、銭型の蹲踞や朝鮮灯籠がある。
御陵歌人・柿本人麻呂を祀った柿本社右手に小高い丘陵や南池には葭島があった。さらに柿本社は歌人・柿本人麻呂を祀ったお社という、仙洞御所の御殿は、この左手の松林がある場所あったという。遊歩道から眺める醒花亭もよく、北池から南池に一周した。
又新亭(ゆうしんてい)の中門茶室の“又新亭(ゆうしんてい)”最後に茶室の“又新亭(ゆうしんてい)”の中門や珍しい竹杭や丸窓を見た。 1636年(寛永13)に小堀遠州が作庭、28年後の1664年(寛文4)に後水尾上皇が手を加えたという。全周1kmで約1時間の行程で北池と南池の回遊式庭園を廻り季節折々の変化に富んだ風景を楽しめる。
八ツ橋で石一個につき米一升、楕円形のやや平たい粒を11万1千個を集める州浜遊歩道から眺める醒花亭もよく、南池から北池に戻ったなお、仙洞・大宮御所の参観には宮内庁への事前の許可が必要で、予約方法は「御所、離宮の参観予約」をすること。参観設定は午前11:00と午後13:30の1日2回のみである。 後記になったがブログ友、U氏の計らいで「仙洞・大宮御所」参観を出来たことはこの上も無く感謝をする次第である。

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