“大宮御所” は、皇太后の女院(にょいん)御所で、後水尾天皇の中宮であった東福門院「(徳川和子)秀忠と江の五女」が造営されたのがはじまりで、これまた火災で焼失したため、1867(慶応3)年、女院御所の跡に英照(えいしょう)皇太后(孝明(こうめい)天皇の皇后)が大宮御所が造営された。
玄関の大宮御所の“御車寄(おくるまよせ)”で説明を聞き、御常(おつね)御殿南庭に入った。内部は洋風で周りにガラス戸をはめている。天皇陛下や皇太子殿下、また、国賓が入洛されたときの宿泊等に利用されている。
北池は女院御所の庭、南池は仙洞御所の庭の中心となる池であったが今は一体感があり東山を望む借景となっている。
北池の周りを散策、ここに紀貫之の邸宅跡の石碑があり“阿古瀬淵(あこせがふち)”の六枚橋を渡って進むと左に水田があったというが今は菖蒲園となっている。
土橋は木陰にあり、苔が多いことも影響し美しく、中島の“鷺の森”この辺りが美しく感じた。
もみじ橋を渡るともみじ山で、ここの紅葉は非常に綺麗というが是非来て見たいぁ~と思った。南池の方には約1.8mの「雄滝」が遥かに望み、中島への“八つ橋”は藤棚になっていて5月フジが紫の花を咲かすだろう。
右手に小高い丘陵や南池には葭島があった。さらに柿本社は歌人・柿本人麻呂を祀ったお社という、仙洞御所の御殿は、この左手の松林がある場所あったという。遊歩道から眺める醒花亭もよく、北池から南池に一周した。
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