2014年5月31日土曜日
大蛇ヶ池のスイレン 洛西
2014年5月30日金曜日
高瀬川の涼花
繁華街の木屋町通(きやまちどおり)は、先斗町の西にあり、北は二条通から南は七条通まで高瀬川の東側に沿っている。
角倉了以翁顕彰碑が立っている『高瀬川開削四百年記念』の企画展示が行なわれていた。
まだ五月というのに京都市は31.9℃の夏日を迎えてうだる様な暑さだったが、元・立誠小学校前の高瀬川畔に生けた涼しげなバラの花や紫陽花などの色彩が活られていた。
花道家の西村良子さんによる「高瀬川装花展」が水面に活けられていた。
先斗町の歴史を振り返り、町の将来を考えて行こうという、企画展示に見合った花を飾った・・・と西村さんはコメントしている。
高瀬川の開削が完了してから今年で400年を迎える節目に合わせ、流域の住民団体が記念事業の一つで、先斗町まちづくり協議会が「このまちのために、できること」の一環として行なっている。
帰り道で木屋町通りを歩いていると紫陽花にあった。(5/29撮影)
2014年5月29日木曜日
衿替え 先斗町
先斗町花街は三条通一筋下るから四条通まで、鴨川から木屋町通の間を南北に走る、石畳の狭い通りである。先斗町で27日と29日立て続けに「衿替え」が行なわれた。

歌舞練場では5/1~24日まで『鴨川をどり』を開催していたので「衿替え」や「店だし」は行なわれていなく満を持しての衿替えだった。
衿替えのあった置屋「勝美」さんの場所は、先斗町から木屋町通りに抜ける路地でその場所には関係者のみであった。
真夏日の太陽が照り付けカメラマンたちは日差し除け公園で待った。
今日の主役、ひづるさんは13:20衿替えのため、新調の別誂えた豪華な「黒紋付き」を着付けてもらい、女衆さんと共にお茶屋さんに挨拶廻りをした。
それを取り巻くようにカメラマンたちは足早に狭い先斗町を南北に歩いたが、カメラマンの数は20人足らずだった。
舞妓さんの髪は地毛で結うが芸妓さんは鬘(かつら)、バッサリと髪を切ってしまうという。芸妓さんになって嬉しい事は、髪の毛を気にしながら眠らなくてもよいという。
ところで置屋(屋形とも言う)お茶屋さんは花街特有の格子と提灯は風格がある。
お茶屋の世界では「一見さんお断り」の精神が今でも息づいている。利用するには、常連客や料亭、旅館から紹介してもうらうのが得策だという。
先斗(ぽんと)という地名、語源はポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされる。しかし、正確には"PONTA"なのに、なぜ「先斗」の字があてられたのか謎とされているという!

歌舞練場では5/1~24日まで『鴨川をどり』を開催していたので「衿替え」や「店だし」は行なわれていなく満を持しての衿替えだった。
初芸姑のひづるさんは各お茶屋さんや通りあったお姐さんにお辞儀をし、女衆さんと一緒にご贔屓筋に回り「今後ともおたのもうします」と挨拶した。(5/29撮影)
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