もと鳥羽上皇の北面の武士であったが、1140(保延6)年に出家し諸国を行脚(あんぎゃ)して風光明媚な自然を愛で和歌を詠んだ。
この地は、彼が「蔡華園院(西行草庵)」を営んだところと伝えられている。
茅葺の母屋は、大徳寺塔頭真珠庵の別院を移したものであり、母屋「浄妙庵」と茶室「皆如庵」からなっている。また皆如庵は北野の久我別邸より移された桃山時代の名席で、円窓床と「道安囲」が有名である。
毎年三月中旬には、皆如庵で西行忌茶会が行なわれる。
願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃 西行(山家集)
平安末期の歌人西行が結んだ庵で母屋と廊下で結ばれた茶室。
皆如庵は桃山時代を代表する名席で拝観できるほか、お点前もうけられる。
(完)
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