2013年12月14日土曜日
祇園宮川町 事始め
13日、午前は四条花見小路界隈で甲部で、午後は雨も上がり宮川町で芸舞妓さんによる伝統行事の「事始め」をみた。
宮川町の事始めは1時間差の12:00ごろからで美しい芸舞妓さんがお茶屋さんなどを訪問し「おめでとうさんどす」「来年もおたの申します」と新年のあいさつを交わした。


芸妓、舞妓さんが暮らす宮川町は東山区に位置し、宮川筋二丁目から六丁目までが花街である。
現在、お茶屋さんが姿を消した「島原」を除いた祇園(甲部)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町、上七軒(かみしちけん)、祇園東(乙部)の五つの花街がある。
宮川町は天正三年に『出雲の阿国』が歌舞伎踊を織田信長公に許しを受け、慶長八年頃、阿国の娘二代目阿国が宮川河原で歌舞伎を興業して人気を呼んだ。
当時の歌舞伎の流行とあいまって、茶屋町として発展、宮川町に水茶屋が建ち、芝居小屋が数多く立ち並んだという。
男だけの若衆歌舞伎が始まり、それに出演する若衆の宿が宮川町に軒を並べていったという。
当然女形を演じる若衆が必要で、当時の美少年が選ばれ、現在の女形役者へと発展したという。
大和大路街道沿いはその昔、太閤秀吉公が方広寺や伏見城築城により、人々の往来が増え活気は溢れ町並みができ、それが現在の宮川筋と呼ばれる所以である。
提灯の紋章は「三つ輪」のマークで宮川の故事から三体の神輿を象徴したとも謂われ、宮川の「みや」を語呂の合う三つ輪として考案されたとも言われている。
花街の事始めは、京都の師走を象徴する風物詩として知られ、この日から花街は、お正月の準備が始まることから、古くは”正月起こし”とも呼ばれている。(12/13午後撮影)
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