江刺郡の豊田館から平泉に移った奥州藤原氏初代藤原清衡が1124(天治元)年に建立したもので、京都宇治・平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、戦いで亡くなった人々の霊をなぐさめるため、仏国土を建設するため中尊寺一山の造営に着手した。
本堂は明治42年の再建で堂内には約1200年灯り続ける「不滅の法燈」が、総本山の比叡山延暦寺より分火され今も大切に護持している。

月日は流れて障害者になって古さと帰省折、その事をクラスメートの親友に告げるとお易い御用とばかり、実行に移した。なな、なっんと平成14年48年ぶりに実現しのであり感謝・感謝・感謝。
まず、お勧めは広大な敷地に平安時代の建物が再現されている“えさし藤原の郷”を見学、大河ドラマのロケ地としても使用されている。 次いで金色堂、極楽浄土とされる毛越寺の庭園。親友の計らいでえさし藤原の郷、中尊寺金色堂等々ドライブしたがまたいつの日か行って観たい。
「金色堂 上下四壁は皆金色なり」の言葉を始め、収蔵する品々は文化財の宝庫で中尊寺創建当初の唯一の遺構は、復興を目指す被災地の人々の更なる励みになるだろう。
夏草や 兵どもの 夢のあと・・・・松尾芭蕉
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