京都の四条通りは東西に八坂神社と松尾神社が控えている。24日、西京区では松尾大社の神幸祭が営まれた。
![御分霊を受けて拝殿廻しを三回する](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgsb5ZIiS7-VTe8pyRWYzOymBiU3BMsxBKJM-33OUp60QMIK0U6xKHpC-vkzOLyRsp8dGrjEpNFeApF95wNli4ioFQkcxXlRhMAYxF0KtJU2gdmZpIh9WaQaBk6IKItXYbRI9Vh2JCt_t2u/s200/P1170495.JPG)
![月読社を先頭に神輿は四之社](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjdiUo3RUtE4eGGfo7YpSeQixmigSmlInu5cPwhrLoM7pXlsljSwcO9tZR0MAPE1P3_11j9rwQHle0-wGVHVjzAXkk24xMik-H_o8gQfhW269zws7MmLvg17yVtLW1ELS4ckAe4gsr0Pqsa/s200/P1170486.JPG)
一基の唐櫃(からびつ)と六基の「神輿」を船に載せて桂川を渡す、壮大で勇壮華麗にして慎重な船渡御(ふなどぎょ)が行われた。![月読神社の唐櫃](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjd3e7ivv3pi-MQX2PeSLrced4_urwY4nzDTiKoeWJN9Hz4MfcySDKXXfyYHajGRkGzNz3KmmeWMzoggVV7hrVOHnFnklRK6eu3FL2mHB2tR3ckE0tpGwJ9qxWexxARhXvzzSDwPWW3w3SS/s200/P1170484.JPG)
![二人のお稚児さんがいる](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhuHF1G_DbRODhS5AGb8T2BhUnTf8U31B6mRCqd8rc-D5MmUy99ZPE68rjbYdvCG_I66c3qmLs_aS4eOC2pSaJlwLlQiCDiJhMnO6P5AG6yOXW7yxs89m7waqrUOvb1dUxZLaH2itAFfX8K/s200/P1170483.JPG)
大きな赤鳥居をくぐり、参道の石畳を進むと二の鳥居がある。鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がって、これを「脇勧請(わきかんじょう)」と云い、農作物の出来具合を占ったことを今に伝えている。
石段を上って楼門をくぐると一ノ井川が流れ川面に約3000株のヤマブキが群生し鮮やかな山吹色を放っている。拝殿、本殿と一直線に並んでいる。![11時半、社頭を出発した](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgBR-O5FFQ9m3MRnLYUHHuI5jEsjMVeGNqa69g-JSKjg_RBt5pr21yd3eeJ-EbF5FCy0Hqnnj4MKGa5pm-F3G91FfF7L5UtvYSElXAlbCyKmwcdmHdaj8jw3D1euvra4cqpww3sXvY2noUq/s200/P1170499.JPG)
![周回が済んで楼門へ向かう](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ6lAggK-2w4RA4oZAKvhouoSH2YJqXZ59w17Z4vVTTpaVpR9uTcjR2JTnV1gwAI0XQVrENHFgDnAuQ7JPeihilE17Zx0pSBaGnLlrLq86RZCW_OruHKg6a3OWFTsdm_9URltxdN7I-zs2/s200/P1170497.JPG)
最古の当社は、秦一族の氏神として祀られたのが始まりで、四世紀から六世紀ごろ韓半島から大挙して渡来し、瀬戸内を東上して山城国葛野郡に入植した。
701(大宝元)年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山頂の磐座(いわくら)を麓へ勧請し、一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。![農作物の出来具合を占った脇勧請は鳥居に下げてある](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi2FEHxVUinuL5FQ5ybACbHRZtiO_MCVWB3dMvuPqGxZEkE7mMNdruARJOsQhhAde1Tf4l62v4KO5JA5lenRU8-xYBOdCD_xtZYb2pDkqQfJLHNDCiqiMNYgp0PZha135iaMiqARyshAU4E/s200/P1170503.JPG)
![二の鳥居、電車で桂まで急ぐ](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgF21GZ2fTX91XdaKNLQz0jrdkXAiNFnHCkYmNcHXiKCn7EbnbfImFSfJ6oLBM9GdT2sxxQIxx0h-50x1xCu4p-uJUkw4yswMx3DysqJIIE0JleYMvUlDa6_uORLmfQpsNegAfmw0uA0RK0/s200/P1170500.JPG)
この神幸祭は、平安時代の貞観年中から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三回周回)後、月読社の唐櫃一基と四之社、衣手社、三宮社、宗像社、櫟谷社、大宮社、順次社頭を神輿が出発し桂離宮横の桂川対岸に勢揃いした。
神輿が船で“川渡御”する様子は勇壮華麗にして圧巻だ。つづく・・・
<松尾大社>
住所:京都市西京区嵐山宮町3 電話:075-871-5016
境内:拝観自由5:00~18:00
庭園拝観は9:00~16:00で大人500円(休日は17:00まで)
交通:市バス 28番 京都バス73番松尾大社前下車すぐ
阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ
一基の唐櫃(からびつ)と六基の「神輿」を船に載せて桂川を渡す、壮大で勇壮華麗にして慎重な船渡御(ふなどぎょ)が行われた。
大きな赤鳥居をくぐり、参道の石畳を進むと二の鳥居がある。鳥居の上部には榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がって、これを「脇勧請(わきかんじょう)」と云い、農作物の出来具合を占ったことを今に伝えている。
石段を上って楼門をくぐると一ノ井川が流れ川面に約3000株のヤマブキが群生し鮮やかな山吹色を放っている。拝殿、本殿と一直線に並んでいる。
最古の当社は、秦一族の氏神として祀られたのが始まりで、四世紀から六世紀ごろ韓半島から大挙して渡来し、瀬戸内を東上して山城国葛野郡に入植した。
701(大宝元)年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山頂の磐座(いわくら)を麓へ勧請し、一族の氏神として社殿を建立、秦氏が神職を受け継いできたのが起りとされている。
この神幸祭は、平安時代の貞観年中から“川渡しの御船”で、五穀豊穣や家内安全を願ったもので千年の歴史を刻むという。
松尾七社は、本殿の御分霊を受けて拝殿廻し(三回周回)後、月読社の唐櫃一基と四之社、衣手社、三宮社、宗像社、櫟谷社、大宮社、順次社頭を神輿が出発し桂離宮横の桂川対岸に勢揃いした。
神輿が船で“川渡御”する様子は勇壮華麗にして圧巻だ。つづく・・・
<松尾大社>
住所:京都市西京区嵐山宮町3 電話:075-871-5016
境内:拝観自由5:00~18:00
庭園拝観は9:00~16:00で大人500円(休日は17:00まで)
交通:市バス 28番 京都バス73番松尾大社前下車すぐ
阪急電鉄嵐山線松尾下車すぐ
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